その2


「すごい・・・素晴らしい!!」

一足先に楽屋を出た紅蘭と内藤は、予告どおり格納庫に居た。

いつも一定の明るさを保った照明。辺りに満ちる機械油の匂い。

工具は当然として何かの壊れた部品と組み立てられてないパーツ達。


そして、格納庫と呼ばれる条件のように、

全長2523mm 乾燥重量728キロ。魔力・呪術の類を跳ね除ける『シルスウス鋼』で作られた

堅い装甲と、背中に搭載された蒸気併用霊子機関『光武』がそこに立っていた。

人が造り上げた、蒸気と搭乗者の霊力によってのみ稼動が許される、世界初の妖術戦専用霊子甲冑。

幾度と無く花組を支えていた機体だ。

色とりどりの霊子甲冑が雄雄しくも並び立つ。

機械に興味がある人間がこの空間に入れば、心躍る事間違いないだろう。

今、初めて入った男がそれを証明している。

「内藤は〜〜ん。あんまはしゃいだら落っこちてまうで。」

「あぁ、ご心配なく。」

簡単にしかし丁寧に言うと、何時の間にやら内藤は白い霊子甲冑の肩の上に乗っていた。 

光武の各部を興味深く『観て』いる。構造から規格、配線の一本一本に至るまで

内藤の興味は尽きなかった。

「この子はなぁ、大神はんがいつも乗ってたんやで。」

目の前の白い光武に手を当て、紅蘭はさも懐かしく言う。

紅蘭のいう『この子』は光武を指しているらしい。

「この光武に、大神隊長が・・・。」

尊敬している大神の愛機を足げにしているのがたまらなく失礼に思われたのか、

内藤は無言で光武から降りる。

「けど、今度からは内藤はんが乗るんやで、この子。」

薄ら笑いを浮かべて、紅蘭が得意そうに言う。

「え、自分が・・・大神隊長の光武にですか?」

「そうや、大神はんは、巴里から『光武F2』をもって帰って来てるさかい。

『光武・改』は内藤はんが継ぐんや。」

内藤はそれを聞くと、無言で『光武・改』の装甲に手を当てる。

心地よいのは、装甲の冷たさだけではないはずだ。そして、

「・・・よろしくな。」

と、小さく呟くと『光武・改』から手を離す。

「内藤はんもホンマに機械が好きな人なんやなぁ・・・。」

側に居る紅蘭が恍惚にも似た顔を浮かべて居る。

「昔から惹かれるんですよ。」

内藤も珍しく笑顔を向ける。機械の事になると人が変わるようだ。

「いいなぁ、うちと同じや。山崎はんもそんな感じやったんかなぁ・・。」

内藤から目をそらした紅蘭が不意に口にした兄の名前。

こわばった顔が見られなかったのが幸いと言えよう。

米田以外の誰か知っている人間に会うかもしれないと思っていたが、

不意に言われるとやはりこわばってしまう。

「内藤はん、山崎はんのこと知ってるんかいな?」

「えぇ、光武にあこがれる人ならば、知っていて当然でしょう。」

帝国陸軍・対降魔部隊 山崎真之介少佐 やはり自らの肉体と刀とで降魔と戦い抜き、

その片手間に、降魔との戦いにおいて圧倒的に不利に立つ人員数。

そして自らの肉体の防御力の低さ、それをいつか覆さんとして

『虎型霊子甲冑 光武』の設計をしていたという。まさしく天才の所業だ。

しかし軍上層部が駄目だしをしたのは、光武の設計も完成し、

すべてが成功に終わると思った矢先の事だった。

そして山崎少佐は失望のさなかに戦地に赴き、そして行方不明と化してしまった。

それ以来、内藤はただの一度も兄には会ってはいない。

その気持ちが、内藤を士官学校に通わせたのかもしれない。

「うちは設計図に書いてあった名前しか知らんへんけどな。

きっと機械を愛してくれてるお人なんやろな〜。」

