第弐話 「人と心と人間と」

 

その1

 

蒸気自動車、蒸気バスや帝鉄が街中を走り、蒸気機関の排気音が珍しくなく街中にこだまする。

西洋文化をいち早く取り入れ、モダンな造りの街並みと共に発展していく帝都・東京

そして銀座、『大帝国劇場』

この場所こそ帝国歌劇団・花組が歌い踊り、人々に夢と希望を魅せ、

帝国華撃団・花組が幾度となく命を賭け、帝都を守ってきた証といえよう。

その場所を目指し、数台の蒸気自動車が走り抜けていく。

誰でもない、この帝都を守ってきた花組である。

その花組で唯一の部外者、内藤も当然乗っている。

突然の入隊者に疑問を隠せない花組達。

しかし花組の隊員自体こそ、元・帝国華撃団 副司令 藤枝あやめの

全世界を股にかけた働きにより集められた人材であり、突然に隊員が増えるのはいつもの事だった。

しかし、興味本位の会話もとどまるものではない。

「なぁ、実際のとこさぁ、内藤少尉の事どう思う?」

「・・・なんとも言えないわ。」

同じ蒸気自動車の後部座席に座ったマリアとカンナが何かを危惧するように言いあう。

そして助手席にちょこんと座っているアイリスもいつになく真剣な顔をして言う。

「内藤お兄ちゃんも霊力は・・・高いね。」

花組結成の時からの最古参メンバーである三人が話し合う。

一つの団の中に一つの不穏分子が入る事により、団自体が危機になる事は何時の世でも同じ事。

例えそれが、剣の時代でも政治の時代でもだ。

そして帝国華撃団・花組も一度そのような場面があった。被害は米田の入院とレニの洗脳だった。

いずれも戦い抜いたが、敵方のスパイが米田の秘書として配属され戦いで命を落としたのも

彼女らの記憶には新しい。

「けど、ていげきに来たんだから、大丈夫だよ。」

「そだな。あたいらが信じてやらねぇとな。」

何時ものように明るく笑うアイリスとカンナだが、マリアはまだ何かを感じていた。

「(けど・・・内藤少尉の過去を隠している様な・・・)」

上野公園での米田が声をあげた場所から推測したのだろう。

『内藤の兄の事』は結局何を解らないままだった。

機械に通じていて、おそらくは高い霊力の持ち主であり、米田も知っている人物。

推測できるのはこの辺が限界だろう。

「ほらっ、マリア。な〜に難しい顔してんだよ。」

「ふふっ、ごめんなさい。」

カンナの言葉にマリアも微笑する。

「マリアは心配しすぎだよ〜。ほらぁ、ジャンポールもマリアのこと心配してるよ。」

助手席から身を乗り出してマリアの前にジャンポールを運ぶアイリス。

「ごめんなさいね、ジャンポール。」

そう言ってジャンポールに手をやる。いつものマリアでは見られない光景だ。

「えへへ、よかったねジャンポール。」

ジャンポールの手柄の様に喜ぶアイリス。

 

