み         ぐみ




磐田市二之宮地区のお祭を長年続けてきたが、今では「府八幡宮例大祭」に参加しています。(10月・第一/土・日曜日)
2日目の午前中
(10時頃から)に鹿苑神社に於いて、神社の本殿での本祭、浦安の舞の奉納に続き、拝殿前にて手古舞の奉納舞、花屋台の踊りが行われています。
皆さんも一度見学に行かれることをお薦めする。お祭本来の楽しさを味わえる。住民の手で一生懸命守り、創り上げていることを感じさせてくれる。もちろん、手古舞、お囃子は一級品である。2町が毎年交代で披露するため、両町とも負けまいと練習に精進し、切磋琢磨している。
(この地区では珍しい、み組の『白狐の舞』も見ることができる。)





昔の二之宮屋台/写真






         
          「王子喬と琴高仙人」

「王子喬と琴高仙人はともに長寿を象徴する仙人で、中国の前漢末、劉丘(りゅうきょう)撰と伝えられる「列仙伝」巻上に紹介されている。
この図は、天に王子喬、地に琴高仙人が描かれており、天と地から私たちを見守る構図となっている。


                         


鶴に乗る王子喬は周の霊王の太子晋であり笙を見事に吹いて鳳凰の鳴くような音楽を奏でた。
ある日、伊洛の地(河南省洛陽)に旅に出た際、道士である浮丘公(ふきゅうこう)に伴って五嶽の一つ崇高山に登ったまま帰ってこなかった。三十余年の後に探しに来ていた友人の桓良(かんりょう)の前に現れて「7月7日に私を侯氏山(こうしざん)の頂上で待っているように、家人に伝えてほしい。」と言った。そしてその日、王子喬は白い鶴に乗って来て山頂に止まった。 
家人たちは、見えるが其処まで辿り着けないまま王子喬は手をふり別れを告げ飛び去っていったのである。金鶴を、道士浮丘公、山々を五嶽に見立てて構成した図である。








鯉に乗る琴高仙人も中国、周(戦国時代)の趙の人で、琴の名手であったので宋の舎人(官吏)となった。

道士の術を修得し河南、河北の辺りを二百年放浪し、ある日、透水(とうすい)に潜って竜の子を取ってくるので水辺に祭場を設けて待っているようにと弟子たちに伝えた。
約束の日、琴高仙人は鯉に乗って現れ、祠の中に座した。多くの見物人がやって来たが、1ヶ月後に再び水中に去っていった。
仙人が読む書には、鹿苑神社の祭神である大国主命にまつわる因幡の素兎が書かれており、ゆったり鯉に乗り霊亀に誘われかのように波間に現れたり、隠れたりしている図である。











     見送り幕



「今之浦川に立つ天狗松、親子鹿

この図は、今之浦川西岸に立っていた樹齢500年の天狗松のもとに親子の鹿がたたずんでいる様を描いた見送り幕である。
天狗松には、町を守り、子供たちの守り神でもあった天狗が住んでいたと云われ、その天狗松のもとには鹿苑神社の神苑内にいたと云われる飾鹿が堂々と立ち、子鹿がそれに寄り添っている。
主題である親子の鹿は、親子の絆・家族の絆を表し、この地の子孫繁栄を祈念する構図となっている。
四方の縁を飾っているのは、百寿文字と言い、これらの文字は町民の永遠の多喜と寿命を表している。
左の写真は、見送り幕上段には、鹿苑神社の紋章である十六菊柄が輝き、そこから垂れる菊結びの飾り房が、見送り幕をより華やかに見せている。

 





山車仕様

山車の形式
 

 四輪、唐破風軒搦
 入母屋造り二層屋根
 白木造り



山車の人形

 
な し


作者・棟梁・年代

 1986
 昭和61年

 棟梁 小池 清
 彫刻 鈴木嘉一



山車の幕


 
水引幕 
 「仙人図」

 見送り 
 「親子鹿に天狗松」
 平成13年9月完成
 川島織物(京都)



山車の法

 幅   3000
 高   4350
 奥行 
4200


山車の彫刻


*上山前・鬼板「唐獅子

    ・縣魚「鳳凰

*  後・鬼板「風神

    ・縣魚「雷神



*胴山前・鬼板「桃太郎の鬼退治

    ・縣魚「

*  後・鬼板「天之岩戸

    ・縣魚「鳳凰


太平鰭・前「

太平鰭・後「



*欄間 ・前「鞍馬山

  「牛若丸・烏天狗

*欄間 ・後「

欄間 ・側面鳳凰

*欄間 ・下山前「唐獅子牡丹

*欄間 ・ 側面「竹に孔雀

        「鳥づくし



御簾脇・左

*脇障子・左右「松に鷲




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