秋季大祭真柱様お言葉(要旨)
立教188年10月26日
親神様は、陽気ぐらしを見てともに楽しみたいとの思召から、人間と世界をおはじめになり、天保九年十月、教祖をやしろとして、この世の表に現れ出られ、たすけ一条の道をお啓き下された。
教祖はつとめをお教え、かぐらづとめでは、十人のつとめ人衆がかんろだいを囲んで、元始まりにおける親神様のお働きを手振りに表してつとめることによって陽気ぐらしの世への建て替えを願う。
また、一月と十月につとめる大祭について、二十六日というは始まりた理と収まりた理と理は一つ。十月二十六日、立教の元一日は、たすけ一条の道、ひながたの道の出発点。春の大祭の元一日は、教祖の現身を隠して存命の理をもって、世界ろくぢに踏み均しに出られた日。
共に世界一列の子どもを助けて陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心ゆえ、理は一つであると、二代真柱様は繰り返しお仕込み下さった。
親神様は陽気ぐらしをする道具衆を寄せて人間をお作りになり、教祖は魂の因縁によって月日のやしろのお立場となり、陽気暮らしの道をお説き下されることとなった。おさづけの理を戴いたようぼくは教祖の道具衆であり、元始まりの時のように、教祖のお心一つに溶けきってつとめさせて頂くところに、陽気ぐらしへ進んでいく。
しかし、成人が鈍かった人間には、教祖の定命を二十五年縮めてお急き込みになり、これが年祭をつとめる元となった。言わば教祖の年祭は、子供を可愛いゆえの仕切りのふしである。このふしをもってお仕込み下された親心にお応えさせて頂くのが年祭をつとめる意義である。
今しっかり動いたことは、これから先の歩みのための種まき。力いっぱいつとめたという充実感と喜びをもって年祭を迎えることができるように、最後まで勇んでおつとめ下さい。