「ああ、もうっ。せまっ苦しくてかないませんわ。」

別の蒸気自動車では、すみれの金切り声が響いていた。

紅蘭がバイクで帰ったのが幸いとは言え、後部座席中央にレニ、

それを挟むようにさくらとすみれが、助手席には織姫が座っている。

そこまで狭いとは言えないが、いつも後部座席を独占しているすみれにはひどく狭く感じるのであろう。

かといって、別のグループに誰か入れるほど気が利かないわけでもない。

「そうですか?けっこう快適でーす。」

「織姫さん・・・余りそう言う事は・・・・」

「すみれさんが助手席はイヤだって言ったでーす。」

「そうだね。」

「くっ・・・・。」

つい口ごもってしまうすみれ。

「内藤少尉達も居たし、しょうがないよ。」

そっけなくだがレニがたしなめる。

「けど、内藤少尉が突然着任なんて・・・・どうしたんでしょうね。」

「・・・覚悟はしておいた方がいいよ。」

「・・・え?」

「どういう意味ですかー?」

呟きのようなレニの言葉。その意味を理解できたのはすみれだけだった。

手に広げていた扇子をパチンと閉じると、すみれは口を開いた。

「帝撃・花組に新しい人が来る、ということは新しい戦いもくる。ということですわ。」

不意にさくらの顔が寂しくなる。

「そうですね。今まで大神さんや、織姫さん達がきた時もそうでしたしね・・。」

花組の過去を紐解くならも、人が配属されるたび戦いは確実に起きていった。

大神が配属された次の日には、黒の巣会による「第二次 降魔戦争」の幕開けともなり、

織姫とレニが配属されたならば、黒鬼会と当時の陸軍大臣『京極慶吾』による

「第三次 降魔戦争」は記憶に新しい。その戦いも幾度と無く花組は戦い抜いてきた。

ちなみに第一次降魔戦争は、帝国陸軍・対降魔部隊 真宮寺一馬大佐の文字通りの

『命を賭けた』働きによって解決された。対降魔部隊の人間が半分になったという犠牲付だったが。

「少尉が、どれほどの者かも気になりますわね・・・・。」

「大丈夫だよ、心配しなくても。」

重い雰囲気になっていく車内に、それを打ち破る声が出た。レニだ

それを聞くと、さくら、すみれ、織姫までもが驚愕の色を浮かべている。それも無理は無い。

レニが誰かを認めるなどめったに無い。唯一認められた者と言えば、やはり大神であろう。

「レニが言うならダイジョブですねー。」

「そうね・・レニが言うなら。」

話は何とかまとめられようとしていた。すみれはまだ何か言いたげだったが

「そういうことにしておきますわ。」と、閉じた扇子を開き直し、顔半分隠しながら言った。

物足りなさそうなすみれを横に、レニが再度言う。

「あぁ、大丈夫。」

 

 

「なぁ、内藤。おめえはよ・・・・・何のために戦ってる?」

唐突な米田の質問。内藤は答えが決まっていても慌ててしまった。

この蒸気自動車には運転席にはかえでが、大神が助手席へ、内藤と米田が後部座席に座っている。

助手席からでは内藤の細かい動作や気が読み取りにくい故、

質問が不器用な大神に代わっての米田の策であろう。

しかし、米田は内藤の方を振り向く事は一度もしない。

米田は問いかけをして黙っている。内藤の答えを無心に求めているのだ。

大神も同じく黙っている。余計な横槍を入れないため、自分の答えを見出しているが故。

「自分は、鬼を倒すために戦っていますが・・・?」

幾度と無く聞いた、米田には解りきっていた答えだ。

それの再確認のような質問に疑問の色を隠せない内藤。

「ふぅ」と短い溜め息を吐くと、窓の外を見つめる。流れる景色のなんと物思わせな事だろう。

「鬼を倒して・・どうする?」

座席にだらしなく腰掛けた米田が言う。その風体は『中将』ではなく明らかに『支配人』になっている。

「・・・それが我が一族の宿命ですよ。いつ果てるともしれない鬼を倒し続けることが。」

決意とも、憎悪とも言える顔をする内藤。それには米田も、何も口を出さなかった。

一族の宿命・・・さくらの真宮寺家も、人々に仇名す邪悪な敵を打ち滅ぼすための

『破邪の血』が受け継がれている。

どうしようもならなければ、放棄するほどその宿命は軽くは無く、無責任に投げ出す事もできない。

誰かの為、自分以外の人の為の自分の命。

帝国陸軍所属・真宮寺一馬

つまりさくらの父親の命を賭けて帝都を守り散っていったその姿を見ている米田には解っている。

しかし、だからこそ米田には納得いかなかった。

「なぁ、もし・・・もしもよぉ、この世から鬼が居なくなったとしたら、おめぇどうする?