紅蘭の言葉に内藤の目の色が変わった。

「設計図?!設計図を持っているんですか?」

途端に内藤は紅蘭に詰め寄った。

「ちょ・・・痛い、痛いで、内藤はん。」

気づけば、内藤は紅蘭の両肩をわしづかみにしていた。これが帝劇一の巨漢のカンナならばともかく、

紅蘭のきゃしゃな体では、内藤の力は強すぎる。

「あ、すいません・・・つい。」

機械の事となると我を忘れる。それも設計図ともなれば大変な代物だ。

「ええよこんぐらい、それよりちょっと待っててな。」

そう言うと紅蘭は途端に走り去ってしまった。話の流れから行動は読み取れるが、確信はもてなかった。

そして不意に発生した暇な時間も、そこが格納庫となれば内藤は苦痛にも感じない。

しばし立ち並んだ『光武・改』を眺め、独り言を言う。

「設計図なんて・・・軍上層部にしかないと思っていたのに、こんなところにあるとは・・。」

光武の影から不意に人の気配が発生する。

内藤も途端にそちらを振り向く。

内藤の場所、大神機『光武・改』から三体目の場所。

黒い機体の影から、機体と同じく黒い服に身を包み、黒と反発も協調もしあうプラチナブロンドの髪、

その機体の搭乗者自身が出てきた。マリアだ。

「紅蘭はどこに行ったの?」

会話は聞いていて知っているであろうが、敢えて聞く。

相手がどういう行動をとるかで、その人間の内面部分を読み取ろうとしているのだ。

そのせいか、もしくはマリアの心境か、目は限りなく冷たい。

「いえ、ちょっと待っててくれと言って、走っていきましたが。」

「そう。」

短く言うと、黙り込んでしまった。

そのまま、二人の間に重い沈黙が生まれた。マリアが内藤を睨んでいるのが、より威圧感を増幅させた。

怒りに燃えての『睨み』ならまだしも、見据えた相手を凍らせんとばかりの冷たい目だ。

睨み返せれば幾分かは楽であろうが、なにしろマリアを睨む理由が内藤には無かった。

「あ・・・マリアはん。」

どれほどの時間か、ようやく紅蘭が戻ってきた。両手に丸めた紙を大事に抱えている。

色のすすけ具合、擦り切れ方、傍目に見ても古いものだと解る。

「紅蘭、どこに行ってたの?」

やはり短い。

「ちょっと、これとって来ただけや。」

「内藤少尉を置いて!?」

古い仲の紅蘭とは、さすがに苛立ちが隠せない。あの冷たい目は、無差別に使うものでは無いらしい。

少なくとも仲間には使わない。

「わかっとるがな、こんな短時間やったら無理や。」

紅蘭が言い切った。機械、ましてや光武の構造を知らぬマリアには、太刀打ちできるものではなかった。

しかし外装に簡単な装置を取り付ける事ぐらいなら、ひどく簡単にできそうにも思える。

「それより内藤はん、これがうちの宝もんや。」

紅蘭は、惜しげもなく格納庫の床に広げる。

一つの絵に幾つもの書き込みがあり、あらゆる箇所に説明が書いてある。

そして異彩を放つ、一つの名前を発見する。

『山崎真之介』

紛れもない、光武の設計図だ。

マリアも一瞬あっけに取られたが、すぐに内藤のほうを向き直る。

「(今は、この男が何を考えているかが重要だわ・・・。)」

感動か、それとも別の何かか。なぜ、内藤の目が涙でにじんでいるのかが、マリアには解らなかった。

「本物の・・光武の設計図・・・あ・・。」

しかし、最後の言葉だけは聞き逃さなかった。かすれながらも、確かに『あいつ』と言ったのだ。

内藤の知る者が居る確証にもなった。

「どや、内藤はん。すごいやろ。」

「えぇ、感動ですよ。これが光武の設計図なんですね。初めて見ました。」

二人ともひざを地面につけ食い入るように、床の上の設計図を見ている。

