夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
「あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠」
これは明治四十五年制定の文部省唱歌「茶摘」の一節ですが、初夏ののどかな風物を描き今も唱い継がれています。
今年の一月NHKテレビ番組ふるさと一番!≠ナ寒中の茶摘みとして四国山地の厳寒の茶摘み風景が紹介されていました。これは日光で乾燥させて作る、日干番茶のための冬の茶摘みです。
唱歌「茶摘み」の二節目に、
「摘めよ、摘め、摘め、摘まねばならぬ
摘まにゃ、日本の茶にならぬ」
とある様に、明治時代茶は農業国日本の貴重な輸出品でした。(生産額の六十%を輸出していた)
のどかな茶摘風景とは裏腹にお茶摘みさんの苦労は大変。まだ茶ばさみの無い時代、すべて手摘みでした。極上茶は一芯二葉摘み、上茶は一芯三葉摘み、中・下級はこき摘みと云って親指と人さし指の間へ茶の芽の下部をはさみ、こき上げる方法で、これで一日生葉五十s摘んだそうですから、初夏の陽射しを受けての作業は大変であったと思います。
茶ばさみが登場したのは大正時代に入ってからで、手摘み方法の十倍の威力を発揮し、手摘みは上級茶だけとなりました。これに因んで生まれたのが、歌はちゃっきり節、男は次郎長…≠ナ始まる新民謡茶っきり節です。これは三十番きである、北原白秋の力作です。
昭和三十年代に入ると電動式茶摘機やエンジン背負式茶摘機が出現し能率は良くなりましたが、機械音が茶園に響き渡り、もはや心のどかに摘みつつ唄う…≠フ風情は無くなってしまいました。
更に二人用可般式茶摘機や、大規模茶園用の乗用型茶摘機が登場して、茶摘もすっかり様変わりしました。
お茶摘みさんのスタイルもあかねだすきに菅の笠≠ヘ茶のコマーシャル用となり、日焼けを恐れる女性は、長いひさしの帽子、顔は殆んど布で被い、長袖シャツ、長ズボンとなり何れが茶摘み娘か茶摘みおばさんか、引くぞわずらうスタイルとなりました。
今年も新茶の芽伸びは上々です。日本の初夏の香りにおひたり下さい。
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