戦いをやめるか・・・・それとも。」

米田は、それ以上は言わなかった。それ以外の内藤の答えを聞きたかったからだ。

「いえ、終わる事は・・・。」

「内藤君、仮の話だよ。もしもの事さ。」

たしなめる様に、努めて明るく言う大神。しかし大神も米田と変わらぬ心であろう。

『戦いが終わって、その後内藤はどうするか?』だ。

暫く考え込み、内藤は口を開いた。

「自分には・・・解りません。今が精一杯で、未来なんて想像出来ません。」

不甲斐なく、今戦うことしか頭に無い事の表れだろうか、どこか悔しそうに言い放つ。

「ふぅ・・・。」

米田は肩を落とし小さなため息をする。米田の予想通りの答えだったのだろう。

男三人のそっけない会話に、かえでが参加する。

「内藤君は、好きな人はいるの?」

「えっ??・・・いやっ・・あぁ。」

会話の切り替えに頭が付いて行けない内藤。

かえでの突然の質問に動転してしまったのかあるいは、元よりこの手の会話は苦手なのかも知れ無い。

「いえ・・・自分には居ません・・・。」

どこか思わせぶりな内藤の答え。

「好きな人や、憧れた異性とか、そんな人は居ないの?」

「いえ、士官学校から陸軍省に詰めっぱなしでしたから・・・。」

「そうかい?航海演習の時でも、俺は新聞見て憧れたりしたけどなぁ。」

年齢的にも、年が自分に一番近い大神の指摘に内藤はうろたえる。

陸軍と海軍の違いはあったとしても、嘘は付けないし隠せない。

一つしか年の違わない大神には、自分の置かれていた環境がすべて知られているからだ。

「なんでぇ、本当はもう居やがるたちか。若けぇってのはいいよな。」

米田も、何の話かは解らないでも、かえでのもくろみに乗る事にしたようだ。

「いえ、本当に・・・・。」

「うふふっ、まぁいいわ、ほら帝劇が見えてきたわよ。」

どれほど話していたか、帝劇はもう目と鼻の先だ。軽やかな運転で、かえでは正面玄関前に車を止める。

大神は静かに、しかし心は躍らせながら車を降りた。

そこには西洋ヴィクトリア調の壮大な存在感。ある意味では、大神は神々しささえ感じていた。

そして、大神は深呼吸を一つすると、目の前の建物を見上げた。

独特の雰囲気と懐かしさ、これまでにこの帝劇の前に立った時の事、

今までの戦いの事、皆とやった舞台の事、

モギリをしていた時に見たお客さんの笑顔。そして、ほんの少し、巴里の事を思い出した。

しかし、思い出はそこまで。

目の前に有る帝劇の存在が、大神を『今』という時の上を歩かせる。

「・・また、帰ってこれたな。」

誰に言うわけでもない、大神のひとり言。米田とかえでは微笑ましく見つめているが、

言葉を発し様とする気はまったく無い。その様子を内藤はじっと見つめているだけだった。

内藤が沈黙を破ろうとした時、背後から蒸気自動車のエンジン音が聞こえてきた。

「キィーーーーーーー。」

蒸気自動車のブレーキ音が辺りに鳴り響き、かえでが車を停めたすぐ後ろに、

別の蒸気自動車も次々と停まっていく。そして慌しく花組メンバーが車から降りてくる。

唖然としている内藤を尻目に、花組一同は帝劇を背に大神の方を見直す。

皆,考える事は一つらしい。さくらが皆に声をかける。

「巴里での大役を果たした大神 一郎中尉に、敬礼。」

カッ!!っという、踵を揃える音が響き、花組一同が大神に対して敬礼をする。

その姿、まさしく壮観なものであった。

「みんな・・・・・・。」

微動だにしない彼女達を前に、大神も一時の感慨にふけると、同じく敬礼をし

「大神一朗中尉、ただいま巴里より帰還しました。」

大神にとっては、帝都に帰ってき、帝劇に入る前の儀式みたいなものだ。

ひどく心が震える。

ふと見ると、米田とかえでも大神に対し敬礼をしている。

すなわち、二人の目から見ても、大神の巴里での活躍が尊敬に値するという証であった。

「大神中尉は・・・巴里で何を・・?」

内藤が呟く。しかし米田の声に潰されてしまった。話したくは無いのだろうか。

「さぁさぁさぁ、かてぇ挨拶はそこまで、こっからは大神一郎歓迎会と内藤少尉の着任祝いだ。」

「パァ〜〜〜といくぜぇ!!」

威勢のいいカンナの声と共に皆が皆動き出した。

「腕を振るった、お料理もありますよ。」

「隊長、荷物をお持ちします。」

さくらが大神の背中をそっと押していき、マリアが大神の右側に立ち、

大神のスーツケースを軽く持ち上げた。

「さ、中尉こちらですわ。」

「いやぁ〜うちの『宴会君元締め』みせたかったわ〜。なんせ時間たりへんかったもんでなぁ・・・。」

「あ、あいかわらずだなぁ・・・。」

「私の、歓迎のピアノもあるでーす。」

「あぁ、織姫君ゆっくり聞かせてもらうよ。」

途端に、花組に囲まれる大神。その様子を、内藤はじっと見ていた。というより圧倒されていた。

「行くよ、内藤少尉。」

レニの言葉にハッと気付く。

「あ・・はい。」

「お兄ちゃん達早く早く〜〜〜〜〜。」

いつの間にやら、アイリスは劇場の扉の前に立っていた。

なんとも無邪気に、大きく手を振っている。

「アイリスも変わらないな。」

扉の前に動いた大神がアイリスの頭に手をやると、

「アイリス、大人になったもん。」

と、そっぽを向いてしまった。やはり変わってはいない。

米田もそれを知ってか、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、皆の後に続き、劇場に入っていく。

 