「この部分・・・ちょっと配列がおかしいですね。」

「あぁ、初代光武の、しかも設計図やさかいなぁ。」

「・・・霊力変換率優先型ですか。いい型ですね。」

光武には、大きく三つの流れがあった。

光武の様に、霊力変換の効率を高め、搭乗者の力を十二分に発揮するというもの。

もう一つが、光武の後衛機にあたる、『神武』の様に、霊子機関を二機、直列に配置する。

さらに都市エネルギーと呼ばれる、蒸気・霊力に続く第三のエネルギーを利用した『天武』

しかし、光武の『搭乗者の能力の最大限に引き上げる』という事になれば、

その力は『神武』『天武』の力を凌駕することは判明された。

山崎真之介の『光武』の設計思想と先見の明によるものである。

「そや、これが光武の完成形やね。まぁ、これが描かれた頃やったら、光武一機でも大仕事や。」

マリアを置いて話がどんどんはずんでいく。

気の会うもの同士と、気の会わないもの一人では、よくある光景かもしれない。

「紅蘭、そろそろ明日の稽古の準備よ。貴方も出番でしょう。」

途端に普段の口調に戻る。内藤が設計図を見ているなら、ここが正念場といったところだ。

「あ、そうやったわ。内藤はん今日はこの辺やな。」

紅蘭はそういうと、サッと設計図を丸めてしまった。

内藤は名残惜しく紅蘭の姿を眼で追っている。

「はい、今度ゆっくりと。」

笑顔で返す。

紅蘭もそれを見るとニマッと笑って駆け出して行った。

格納庫に紅蘭の足音だけが響く。まだ、人が二人もいるというのに限りない静寂がそこにはあった。

「少尉、話があるわ。」

帝国華撃団・花組は、軍に所属しているとはいえ花組の面々に階級は与えられていない。

一応、大神は花組隊長ゆえマリアは敬語を使い、呼び捨てを許可した。

しかし、そうでないものには厳しい。

「何でしょう?」

内藤もそれに合わせる。合わせなければマリアの雰囲気に飲まれてしまうだろう。

「戦闘時におけるミスは、私が許さないわ。もし・・・・」

マリアの目は、限りなく冷たくなった。

「もしも、貴方のせいで花組全体に危険が及ぶとなったら、躊躇わないわ。」

喋りながら、指を伸ばした右手を胸の前で止める。

その先は、上着の中。左肩のホルスターに包まれた、ひとつの銃に向いている。

イギリス製・エンフィールドをマリアが手を加え、

エンフィールドの原型が無いに等しいマリアの愛銃『エンフィールド 改』

内藤がスパイであると確信したならば、銃口は、微塵の躊躇いも無く内藤に向くであろう。

気を張っていたおかげか、内藤の気後れは、最小限に留められた。

「今、信じてくれというのも無理な話ですが、私も信念と『戦う理由と因縁』を持っています故、

そのような事にはならないかと。」

「それは、後で決めることよ。」

静かに、右手を下ろす。

「明日、歓迎会の意味も込めての劇があるわ。よかったらどうぞ。」

何の感情も無く、何の心の高揚も与えさせない言葉。

そしてマリアは格納庫を出て行く。あまりにも静かすぎ、生命の躍動も感じさせないほどだった。

「内藤君、ここに居たのか。」

「大神中尉・・・。」

大神の登場でやっと息がつけた。あのような状況では気が張ってしまう。

「どうしたんだい、疲れてるみたいだけど?」

「いえ、旅の疲れというやつでしょう。」

さすがに、マリアと一悶着あったとは言えはしない。

「ならゆっくり休むといい。君の部屋に案内するよ。」

「あ、お願いします。」

立ち並ぶ光武に後ろ髪を引かれながら、内藤は格納庫の扉をくぐった。

 

 

