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36  vol.8 やぶ北物語
2010.11.04 Thu.
 「やぶ北≠ヘおいしいですね」とお客様よりおほめのお言葉を戴きます。やぶ北≠ヘ勿論茶の一品種です。そのおいしさ故に、全茶園の80%がやぶ北≠ノ改植されたのです。
 近世日本の茶業で画期的な業績が二つあります。その一つは手揉みだけだった製茶法を、明治三十四年(1901)機械化に成功し、高林式製茶機を開発した高林謙三郎翁の功績と、二つめはそれまで苦味渋味が基調であった、日本緑茶を粒々辛苦の末、明治四十一年(1908)マイルドな新品種茶やぶ北≠フ開発に成功した、杉山彦三郎翁の功績です。
 今年はやぶ北$カ誕百周年に当ります。
 杉山彦三郎翁は安政四年(1857)静岡県安倍郡有渡村(現静岡市の一部)の医家に生まれましたが生涯を茶の品種改良にささげやぶ北≠フ開発に成功しました。
 試験栽培した茶園が竹藪の北側にあったのでこの名稱がつけられました。
 しかし翁の努力にも拘わらずやぶ北≠ェ陽の目を見るまで五十年の歳月がかかりました。
 当時は在来品種による苦味渋味のある茶が珍重された時代でしかも明治より昭和初期にかけて茶は、日本の重要輸出品であったので、品種改良の必要は全く無かったのです。
 漸く陽の目を見たのは昭和三十年代でした。マイルドなやぶ北≠ヘ面倒な湯ざましをしなくても、沸騰したお湯をポットにとった位の湯温で香り良くおいしく、しかも簡単に召し上がれるので、爆発的人気を博し、茶園の改植も進んで行ったのです。
 残念なことに、杉山彦三郎翁は今日のやぶ北≠フ隆盛をみることなく、昭和十六年(1941)逝去されました。やぶ北≠フ母樹は今も静岡市谷田(やぶ北生誕地)に大切に保存されています。静岡市の駿府城跡の公園には翁の功績をえて、胸像が建立され、毎年八十八夜(五月初め)には盛大な記念式典が行われています。
 昨今やぶ北≠ノ続く新品種の開発に努力が注がれていますが、仲々これに優る茶は出来ないのが現状です。
 寒さと共に、お茶のおいしい季節となりました。白銀屋自慢のやぶ北銘茶≠お召し上がり下さい。


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