「あっ、大神さんじゃないですか。」

劇場に入るや否や、元気のいい声が飛んできた。

事務局のかすみ,由里と帝劇三人娘を並び称されている最後の一人、椿だ。

赤い半被と笑顔が元気さと活発さをにじみ出している。

紅蘭と同じくそばかすが、幼さと可愛さをかもし出すのに一役買っている。

「ただいま、椿君。」

皆にしたのと同じように、大神が軽く微笑む。

「そちらの方・・・・ひょっとして内藤さんですか?」

花組の面々の後方に居る内藤に対して、椿が声を投げかけた。

「え・・、そうですが・・・初対面のはずでは・・。」

困惑する内藤に、声が飛ぶ。

「少尉。ひょっとして、事務局の『由里』にお会いになりませんでした?」

すみれが確信的な心を持って言う。

「えぇ、一ヶ月前にここを尋ねた時に。」

さくらも少し引きつった笑いをする。

「あっ、やっぱり・・・。」

事務局の由里は大の噂話好きで、仕事が終わってからの、帝劇三人娘内での会話で出たのだろう。

「えへへ、実はそうなんです。」

椿が舌を出して言う。

「由里はんも相変わらずやなぁ。一緒に入った時からそうやったわ。」

「そういえば、紅蘭は由里とは同期だったわね。」

「あんときゃ〜人居なかったもんなぁ。」

「そんなことよりはやくいこ〜よ〜。」

昔を懐かしむカンナとマリアに、アイリスが声を飛ばす。

アイリスの年代なら昔を懐かしむより目先のパーティーに気をとられても無理は無いだろう。

「あっ、待ってください。まだですよ。」

椿が売店の影に引っ込んで、なにやら取り出してきた。

何枚も束になった紙のような物が取り出され

「今まで、大神さんが買ってくれたものしかありませんけど。」

と言いながら、売店にちょうど八枚の花組の顔が並べられる、ブロマイドだ。

「なんていうか・・恥ずかしいですね。」

「あんま、自分のブロマイド見るこたぁないもんなぁ。」

「内藤はん、誰かの買ってくれはるん?」

紅蘭の声に花組全員が内藤の方を向く。ある意味究極の選択だ。

「いや・・・自分は・・大神中尉こそどうです。」

内藤が逃げるような視線を大神に送る。

「内藤君、さっき椿くんが言ったろ。」

内藤を含めた花組が大神の言葉を待っている。

「『今まで、大神さんが買ってくれたものしかない』ってね。」

と言うと、ポケットからカードーケースを取り出す。帝劇のマークが存在感を大きくしている。

これも売店で売っているものであろう。

そのなかには、花組全員のブロマイドが入っていた。そして、全員の集合写真。

「隊長、巴里にも持っていってらっしゃたんですね。」

「隊長・・・・・。」

マリアとレニは顔を赤らめていくがその反面、大いに騒ぎ出した。しかし・・、

「おめぇら、まだ、ロビーだってのに賑やかだな。」

「歓迎パーティーが遅れちゃうわよ。」

最後方の米田とかえでだ。

「ちょいまって〜な、大神はんはいいとして、内藤少尉がまだブロマイド買ってへんねん。」

再度、矛先が内藤に向けられた。

「そうですわ、少尉。誰をお選びになるんですの?」

途端にたじろく内藤、かえでがいたずらっぽく笑う。

「あらあら、着任早々大変ね。」

見事に他人事だ。

「あ・・・では、」

内藤は椿の方に向き直るが、椿は内藤の考えを理解した。

「お客様の分もありますから、一枚だけですよ。」

「あっ、懐かしい台詞だね。俺もよく言われたよ。」

昔を懐かしむ大神に対し、内藤は追い詰められていった。

「少尉さーん、男らしくないでーす。」

確かに織姫の言うとおり、ここで我を貫いてこそ男らしいと言えようが、