階段を上がり、地下と一階をつなぐ階段の前に出る。

「こっちの奥が、鍛錬室。あとプールやお風呂、医務室もこっちにあるから自由に使ってくれ。」

「解りました。」

大神は思い出したように、ふっと立ち止まり内藤の方を向いた。

「あ、あと。花組のみんながお風呂に入ってるのを、覗いたりしないでくれよ。」

「しっ、しませんよそんな事は!!」

むきになって否定するところを見ると、内藤はそういう事には慣れてないらしい。

「大神中尉も、ずいぶんくだけた人なんですね。」

しかし、大神は少し考えこんでしまった。

「う〜〜ん、くだけたかぁ・・・どうだろなぁ。」

自問自答をしている大神の姿を見て、内藤に一つの言葉が浮かんできた。

となれば言うのは至極、容易な事だ。

「まさか・・お風呂を覗いたりしませんよね・・。」

「い、いやぁ。体が勝手に・・・・。」

なぜか即答してしまう大神。内藤は込み上がる笑いに耐えられなかった。

「はははははっ、やっぱりくだけた方ですね。」

「そ、そうかな・・。」

「こんな冗談言えるのに、堅いわけ無いでしょう。では案内をよろしくお願いします。」

「あぁ、こっちだ。」

一回に通じる階段を上がりながら大神は心の中で呟いた。

「(冗談じゃ・・・・なかったんだけどな。)」

 

階段を上がり、そして更に上っていくと二階を超え、とうとう屋根裏部屋まで来てしまった。

「ここが君の部屋だ。」

屋根裏部屋といってもほこり等はたまってなく、逆に窓から入って来る光がすがすがしい。

広さは畳八畳ほどだろうか、置かれているベッドと机が、質素さを引き立てている。

「いい部屋ですね、結構落ち着けますよ。」

「気に入ってもらってよかったよ。俺の部屋はサロンの隣だから、何かあったら来てくれ。」

「解りました。」

内藤は一礼する。

「じゃあ俺はこれで行くよ。あ、内藤君も事務所に行って、着任届けを書いとくんだよ。」

「事務所ですか・・。」

苦笑いをうかべる辺り、あまり行きたくない場所らしい。

「ああ、ちゃんと書いておくんだよ。」

「・・・・はい。」

 

「あ、内藤さん。聞きましたよ〜。」

事務室に響く歓喜の声。こんな声を出すのは一人しか居ない。

「あ、・・・着任届けを書きに来ましたが・・・藤井さんは居ないみたいですね。」

「え・・・・?」

由里のきょとんとした顔が、内藤には不思議でたまらなかった。

「え・・・前は隣に・・・。」

「あ、あぁ!かすみさんの事ですね。苗字で呼ぶことなんて無かったもんな〜。」

日常で、かすみと呼んでいるのだろう。堅苦しくないところが花組らしい。

しかし、由里はそんな事はそっちのけという、興味津々な顔をしだした。

「そ・ん・な・こ・と・よ・り・も、誰のブロマイド買うんです?」

「やっぱり・・・。」

内藤にして見れば、それだけで何の出来事か理解できた。

売店の居た時に買わなかったのが、由里の耳に届いたのだ。

「ねぇねぇ、誰のを買うんです?ひょっとして紅蘭さん?それともレニさん?」

「な、なんでそうなるんです、なんで!?」

「え?違うんですか・・・じゃ〜ほかの六人の内の誰です?」

内藤が事務室を避けたがる理由はこれだけなのかもしれない。

ただでさえ噂話になりやすいであろうに、苦手な色恋沙汰となれば、内藤は気後れしてしまうだろう。

「いや・・・それは・・・。」

「アイリスのファンの方は、みんな恥ずかしそうにブロマイド買ったりするそうなんですけど、

内藤さんもその口ですか?」

「由里、あんまり内藤さんをからかわないの。」

内藤にとっての救いの声が来た。

「あ、藤井さん。」

やはりきょとんとする。

「あら、やだ・・苗字で呼ばれるの久しぶりに感じるわ。」

「でしょでしょ、苗字で呼ぶのなんて男の人ぐらいですもんね。」

「私の事は『かすみ』で結構ですよ。」

紅蘭や由里に比べ、おしとやかなかすみにそう言われると、なぜか余計に緊張してしまう。

「はい、・・かすみ・・さん。」

内藤の言葉に、かすみも少し赤くなったのは、気のせいであろうか。

「でもかすみさん、私達のブロマイドがあってもいいと思いません?

