神父さんと僕 その3―2

「なんか目、赤くない?雪男」

 休日はいつも昼まで寝ている燐が昼食を取りながら雪男の顔をのぞき込んで言った。
言われた雪男はわずかにビクッと身体を震わせた。

「目、かゆくて。ちょっとこすりすぎたかも・・・」

「ふーん?」

 納得したようなしないような返事を返しつつ、それでもそれ以上深く訊こうとはせず、燐が雪男を見つめる。

「そだ、虫取り行こうぜ。クラスの奴らが公園にクワガタの幼虫がいるらしいって噂してた」

「クワガタ・・・?いるかな」

「いるさ。腐った木の中にいるんだぜ」

 雪男がこちらに問うような視線を向けてくる。
獅郎は微笑んで頷いた。

「行ってこい。あんまり遅くなるなよ」

 急ぎ気味に食事の残りをかきこんで、燐が立ち上がり雪男の腕を引いた。

「じゃ、行こうぜ」

「ま、待って兄さん」

 慌てて兄を追いかける雪男の背中を見送り一息つくと、獅郎は食後の緑茶を差し出してきた長友を横目に睨んだ。

「雪男を泣かせたな」

「事実を教えただけですよ。ああ明け透けに表現されていたらたまらないでしょう」

「にしても、泣かせることないだろ」

 苛立たしげに獅郎がつぶやく。

「世間的には認められない感情なんですから雪男にも自覚してもらわないと。貫くなら誰にも悟らせないくらいでなければ」

「別に親子でいちゃついてたっていーだろー。まだ小さいんだし」

「もうごまかしが効かなくなってきてるんじゃないですか」

「・・・・・・」

「それに、俺は神父が恋人でも作って振ってしまった方が、雪男にとっては幸せだと思ってますよ。今一時的に傷ついたとしても、エロ中年の餌食になるよりはずっとマシです」

「なら、お前恋人役やるか?」

「嫌ですよ。これ以上嫌われ役やらせるつもりですか」

 心底嫌そうな顔で長友は獅郎を見下ろした。

「あきらめる気なんて、ないくせに」

 長友は背を向け、食卓を片付け始めた。

「・・・そうだな」

 自嘲の笑みが口端に浮かぶ。

「雪男の場合はそれが課題へのやる気に繋がっているから、一概に諦めさせた方が良いとも言えませんしね」

 それは獅郎も気付いていた。雪男に無理な課題を課しているのは分かっている。
慕情がその負担感を軽減するのであればそれはそれで良いことのような気もする反面、そうやって幼い恋心を利用してまで小さい雪男に無理を強いる自分の浅ましさ愚かしさが心底嫌になる。

(まあ、今さら、か)

 もともと雪男の兄への愛情を利用して、従順な子どもを大人の良い様に型に嵌めようと画策したのは俺だ。

「まあ、ああ見えて雪男は根性がありますから、そう簡単に諦めるとは思えませんけど」

 ため息混じりの長友の台詞は、まるで自分の方が折れて主張を諦めたように獅郎の耳に響いた。





 それから数日は表面上何もないように進んだ。
雪男が過剰にべたついてくることもなくなり、かといって課題に気乗りしないようでもなく、まるで時計を逆に回して、あの過ちが無かったことになったかのように平穏に過ぎていく日々。

 少し寂しく感じながらも、雪男が諦めたのならその方が良いだろう、と獅郎は思った。
ただ時折背中にふと感じる熱を帯びた視線が気にはなる。

 そんなある日、廊下の壁にもたれかかって、燐が暗い顔で俯いていた。
獅郎が通りかかるのを丁度待っていたようだった。

「とうさん」

「どうした」

 ただならぬ様子におそらく雪男のことだろう、と獅郎は思った。
いつも明るい燐を暗い顔に変えられるのは雪男だけだ。

「雪男、毎晩こっそり泣いてる」

 思わずため息が出る。
俺のせいか。
俺の・・・。
「何か思い当たることはあるか?学校でいじめとか」

「ない、と思う。俺が知る限りでは、だけど」

 燐の眉間にしわが寄る。
自分にさとられない様に泣く雪男を、わざと普段平静を保っているように見せかけている雪男を、気付いていながらも慰めることができず、歯がゆい切ない思いをしているのだろう。

「教えてくれてありがとうな、燐。俺が聞いてみるよ」

 燐の頭をぽんぽんと撫でる。
燐が弟を想う気持ちは純粋で、まぶしくもありうらやましくもある。
翻って自分を見れば・・・ため息しか出ない。
複雑な心境を押し殺して、獅郎は燐の髪をくしゃと混ぜるとその場を後にした。

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