ブロマイドと一緒に、選ばれなかった隊員7人分のひんしゅくを買うことも必至であろう。

「では・・・後で買いに来ます。」

「えぇ〜〜〜〜。」

「だれのだれの?」

「なんでぇ、つまんねぇの。」

非難と期待の言葉が飛ぶが、

「ほらほら、あんまり内藤君をいじめないの。」

と、かえでにたしなめられてしまった。

「じゃあ、後で買いに来てくださいね。」

椿がにっこりと微笑む。

「あぁ・・、椿さん。由里さんには、言わないでくださいね。」

「あはははははっ。」

皆の笑い声が飛ぶロビーに響く。

「さっ、とっとと楽屋に行くぞっ。日が暮れっちまわぁ。」

皆、米田の声に異議があるわけも無く、すたすたと進んでいく。

途中、食堂と厨房の前を過ぎ、事務局の前、支配人室の前、とあるごとに、簡単な説明を受けていく。

内藤にはそれだけだが、大神にとっては一つ一つが懐かしい。

内藤は会った事があるが、かすみと由里のことをかいつまんだ程度に聞く。

やはり、『かすみはしっかり者』『由里はお調子者でおしゃべり』であった。

階段のある曲がり角を右に曲がり、衣装室と楽屋の前に着く。

さらに奥に見える舞台袖が、なぜか心を高揚させる。

「さぁさぁ、はいるぜ、せまっ苦しくてかなわねぇ。」

米田はぶっきらぼうに楽屋の扉を開けた。

楽屋の中は、壁には紅白の垂れ幕、中央のテーブルには料理が並べられている。

そして楽屋の入り口から正面の壁に、「歓迎、大神一郎中尉」と書かれている。

一度張り替えた後があるのは、ご愛嬌にしておこう。

「懐かしいな、幕がちょっと違うけどね。」

大神の言葉に、さくらが慌てて幕を背にする。

「いっ、いいんですよ。それよりほら、座って座って。」

「アイリス、お兄ちゃんのとなりにする〜。」

そう言うと、大神のとなりにアイリスが滑り込んだ。

「アイリスは、そういうとこが子供っぽいでーす。」

途端にアイリスの顔が不機嫌になる。子ども扱いされるのは嫌なのだろう。

そんなところが子供らしいのだが。

「そうですわね、大体『おにいちゃん』と呼んでる所が子供っぽいですわね。」

「おにいちゃんはおにいちゃんだもん。これでいいの。」

「それやったら、内藤はんはさっきみたいに『内藤お兄ちゃん』かいな。」

紅蘭の言葉にマリアが首をかしげた。

「まぁ・・・、悪いとも言えないけど・・。」

「み、皆さん・・・そんなにアイリスをいじめなくても。」

さくらが急に慌てだす。

それと言うのも、アイリスが怒り出す、もしくは情緒不安定等の時に霊力が暴走してしまうのだ。

一種のポルターガイストみたいなものだが、それで活動写真館を一つ崩壊させてしまった過去を持つ故、

この場が台無しになる事ぐらいにはなるだろう。

「いいもん。今度からは『内藤さん』って呼ぶ。その方が大人っぽいも〜ん。」

アイリスの言葉に、一同から「オォ〜〜。」と言った感嘆の声が上がる。

大神を『お兄ちゃん』と呼び、米田を『おじちゃん』と呼ぶのが普通のアイリスからは、

ある意味爆弾発言だ。

「それでいいよね、内藤さん。」

内藤の方を向き直ると、どこか他人行儀を感じる言葉をアイリスが言う。

「あっ、あぁ・・・自分はかまいませんが。」

「これでアイリスも大人だよね〜。」

呼び方一つで変わる事ではないが、アイリス自身は納得したようだ。

もっとも、大神の側を離れはしないが・・・。

「内藤もてぇへんだが・・・まぁ、これが花組だ。仲良くしてやってくれ。」

「はい・・・」

内藤は顔を引きつらせながらも返事をする。

「じゃあ、飲んで食うぜ!」

「おぉ〜〜!!