そうすれば、内藤さんに買ってもらえるかもしれませんよ。」

「だって、私たちは役者さんじゃないし・・・」

「今度椿に頼んで作ってもらいましょうよ。かすみさんだって昔お客さんに

『あなたのブロマイドはありませんか?』って言われてたでしょ〜〜〜〜。」

どうやらこの『噂話』は事実らしい。かすみは、途端にあわてだしてしまった。

「なっ、何でその事を知ってるのよ!!」

由里は得意げに笑い出す。由里が一番すこやかな時間だ。

「私は、帝劇一の情報通ですからね。」

「まったく・・・なんでこんな事まで・・・。」

やはり呆然と見ているしかなかった内藤が本題に戻す。

「あの、着任届けを書きに来たのですが・・・。」

「はっ、はい。ではこちらにお名前を。」

「はい・・・・で、では失礼しました。」

内藤はペンを置くと、そそくさと出て行ってしまった。

気軽な由里からすれば、この二人の光景は不思議でならない。

(・・・何で、帝劇はこの手の話に弱い人ばかりなんだろ・・・?)


 

帝劇の中を自分なりに回り、花組との語らいの中で終えた食事も終わり、

夕刻もとうに過ぎた、晩酌一杯後にあたる風がとうに心地よいものとなった四月の帝都。

「明日は、みんなの公演だからちゃんと休んでおくんだよ。」

内藤の部屋に大神が尋ねてきた。夜の見回りのついでだという。

「気になってたんですが、明日の劇はどんな感じなんです。」

劇と舞台。どっちを言うかでその人の思い入れが感じ取れる。

内藤のような者には、『舞台』と呼ぶ機会は少なくてしかりだ。

「あぁ、昔もやったんだが『愛ゆえに』と言ってね・・・。」

愛ゆえに』…

それは、大神が帝劇に配属されて、初めて見た花組の舞台だった。

同時に、さくらが初めて主演で舞台にたった演目でもある。

時はフランス革命のさなか、マリアが演じる貴族のオンドレ。

そしてさくらが演ずる花売り娘のクレモンティーヌ。

フランス革命を前にした貴族と庶民の娘。当時その間に大きな壁があった事は言うまでも無い。

それを乗り越えて描かれた禁断の愛の物語。

花組公演では連日の満員御礼を受けた、花組を代表する公演とも言えるであろう。

「感動物ですか・・・、いいですね。」

「あぁ、俺はモギリがあるから見れないけど、ゆっくり楽しんでくれ。」

「モ、モギリ!?あの、切符切りのモギリですか?」

花組の隊長ともあろうものがそんな雑用をしているとは、軍の誰もが思いもしないであろう。

「そうだよ。お客さんの切符を切り終わってからだから、少し後になるかな。」

「歓迎会の意味も込めてと聞きましたが、それじゃ意味が・・・。」

大神が、米田の心理を読み取った風に喋りだした。

「劇場のモギリが俺の仕事だったからね。お客さん一人一人と接し会うことができるし、

なにより、帝劇に帰ってきたって気がするのさ。」

内藤のような軍人には、こんな事言っても到底理解出来ないであろう。

ましてや一個隊の隊長がモギリなのだから無理も無いかもしれない。

「ははっ、俺も昔は内藤君のような事思ったよ。けど、ここで暮らしていたらきっと解る日が来るよ。」

「そうなんでしょうか・・・・。」

なんとも怪訝そうな答えだ。

「じゃあ、ゆっくり休んでくれ。あと服はもっと簡単な服でいいからね。

軍服じゃあ目立っちゃうから。『秘密部隊』なんだからね。」

「解りました。」

「じゃあおやすみ。」

大神が含み笑いをしながら立ち去っていくのが、内藤には不思議でたまらなかった。

 

 

