「雪男、燐が心配してるぞ」
勉強が終わって2人きりの部屋の中、横に座った獅郎に静かに顔をのぞき込まれ、雪男は戸惑った。
「・・・兄さんが?」
「ああ。『俺に気付かれないように毎晩こっそり泣いてる』ってな」
バレていたのか、と息を飲み視線を下に落とす。
「どうした?とうさんにも言えないようなことか」
言えない。
とうさんには絶対に言えない。
だっていけないことなんだ。
雪男は下を向いて貝のように口を閉ざした。
それを見て獅郎がため息をつく。
「なんで泣いてるのか、とうさんに教えてくれないか」
優しい言葉をかけられると涙がこぼれそうになる。
「雪男」
優しい声で名前を呼ばれるとたまらなくて、ぎゅっと眼をつむった。
ふと、大きな手が頭の上にぽんっと置かれた。
そのまま頭頂部を優しく何度か撫でられる。
少しくすぐったいけど気持ちいい。
顔を上げると心配そうな憂い顔。
獅郎は雪男の眼鏡を外すと机の上に置き、雪男の頭を自分の胸にぎゅっと押し付け身体を抱きしめた。
「泣きたかったら俺の胸で泣け。独りでこっそり泣いたりするな」
イヤイヤと首を振る。
そんなに優しくしないで欲しい。
諦めようとして押さえつけている気持ちがあふれてしまう。
だって好きになっちゃいけないんだ。
いけないことなんだ。
だから・・・。
毎日そう自分に言い聞かせているのに、とうさんを好きな気持ちが止まらなくて、恋しくて愛しくてたまらなくて。
毎晩、涙があふれて止まらなくなる。
胸が痛くて、張り裂けそうで。
「雪男」
低い静かな温かい声。
とうさんの声。
優しい声。
心にしみるよう。
とうさんの手が僕の身体を撫でる。
あったかい。
身体にしみるよう。
「雪男」
とうさんの声が僕を呼ぶ。
身震いするほど、嬉しくてたまらない。
瞳を上げると間近にあるとうさんと眼が合った。
瞬間、ああやっぱりこの人が好きだ、好きでたまらないと思う。
こみ上げる気持ちが涙として眼からあふれ出た。
「とうさん」
とうさんの身体を抱き返す。
ぎゅっとしがみつきながら額をとうさんの肩口に押し付ける。
「とうさん、とうさん」
涙が全然止まらなくて、ひっくひっくとしゃくり上げながら泣いた。
抱きしめられる腕の力がさらに強くなる。
「長友に何か言われたんだろう?」
耳のそばで囁き声が聞こえる。
「何を言われたんだ?」
答えようとして何を言われたのか順を追って思い出すと、それを伝えるには『とうさんの恋人になりたい』と言わなければならないことに思い当たり、血が沸騰して顔から火が出そうになった。
耳も熱い。
その顔を見られたくなくて、とうさんの胸により深く顔をうずめる。
とうさんがため息をつくのが聞こえた。
「すまない、雪男。赦してくれ」
突然謝られたことにびっくりして顔を上げる。
「なんで、謝るの」
とうさんは曖昧に笑うだけで何も答えてはくれなかった。
ストレートに気持ちや質問をぶつけても、いつも何かはぐらかされているのには気付いていた。
とうさんは本当はどう思っているのだろう。
『恋人にして欲しい』と頼んだら恋人にしてくれる?
また、この前みたいなキスをしてくれるのかな。
見つめているととうさんは僕の髪を優しく撫でてくれた。
柔らかい眼差しに今にも溶かされそうな感じ。
ふと気が付いた。
そうか、秘密なんだ。
いけないことだから、認められないことだから、だから何も言ってくれないんだ。
秘密ならいいのかな?
僕はとうさんを好きでいてもいいのかな?
雨がやんで雲が切れてうっすらと日が差し込んできたような気分で、雪男はふっと笑みを浮かべた。
「ただいま」
仕事の付き合いで久々に酒を呑んだものの、どうしても1ヶ月前の失態を思い出してしまって気持ちよく酔うことができず、早々に抜け出して獅郎は帰宅した。
「お帰りなさい早かったですね」
食堂でくつろいでいた長友が出迎えた。
「まあな」
とぼとぼと前を通り過ぎた後、一応確認しておこうと獅郎は振り向いた。
「子ども達は」
「もうとっくに寝ていますよ」
「そうか」
低いテンションのまま自室に向かい、安楽椅子に腰を埋めると額を押さえ、深くため息をつく。
気持ちよく呑めないのならいっそのことやめてしまうか。
そんな気分にすらなる。
(ん?)
何かが動いた気配がして眼をやると、ベッドがいくらか膨らんでいる。
獅郎は近付くと上掛けを剥がした。
「雪男?!」
驚いて声を上げると、布団の中に眼鏡をかけたまま丸くなって眠っていた雪男が眼を覚ましてのっそりと起き上がり、眠そうに眼をこすりながらベッドの上に座り込んだ。
「あ、とうさん、お帰りなさい・・・」
まだとろんとした眼をパチパチとしばたたいて、雪男がふんわりと笑った。
「ここで何してるんだ、雪男」
こくりこくりと眠気に負けそうな様子の雪男を見て、獅郎は脱力すると隣に座り込んだ。
雪男が寄りかかってくる。
眠い子どもの重みと熱いくらいの体温が感じられた。
近づけるなと頼んだのにと、内心舌打ちしつつ雪男の方を見る。
おそらく待っているうちに眠くなって寝てしまったのだろうが、呑みに行った日を狙って忍んでいたのだから確信犯だ。
(こういうのを夜這いって言うんだぞ、雪男)