カンナの声が乾杯の合図となり、歓迎会が始まった。

大神の巴里での生活の話や、花組の公演の事、日常の事、

たわいも無い世間話も数ヶ月振りの再会となれば、この上なく花が咲く。

併せてカンナを筆頭に飲めや食えやの宴会になった。

そんな宴会の席では、新メンバーである内藤は格好の的であった。

「内藤少尉は、どうして帝劇に配属になったんですか?」

箸を休め、さくらが内藤に切り出した。

ほかの人間も、興味が無いといえば嘘になる。

「制服からすると、陸軍からかい?」

「あっ、はい・・・。」

大神の問いにしどろもどろになりながら、困ったようにかえでの方を見る内藤。

かえでは「ふふっ。」と、少し悪戯っぽく笑うと、内藤に対して助け舟を出した。

「内藤少尉は私の推薦よ、なかなか優秀なんですからね。」

「で、花組に配属してもらって、鍛え直すっていう寸法だ。」

まるで、自分の息子でも紹介するような口調でかえでが皆に言い、一升瓶を片手に米田が言い加えた。

「優秀とは、霊力があるということですか?」

かえでの目の前には、マリアの険しい顔があった。

場の雰囲気は急展開を見せた。

霊力があるということは、光武が動かせるということ。

光武が動くという事は、それ相応の事件があるとマリアは言いたいのだろう。

「あぁ・・・そうなる。『帝国華撃団』新装開店になるかも知れねぇな。」

ばつが悪そうに杯を傾ける米田。その言葉に、皆が静まる。

「じゃあよ、一体どんなやつ何だ、敵ってのはよ?」

「いや・・・、解りません。」

「内藤少尉の知り合いがいることは間違いないよ。」

レニは、節目がちな内藤に言葉を飛ばした。

場が騒然としたのも無理はない。

知り合いと対して本当に戦えるか、内藤と繋がりがあるのか、強いのか、特徴は。

そして・・・・、

「もしや、少尉がスパイだなんて事は・・・。」

すみれが口を滑らせた。全員「ハッ。」とするが、当の本人のすみれが一番気まずくなってしまった。

「・・・・・・。」

内藤は反論しなかった。反論しても信じてもらえるか不安なのだろう。

何より信じてもらえる程の理由が無い。

米田が静かに、重く、口を開いた。

「理不尽かも知れねぇ、納得いかねぇかも知れねぇ、疑われても当然だよな。」

「・・・中将。」

内藤が消えかかりそうな声で呟く。

米田の顔は、数多の戦いで『生きた伝説』と呼ばれた陸軍中将の顔になっている。

普段の酔っ払いの顔など微塵にも無い。

「しかしよぉ・・・・頼む、信じてやってくれねぇか。」

そういうと、ひどく申し訳ない顔になって花組一同に頭を下げた。

皆が驚愕の顔を浮かべたのは言うまでも無い。

一人の人を信頼してもらうべく、米田が頭を下げたのだから。

「支配人、そんな事しなくてもみんな解ってますから。頭をあげてください。」

さくらが米田をなだめる。

すると大神が自分が座っている場所から一歩後ずさり、座っていた座布団を横にずらし始めた。

「みんな、俺からも頼む。」

唐突に、大神まで頭を下げ出した。

「隊長まで、何を?」

「けど、なんでそこまでするですかー?」

「言い出しっぺがだんまりと言うのも無責任な話しですから、言わせてもらいますけど。」

左手で扇子を開いて、顔を半分隠しながらすみれは言う。

扇子が完全に開ききって無いのは、すみれの動揺を表すものとなった。

「急に配属になったかと思えば敵の事も知っていて、

なおかつ初対面の方と一緒に戦えとおっしゃりたいのですね。」

あえて強く言う。誰かが止めてくれることを祈りつつ。

「・・・そうだ。」

唸るような米田の声、こう言われてはすみれも引き下がれ無い。

「冗談じゃありませんわ、大体、中尉も頭を下げる事なんですの?」

大神は顔をあげる。

「それで、皆が内藤君を信頼してくれるならね。」

巴里に行って以来、大神もなんともにこやかに笑うものだと感心させられる。

「ほら、隊長もこう言ってくれてることだし、その辺にしときなよ。」

引き際が欲しかったすみれも、今回ばかりはカンナの言葉に従い口と扇子を閉ざした。

言いたかった訳では無い。言わねばならない、損な役だ。

「ほな、今日んとこはこの辺でお開きにしよか。」

スクッと席を立つ紅蘭。すると紅蘭は、内藤の方に駆け寄り、不意に内藤の腕にしがみついた。

「なぁ、内藤はん。うちと一緒に地下に行ってみいひん。」

「え・・・・、あ、はい・・。」

落ち込んでいた事も有るが、不意の出来事に対処できないのであろう。思わず顔を赤らめてしまう。

「紅蘭、あなた自分が何を言っているか、解っているの?」

静かながらも強い口調のマリア。紅蘭ならば案内に格納庫が含まれる事を理解しているからだ。

もし、内藤がスパイだと言うのならこの行為はきわめて危険だ。

下手すれば光武はすべて動かなくなってしまうだろう。

信頼に足る人物か、少なくともマリアの中ではまだ決まってはいない。

「うちは、このやり方が一番解るんや。」

声を荒げて言う。紅蘭にしてはめったに無いことだ。

「アイリス・・・けんか嫌い・・。」

いつもは無邪気なアイリスも、どこか節目がちになる。

「ほな米田はん、行ってくるわ。」

「あぁ、しっかりな。」

「うちにまーかしとき。ほな行こか。」

内藤の背中を押しながら、背中越しの米田の声を紅蘭は理解した。

二人が出ていき、場はしばし、静寂に包まれた。

「司令、これはどういう事です!!」

自分の言葉が無視されたに等しかったマリアは、怒りを隠せなかった。

紅蘭達が声の届かない距離まで移動するのを待つための静寂だったのであろう。

「マリアが心配するような人じゃ無いわ。第一、細工があったなら紅蘭が発見してくれるでしょうし。」

「では、もし見抜けなかった場合は?細工が施されたまま戦闘に出るような事が有ったとしたら?