「幕が上がるとまぶしい世界。」

「帝劇に夢を見に来ている。」

花組の舞台を見た誰かがそんな事を言った。

煌びやかな踊りでもなく、完成された演技でも無く、照明効果の明かりなどでもない。

そのすべてが集まり、まとまった姿こそ舞台を輝かせるのだ。

そして人々を感動させ、涙を流させることができるのは、さすが帝劇・花組といえるであろう。

そして、そんな中で一番評判のよい『愛ゆえに』は初日にして満員御礼を迎えての舞台となった。

久方ぶりのモギリに悪戦苦闘しながらも大神は何とか仕事を終えた。

売店の椿に、軽く手をあげて挨拶をし、二階に向かっていく。

二階の特等席といえば十五円もの大金だ。

職工の人間の一日の稼ぎが二円と考えれば、庶民の手に届きにくい物となっている。

40銭ほどの立見席も当然用意してあるが、立つのは金を惜しんでいるものだけ。

花組ファンの江戸っ子から言わせると、

「花組の舞台を見るのにケチケチしちゃいられねぇ。」

といったところである。

大神はともかく、内藤は事前にチケットを貰っていたため特等席に座っている。

一ヶ月前、米田から手渡されたときは何かの冗談かとほうっていたのがようやく意味のある物となった。

大神が静かに、二階の扉を開く。

観客席にできる一筋の光。芝居中とはいえそれに振り向くのは、内藤だけだった。

大神だと気づいたのは、扉が閉まり、逆光が無くなってからだ。

「大神隊長、お疲れ様です。」

席を立ち、扉のところにまでやってきた内藤がささやき声で言う。

舞台を観ている人の事を考えるのは当然のマナーといえよう。

「いや、席でゆっくり見ててくれてかまわないよ。」

「いえ、座っているよりよく見えますので、客席で立ち上がるわけにも行きませんからね。」

扉のそばの壁に、大神と並んで背をつける。

 

舞台の左に、白い軍服に金髪のオンドレ。そして舞台右には町娘のクレモンティーヌ。

舞台も終盤。二人の決意の台詞が飛び交う。この場面に泣いた者の数は少なくない。

「部下も使命も捨てて逃げ出す私など、もはや私ではない。そんな私を、あなたは愛せるのか?」

「オンドレ様ーーーー。」

クレモンティーヌがオンドレの元に走っていく。

昔、この場面でさくらが舞台袖の幕を引っ張ってしまい、舞台が崩壊し公演は中止となった

苦い思い出もある場面だ。大神には懐かしさで胸がいっぱいだ。

「やっぱり・・・すべてが懐かしいな・・・ここは。」

感傷に浸りながら、内藤の方に目をやると、真剣な眼差しからひと筋の涙が流れていた。

「(内藤君も、舞台の素晴らしさがわかってくれたか・・・・・・・・待てよ。)」

内藤の姿に違和感を感じる、何かが違う。もしくは足りないのだ。

「ふふ、柄にもありませんね。涙なんて枯れたと思っていたのに。」

微笑を浮かべながら左手でクイっと涙をふき取ると、また舞台を見はじめた。

そしてまた、目に涙が浮かんでくる。

「(涙が・・・・・左目からしか出てない・・・。)」

大神が気づいたときには、幕は降り観客席から惜しみない拍手が送られているときだ。

内藤も、軽く手を叩いている。

「(そういう体質なのかな・・・・?)」

「では、行きましょう。人の邪魔になりますし。」

「あ、あぁ。じゃあ楽屋に行こうか。」

 

