【沿革】
2009年で創業100年を迎えました。

明治42年(1909) の10月、現代表の曽祖父森下武八が引佐郡都田村滝沢1-41(現浜松市北区滝沢町)、都田川と川名川の合流地で創業。当時は大きな製材用水車を使い、丸鋸で製材を行ってました。


大正14年(1925)の久留女木橋とマルモの製材所
久留女木橋は木製で、都田川の水量が豊富であることが分かる。

久留女木橋に佇む作業員。昭和35年(1960)撮影



昭和38年(1963)5月に撮影された工場の写真



昭和52年(1977)都田川ダム堤体工事着手した年。



昭和52年(1977)変圧器が見える。
●戦前
明治42年(1909)
明治42年(1910)
明治44年(1911)

大正時代
大正9年(1920)
大正12年(1923)

昭和2年頃
昭和7年(1933)
昭和13年(1938)
昭和14年(1939)
昭和15年(1940)
昭和16年(1941)


昭和18年(1943)

●戦後
昭和24年(1949)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和33年(1958)
昭和34年(1956)

昭和35年(1960)
昭和36年(1961)
昭和39年(1963)
昭和41年(1966)
昭和43年(1968)
昭和52年(1977)
昭和61年(1986)
平成5年(1993)
平成6年(1994)
平成16年(2004)

曽祖父森下武八が創業。山葉楽器がドイツ製合板鉋削機を購入。
天竜製鋸がはじめて丸鋸を販売。
柿板の禁止により柿板製造に打撃。

天竜川流域の水車製材がもっとも盛んにおこなわれる。
国産の丸鋸が販売。
関東大震災の復興に伴い天竜川流域の製材業が最高潮となる。

製材工場数の電化が進む。
南洋材がはじめて清水へ輸入される。
南洋材・米松の公定価格が設定される。
日米通商条約が破棄される。
用材配給統制規制が施行。木材公定価格が決定。
戦時体制下の木材統制法により小規模な製材所が整理統合。
木材統制のため、気賀・渋川の2か所のみ稼動。
県本社として軍用材の薪をつくっていた。
木炭車の燃料用の薪をつくっていた。


木材統制法が廃止される。
森林法の改正。伐出搬出の機械化が促進。
静岡県目立技術者養成所が発足。
送材車付帯鋸盤(バンドソー)を設置。
佐久間ダム完成。
木材取引税が税率2/100に軽減される。
伊勢湾台風で水車用えん堤が崩壊。水車をやめディーゼルエンジン導入。
秋葉ダム完成。
佐久間発電所が運転開始。
製材業の従事者の最低賃金がA地区240円、B地区220円に。
尺貫法がメートル法となる。
木造の久留女木橋を架け替え、現在の久留女木橋が完成。
都田川ダムの事業計画採択される。天竜市売木木材センター開始。
工場を現在地へ移転。
都田川ダム堤体工事着手。
都田川ダム完成。
米松丸太の取り扱い開始。
仕分け装置付オートテーブル導入。
T.S.DRYグループに参加。天竜杉の葉枯らし材を経営の主力に。
全自動プレーナ導入。
マルモ森下材木店 代表 森下 幸司
所在地 〒431-2201 浜松市北区引佐町東久留女木58-1
TEL 053-545-0926/FAX 053-545-0945
休日:日曜日、祭日、年末年始、夏休み
営業時間:8:00〜18:00
取り扱い品目:一般建築木材

NPO新月の木国際協会に加盟しています。
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