誰かに危険が伴うとしたら?帝撃は終わりです!!」

けっして大げさとは言えないマリアの言葉。それこそがスパイの在るべき姿なのだから。

「マリア、その辺にして置くんだ。」

「隊長、・・・・しかし!!」

大神の説得にも揺るぎはしない。マリアの面持ちは、数年前に大神が配属された頃の剣幕だ。

「内藤さんは、スパイとかじゃないと思います。」

マリアに対抗してか、さくらの語気も強い。

「さくらさん、何故そう思うんですの?」

「あんまり信用できませーん。」

マリアだけに留まらず、織姫とすみれも否定派に立った。

「それは・・・、あの・・。」

確信した何かを言いたげなさくら。しかし、なぜか言おうとはしない。

「さくら、おめぇ何か気付いたのか?」

米田が身を乗り出してさくらに問いただす。どちらも肯定派とは思えない光景だ。

当然、米田の頭の中にそんな事は無い。さくらの気が付いた点に興味があるのだ。

しかしさくらは、

「いえ・・・その、言えません。」

曖昧なながらも答えようとはしない。その態度に、マリアの苛立ちも募ってくる。

「さくら、それじゃどう信用しろと言うの?!」

「マリア、もうやめるんだ!!」

「いえ、花組の事を考えたなら、やめられません!」

この場の全員、マリアの意見に意を唱えないだろう。

皆この帝都で出会い、この帝劇で共に過ごし、その舞台で共に演じ、そして部隊として共に戦ってきた。

だからマリアの言いたい事は痛いほどわかる。

「もうやめるんだ。第一、俺が配属された時も受け入れてくれたじゃないか。」

「あ、あれは・・・隊長だったからです。」

怯えに近い目でマリアが言い逃れようとするが、黙っていたかえでが横槍りを入れた。

「マリア、それは違うでしょ。あの頃は貴方も大神君を信頼してなかったはずよ。」

「そだな、大神を迎えての初めての出撃の時、大神を隊長にふさわしいと思ったら

『隊長』と呼ばせて頂きますとか、言ってたなぁ。」

そう米田は言った。勝ちを確信していたが表情は勝ち誇った笑いでもない。卑下た笑いでも無い。

昔を懐かしむ顔だ。『年寄りの懐古趣味』と言ってしまえばそれだけかもしれない。

「マリア、君はあの頃、俺の事を信頼も信用もしてなかったはずだ。しかし受け入れてくれた。

俺には、それで十分だったんだ。」

「・・・・おっしゃりたい事は、解ります。しかし・・」

「俺が配属された次の日には黒ノ巣会との戦闘があった。

帝劇を離れて再配属された次の日にも戦闘があった。それでも内藤君は受け入れられないかい?」

「それはっ・・・・。」

『隊長だからです』という言葉を思わず飲み込んでしまった。

これ以上言いあっても不毛な戦いになるのは目に見えている。

納得行かない顔のままのマリアを見て、

「なら、あとは内藤次第だな。」

「マリアさんがそこまでおっしゃるのなら、仕方ありませんわね。」

と否定派も黙ってしまった。

「じゃあ、この場は解散にしましょうか。みんな明日から舞台でしょう。」

「えぇっ!?明日から舞台なんですか?」

「え!大神さんそれも聞いてなかったんですか?」

「今は、まえにやってた劇のアンコールやってるの。」

アイリスの言葉に思考が一時止まる。

どうやら一度やった演目をお客の希望に応えてやるということらしい。

「今回は『愛ゆえ』にが題目だからね。あたい達は出番少なめさ。」

「大神、帝国華撃団・花組隊長のおめぇに渡さねばならん物がある。」

みなの声を制し、米田がかえでに視線をやる。

すると、楽屋の隅っこに置かれた小さなスーツケースが皆の目の前に現れた。

「大神くん、開けてみなさいな。」

「はい・・・。」

慎重にスーツケースを開ける大神。

「やはり・・・、これですか。」

苦笑いのまま大神が手にとる。大神が配属された時の儀式みたいなものだ。

大神がスーツケースからそれを出すと、一同から歓声が上がる。

やはり、いつもの物が大神の手の中にある。

「やっぱり、大神さんにはその服ですね。」

大神の手の中には、新品のモギリ服があった。大神が配属されるたびに、必ず手元に届く品だ。

「巴里のやつらぁ『大神さんが巴里に戻られた時に着てもらうんですぅ〜』

とか抜かしやがったもんでなぁ。

新しく作ってもらったんだ。」

米田が誰かしらの口調を真似る。それだけでも大神には十分伝わった。

「あぁ、・・そうだったな、みんな・・・。」

つい一ヶ月前に別れを告げた地・巴里の思い出に浸ってしまう。当然、さくら達は良い顔はしない。

「おにいちゃん、またでれでれしてる〜〜〜。」

「隊長、アタイ達が目の前に居て、それはねぇんじゃねえか〜?」

全員、大神を『じと〜〜』としためで見つめているのが、大神にとっては耐えがたい重圧であろう。

「いやっ、ちょっと懐かしくなっただけだよ。」

「たった一ヶ月前の事じゃありませんか。」

慌てて出た大神の弁解も打ち消されてしまう。

『一ヶ月前でも別れは辛くて、そして懐かしいものなんだ。』