「隊長、お疲れ様です」

楽屋の前に、舞台衣装の白い軍服を見事に着こなした姿のままのマリアが立っている。

大神の後ろには内藤がつき、マリアの後ろにはメイド服姿の紅蘭とアイリスがひょっこりと顔を出した。

「やっほー、大神はん。」

「ボンジュール、ないとうさん。」

愛ゆえにの役どころのおかげか、紅蘭の三つ編みが解けている姿が印象的だ。

アイリスも緑のメイド服が妙に似合っている。

「みんな、お疲れ様。」

「どうしたんや内藤はん、目ぇ赤いで。」

紅蘭は、大神のねぎらいの言葉もよそに、内藤の異変にいちはやく気づいた。

「いや・・・・劇が素晴らしかったので・・・つい。」

その言葉に反応したのはマリアだ。

「あら・・・・ちょっと意外だわ。」

「いいじゃない。ないとうさんも舞台にかんどうしてくれたんだから。」

アイリスがフォローする。

「内藤君は、舞台で誰がお気に入りだったんだい?」

「うちやろ、うち。な〜ってば。」

「アイリスだもん。ね、ないとうさん。」

「いや・・・・それは・・・その・・。」

やはり内藤には決めれないらしい。

場を眺めるマリアをチラッと見たりもするが、アイリスと紅蘭の攻撃に押されてしまう。

張本人の大神と言えば、

「(自分をからかう時の米田支配人は、こんな気持ちなのかな?)」

などと、日頃自分がされている事に考えをよぎらせている。

「騒がしいかと思ったら、みんな何やってんだ?」

舞台袖から出てきたのはカンナだ。

普段着のタンクトップと上着はほこりにまみれ、ところどころが汚れている。

『愛ゆえに』では出番の無いカンナは、今回は裏方に徹したらしい。

「舞台ん中で、内藤はんのお気に入りはだれかっちゅう事や。」

「なんだ、ならあたいは関係ねえか。」

「カンナもご苦労様。普段なら俺の仕事なのに。」

力仕事は男の仕事。とでも言いたかったのであろうが、

『帝劇一』つまり大神より遥かに力のあるカンナにとっては手伝いどころの騒ぎではなく、

足手まといになりかねない。

「はははっ、無理すんなよ隊長。セット持ちあげるのはさすがに力いるぜ?」

カンナでも力がいるというならば、大神には持ち上げる事すらかなわないだろう。

「で、内藤少尉は誰がお気に入りなんだって?」

「さくらはんかマリアはんかと睨んどるんやけどな。」

「い、いいじゃないですか、誰だって・・・。」

「内藤君、本人たちの前でそれはないぞ。」

大神の言うとおり、花組の面々からすれば、自分らに関係あることでもあり、

異性に想われていると聞いて、気にならない女性はけっして少なくないだろう。

不意に、楽屋の扉が開いたかと思うと

「あら、大神さんがそんな事言ってて、いいんですか?」

さくらが話に割り込んできた。表情には余裕すらうかがえる。

「あ、ああっ・・・さくらくんどうしたんだい?」

「いえ、別に。皆さんの声が聞こえたもんですから。」

話のどの部分から聞こえていたのかが問題だが、見計らったように出てきたところを見ると、

最初から筒抜けだったのだろう。

「内藤さん、舞台はどうでした?」

「いや、素晴らしい限りでした。特にマリアさんとの最後のシーンが感動でしたよ。」

「ありがとうございます。応援しててくださいね。」

「あ・・・・いや・・・さくらくん?」

「あ、内藤さん。目が赤いですよ。ひょっとして・・・。」

「お、やっぱ気づいたで。」

「内藤さん泣いちゃったんだよ〜。」

「え、ええ・・・まぁ・・。」

少し恥ずかしげな内藤とノリノリなさくらを軸に、会話が成り立っていく。大神を置いたまま。

「ほらっみんな、いつまでも舞台衣装のままには行かないでしょう。早く着替えるわよ。」

マリアはそう宣言すると、衣裳部屋に入っていってしまった。

「ほな、うちらもぼちぼち、着替えてきますわ。」

「あ、アイリスもー着替えてくる〜。またねー。」

メイド服の二人も、いそいそとマリアを追いかけていく。

「なぁ、内藤少尉、ちょっとつき合ってくれないか?」

「えっ、どこへ・・・・ですか?」

「そんなもん来りゃわかるって。ほらっ行くぜ。」

「はっ、はい・・・。」

内藤は、カンナに引きずられるように行ってしまう。

「私も部屋に戻りますからこれで失礼します。」

さくらもお辞儀をすると、スタスタと部屋に戻ってしまった。

 

「なぁ・・・みんな・・・・?」

普段の言動か、それともたった一言の言葉か、はたまた両方か。

それらの事柄が大神を一人、楽屋の前に立ち尽くさせていた。