神父さんと僕 その3―4

 動機は訊かぬまま、このまま寝かせてごまかしてしまった方が良い。
そう判断して雪男の眼鏡を外しサイドテーブルに置くと、頭と身体を抱きかかえてそっと横にした。
身体の下から腕を抜いたとき、雪男のまぶたが開き不思議な碧の大きな瞳が姿を見せた。
わずかに潤んだ瞳が艶っぽい。

 寝かしつけるのに失敗したと感じるのと同時に、勢い雪男を組み敷くような体勢になっていることに獅郎は焦った。
雪男の薄く開いた唇が動く。

「とうさん」

 雪男の腕が頭の後ろに回り込む。

「キスして」

 雪男は囁くと、迷う獅郎の頭を引き寄せた。

「お、おい、ゆき・・・」

 語尾を飲み込まれる。
軽く唇を触れただけで顔を離すと、何故か雪男が不満そうな顔でこちらを見上げていた。

「そういうのじゃなくて、こう」

 再びくちづけた唇から小さい舌が遠慮がちにこちらに割り込んでくる。
途端、過日の失態が何であったかが分かり頭が痛くなるものの仕方がないと腹を決め、獅郎は雪男の舌に自分の舌を絡めて吸い上げると、今度は雪男の口中に侵入した。

 息継ぎができずに苦しそうな様が初々しく、可愛いらしい。
思わず笑みが出る。

「息は鼻でしろ」

 一度唇を離し、瞳を見つめてそう言うと、また深くくちづけた。
小さな口腔を貪るように蹂躙する。
罪悪感がむしろ欲望の窯に火をくべ、背徳感が背筋のしびれるような甘美さを演出する。

 ふいに、大粒の涙が雪男の瞳からこぼれ出た。

「おい、泣くなよ」

 言いながら涙を唇ですくい、泣きぼくろにもくちづける。
雪男の首筋に顔をうずめ、抱きしめた。

「とうさん、好き」

 雪男の囁きが耳をくすぐる。

「俺も好きだよ、雪男。愛してる」

 そっと囁きかけ、抱きしめる腕の力を強めた。

「本当に?」

 顔を上げて瞳を見つめる。

「ああ、世界中の誰よりもお前を愛してるよ。雪男」

 優しく額を、髪をなでる。
しばらくなでてから、もう一度ちゅっとくちづけ、身体を離すと横に寝転がり肘をついて雪男を見下ろした。
雪男がこちらを向いて丸くなる。
その背を逆の手の肘で抱きこんでまた髪をなでる。

「けどなあ、雪男。酒呑んできた日はやめてくれ。頼むよ」

 ため息混じりに告げると、雪男は不思議そうな顔をして首をかしげた。

「どうして?」

「とうさんはいつもは隠してるけど本当は狼なんだ。だから、雪男は食べられちゃうかもしれないぞ」

「食べられちゃうの?」

 少し怯えを浮かべた瞳がむしろ煽情的で、獅郎は一度深呼吸をするとぐっと腹に力を込めた。

「酒呑むとさ、我慢が効かなくなるときがあるんだ。だから、俺に近付かないでくれ」

「・・・・・・はい」

 何か言いたげに、上目遣いで雪男が獅郎を見た。
表情を緩めて促すと、赤面して何度かためらった後にやっと口を開いた。

「あのね、とうさん」

「なんだ?」

「じゃあ、お酒呑んでないときでもああいうキスしてくれる?」

 思わずため息が出る。

「分かったよ。でも、みんなには内緒だぞ」

「うんっ」

 雪男がとても嬉しそうに笑った。
可愛いなあとつられて笑いながら、頭をなで額をくっつける。

「好きだよ、雪男」

 もう一度軽くキスをして、それから雪男が眠りにつくまで背中をとんとんと優しく叩いた。





「行ってきまーす」

「行ってきまーす」

 明るい声を響かせて、双子は学校へと向かって並んで歩き始めた。

「なんか、良いことあった?」

 雪男の顔をのぞき込んで燐が言った。

「えへへ、ないしょ!」

 弾けるように笑って駆け出した雪男を追いかけながら、雪男、元気になって良かったなと燐は思った。





「とうとう手を出しましたね」

 吹っ切れた様子の雪男を見て思うところがあったのだろう。
長友がそう言ってきた。

「明るい朝の風景に何を言う、長友」

 じと、と睨まれ、思わずため息が出る。

「・・・最後の一線は越えてねーよ」

「当たり前です」

 はあ、と長友が息を吐いた。

「まあ、いいですけど。周りに迷惑かけないで下さいよ」

「分かってるよ」

「それから、ちゃんと責任取って下さいよ」

 そう言い捨てて長友は向こうへ行ってしまった。

 責任って何だよ、と思いつつ、まあこの歳で浮気もないだろ、と思う。

 老いらくの恋、か。
そう思うと自然と口端に笑みが浮かぶ。



 まさに、『怖るる何ものもなし』だ。



END(2011.08.09)

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