この台詞を声を荒げて言えない自分を、大神は悔やんだ。

こんな時に強く出れない大神は、いつもしどろもどろな答えをしてしまう。

「いやっ、・・・それはそうなんだけど・・・」

「あら、誰か気になる子でも居るのかしらね。」

かえでの言葉にまたも戸惑ってしまう。なんとも人の心つくのに長けているらしい。

「ふふふっ、もういいじゃありませんか。ね、大神さん。」

さくらが裏表ない顔で微笑んでくるのが唯一の救いだった。感情の起伏が一番大きい故、

大神が一番恐れているといっても過言では無いだろう。

「ならこの辺にしといて、とっとと着替えてきな。そ〜んな派手な服は、おめぇさんの柄じゃねぇやな。

だ〜〜〜はっはっはっ!!」

豪快な笑い声と共に辺りに漂っていた険悪な雰囲気が薄れていくのを感じ、

いつしかその笑いは部屋に満ちていく。心地よい笑いだ。

「ふふっ・・すいません隊長、失笑です。」

「赤い色の服は〜、中尉さんには合わないで〜す。」

「そだな、隊長の柄じゃねぇよな〜。」

「いつもの服の方がいいよ。」

皆の声に、さすがに大神もたじろぐ。

「そっ、・・・そうかな?」

「くっくく・・とっとと着替えてきな。ほらっ、解散だ。」

「アイリス、お兄ちゃんといっしょに行く〜。」

「大神さん、御案内しますね。」

前、そしてさらに前、その時と同じ案内人。大神の心がひどく震える。

(帝劇だ・・・帰ってきたな。)

「ハハッ。・・・・お願いするよ。」

思い出をかみしめて、笑顔で返す。やはり前と同じ言葉を。

「では、私はサロンでお紅茶を作ってますから、中尉、後で寄ってくださいな。」

「ああ、寄らせてもらうよ。」

「あたいもぼちぼち行くかな。隊長、後で組み手付きあってくれよな。」

「あぁ、もう手加減は要らないからな。」

「ははっ、頼もしいや。」

「コンッ」と、互いの拳を当てるとカンナは惜しむことなく楽屋から出ていった。

「私は地下に行きますので、これで。」

久しく見ないマリアの冷たい顔。大神に対して右手を少しあげた動作が、冷たく感じた。

「あぁ、頼むよ。」

あえて笑顔で返す大神。

「笑って任せても大丈夫。」という軽い意思表示だ。

「僕は、織姫と一緒に舞台に居るけど、集中したいからあまり入ってほしくない。」

「あぁ、明日の舞台のことだね、解ったよ。」

「では中尉さん、私達は行くでーす、チャオ。」

というと、レニの手を掴み、騒々しく出ていった。

「・・・あいかわらずだな。」

「でも、みんな心配してたんですからね。」

「お兄ちゃんが居なくなってから、アイリスさびしかったもん〜。」

傍で、米田が笑っているのが気にかかった。

「支配人、何かあったんですか?」

「くっくっくっ。いやぁ、お前が巴里に行ってぇ、半月っほどかなぁ?こっちじゃあよ・・。」

「あの・・・その、支配人?ひょっとして・・・。」

途端にさくらが困惑し出した。慌て方からして、この時点でさくらが関係あるのは決定された。

「そうそう、おめえが、みんなをけしかけてよう。」

決して卑しくない笑いで、米田が話を続けるが、

「さあさあ、大神さん。早く行きますよ。」

さくらが声を荒げて大神の背中を押して楽屋から出ていく。

「あぁ、アイリスもいく〜〜〜。」

「支配人、かえでさん。しっ・・・、失礼します!」

慌てて、駆けて行く三人。米田とかえでの目に映るさくら達は、

スーツ姿の青年と振袖の女性。そして、フランス人形の要に愛らしい、小さな女の子。

まるで、仲睦まじい親子ではないか。と思わされる。

「あいつらにも、本当にあんな風になる時が来るんだろうなぁ。」

「えぇ、平和のために戦かうだけじゃ、悲しすぎますからね・・・。」

かえでの言葉がひどく痛々しい。

花組は人々の幸せを守るために、自らの幸せを犠牲にしていると言っても過言では無い。

それは米田が一番知っている。

しかし敵が出れば戦わなくてはならない、戦わせなくてはならない。

そして、・・・・・『司令』という椅子に座る自分が、ひどく許せなかった。

「暫くかかるが・・・待っててくれや・・・。」

思っていた事が、消え入りそうな声として、ひとり言として出てしまった。

「支配人・・?」

あきらかに、米田の口調が、今までの会話以外の物を差していた。だが、

「しかし、今日の事でよくわかった。」

飄々と話しを別の方向に持っていこうとしている。

「やっぱり、帝劇にはあいつぁ必要だな。初めて来た時は、

『なんでモギリなんだ』なぁ〜んて文句言ってたのによ、今じゃあよ・・

誰よりも劇場を、この帝都を、この街の人々を 愛してくれている。ほんと・・・あいつそっくりだ。」

手持ちの一升瓶を片手に、杯をクイッと傾けそのまま深く息をはく。

静まり返った騒がしかった場所。そこで飲む酒はうまく。そのせいか、涙が頬を伝わる。

「今日はお付き合いしますよ。」

かえでもそれ以上は聞こうとはしなかった。

そのかわり、暫くの間は、楽屋の中から酒を注ぎあう音がやまなかった。