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    立教174年(平成23年)9月18日発行 第265号
    三代真柱夫人まさ奥様の十年祭 〜想い出に学ぶ〜

三代真柱夫人まさ奥様の十年祭
〜想い出に学ぶ〜

松浦由美子

出会い
 初めてお逢いしたのは、大学に入学して間もない時でした。鑑子山校舎での授業が終わり、私は同級生4、5人と桜の花が舞い散る木陰でお喋りしておりました。
 その時、「あんたら、遊びに来はらへん…?」と。桜の精かと紛う程、愛らしくて清楚な感じの女子学生が声を掛けてきたのです。満面に笑みを湛えての優しいお声。私たちは、その柔和で上品な女子学生に魅せられて、心を奪われていました。−そのお方は、後の婦人会長様になられました真柱夫人中山まさ奥様です。
 その時から親しくなり、何度かお伺いさせて頂きました。
 「食べ、食べ。」とお出し下さるので、私達は気楽にパクパクわいわい楽しいひと時を過ごしたものでした。
 まさ奥様は堅苦しさ等は毛頭なく、何時も笑顔で穏やかに話をなさる静かで落ち着いた雰囲気のお方でした。
 最近、婦人会例会で、婦人会長はるえ奥様が、まさ奥様がご自分の学生時代について、「学校の帰り道、よそ様の家の前を素通りしないでにをいがけを…」と、里の母上様に言われたことをお聞ききしたとお話し下さいました。
 私はそのお話を聞かせて頂き納得−。まさ奥様は学生とて既に「用木であること」を自覚して節々に心掛けて日々お通り下さっていたのだと思いました。まさ奥様のこうした姿勢を想い出して、私も「用木の歩みの指針」とさせて頂こうと決意を新たにしました。

教祖の心を
 大学には月次祭がありました。私は、敬愛しておりました先輩のさとゑ様からお言葉を頂き、ておどりの後半に女鳴物を勤めさせて頂きました。琴は私、三味線は堺のよしゑ様、そして胡弓はまさ奥様でした。上手に弾くことは「みかぐら歌を味わって教祖の心を…」とお話頂いたのですが、私は間違わないで弾く事だけに一生懸命でした。
 まさ奥様は、御自分も歌って居られるかの様に、胡弓の特徴を生かして、ゆったりと、メロディーが途切れることなくお弾きになって居られました。まさ奥様のお姿に習って、それからの私は女鳴物に限らず「おつとめ」に向かう時は「教祖の心」をしっかり受けさせて頂くことを心におき、勤めるようにしています。

神々しいお姿
 結婚式。御神殿の回廊を黒紋付の花嫁衣装で静かに歩かれるまさ奥様。厳粛な素晴らしいお式の中で、まさ奥様は初々しく、とても美しく、私たち仲良しメンバーは声も出せず遠くからお姿を拝し、「お元気であらせられますように」と心からエールを送ったものでした。その時のお姿が今でも目に浮かびます。

暖かいお心遣い
 私が支部長になって、初めて婦人会例会に出させて頂いた時のことでした。時間に遅れた為、お部屋の入口で先輩の奥様方にストップを掛けられました。「会長様の御言葉が終わったから、もう理が無い」と言われ、入れて頂けませんでした。神様にお詫びをして、その後は時間厳守に努めてまいりました。
 ある日のこと、例会の時間が迫っておりましたので、北大路を小走りに急いでおりました時、スーッと車が横に停まり、ドアが開いて、「早よ乗り‥」と、笑顔の素敵なまさ奥様でした。私は、横に乗るなど、とんでも無い、勿体ない、申し訳ないの心で辞退しましたが、「遅れるやろ」と、にこやかに笑みを湛えて申されました。私は苦い経験が有りますし、奥様が遅れては申し訳ないと思い直して同乗させて頂きました。
 まさ奥様は大層聡明なお方ですから、その時その場に応じて、然りげ無く御心をお使い下されました。私を緊張させない様にとお話し下さった一言一言に優しさが溢れていて申し訳ない限りでした。
 「奥様、お気をつかわないで下さい」と私は心の中で呟きながらも、奥様の和やかで暖かい雰囲気に甘えさせて頂いておりました。誠に母に抱かれている思いを味わい、感激で胸が熱くなるのを覚えました。

尊いお言葉
 「おたすけの時、何でも言ったらいい。神様が浮かばせて下さるのだから。最後に…腹が立ったらゴメンなってね。」とお教え下さいました。奥様のこの尊い御言葉は私にとりまして「おたすけ」に「勇気」と「活力」を与えて頂きました。その後も、その御言葉はずっと私の心の中に生きております。その時の奥様の笑顔は明るくまぶしく輝いておられましたのが、とても印象的で心に残っております。
 婦人会創立90周年を迎える5ヶ月前、私は母の看病中に脊椎2ヶ所を骨折。まさ奥様、さとゑ様に「おさづけ」を取り次いで頂き、暖かい慈愛の籠ったお諭しも賜りました。
 奥様は、神様に御守護を求めたりお願いしたりする時は、「日々を省みてお詫びとお礼を先に申し上げるのやで!」と優しく教えて下さいました。その時、奥様は首を傾げて一寸はにかんだ仕草をなさって微笑まれました。奥様はとても気高くて凛々しくて素敵な母、そのものでした。
 私は素晴らしいお諭しを頂いて、神様に心からお礼申し上げました。その後、医学的に難しい怪我でしたが、不思議な御守護を頂いたのです。奥様の尊い教えを無駄にすることなく、今日喜び勇んで、人助けの上に頑張っております。

理を立てる
 静岡に御来駕賜りました折、何かお手伝いをさせて頂きたく、婦人衆とお側に控えておりました。しかし、奥様は「つとめだから」と和やかに仰いまして、何もかも極自然に御自分でなさいました。特に真柱様の事は全てそうでした。奥様は真柱様の御理を立てきっておられたのでございます。それは、お側に居合わせた私たちに、夫であっても、息子であっても「会長」ならば「理を立てる」ことを実践してお教え下さっておられたのだと、有難く思いました。
 奥様は無駄口がなく、芯のあるしっかりしたお方です。改めて奥様の素晴しさに皆感激し、私たちもこの様に通らなければならないと思ったものでした。
 奥様が紋付羽織を畳まれる時、裏地に可愛らしい鼠の絵が染められていました。私はそれを見て思わず「素敵!」と感嘆の声を出してしまいました。奥様は嬉しそうにお里の御両親様が子年の奥様の「お印」として付けて下さったお話をして下さり、大切そうにお片付けになりました。
 真柱様の事は何もかも奥様はいそいそとなさったり、御両親様の御心を慈しまれたりする御様子を拝し、私たちは奥様の「人」としての心に触れたようで、とても親しみを覚え、感慨一層でございました。

あとがき
 まさ奥様との想い出の中に繋がる一つ一つが、今改めて私の用木としての大きな活力になっておりますことに気付かせて頂きました。
 奥様には到底お近づき出来ない私でしたが、想い返せば、こうした素晴らしい想い出の中に学ばせて頂き、成人へとお導き頂きましたことは、何にも替えがたい大きな大きな喜びでございます。
 奥様にお逢いさせて頂けました事を、親神様、教祖に深く感謝し、御礼申し上げております。

=ありがとうございます=