第参話 「復讐に生きよう」

 

大神が帝都に戻り、早くも一週間。久しぶりの帝都での生活は時の流れを速く感じさせた。

久しく大神と会っていなかった花組と生活の日々は、一ヶ月の船上での生活とはかけ離れ、

すべてが懐かしく、また新鮮であった。

「大神さん、楽屋のお掃除・・・手伝ってくれませんか。」

「ああ、いいとも。」 

「隊長、あとで組み手しよーぜ。巴里修行の成果、見せてもらうぜ。」

「はは、相変わらずだな。掃除が終わったら、鍛錬室にいくよ。」

かと思えば、それが終わらないうちに、ほかの隊員から声がかかってくる。

なにかといえば大神に用事を頼んでくる。

一時とはいえ、大神の傍に居たいというのは花組全員が思っていることであろう。

大神は多忙極まりないが、それでも気前よく付き合っていく。

内藤とは一線引いた気は無いといえば嘘になる。

しかし内藤は日常生活の方ではどちらかといえば引っ込み思案のほうだった。

故に花組とも何事も無かった用に生活している。

内藤が花組の個性的な性格に圧倒されているのは言うまでも無い。

「やぁ、内藤君。調子はどうだい?」

「あ、中尉。ご苦労様です。」

大神が事務室を覗くとかすみと内藤が書類整理に励んでいた。

「あ、帝劇内では中尉はやめてくれないかな。お客さんに聞かれても困るからね。」

「では・・・なんとお呼びしたらいいでしょう。呼び捨てするわけにはいきませんし。

傍目から見ていたかすみが軽い調子で言う。

「まさか、内藤さんが『大神さん』って呼ぶのもなんですしね。」

「ははっ、それもそうだな。まあ『隊長』かな。」              

「了解です、隊長。」

書類の束を片付けながら返事をする内藤。

「おや、由里さんはまだ帰ってこないんですか?」

「そう・・・みたいですね。」

かすみが小さいため息を漏らす。

「ん、由里君はどこかに行ったのかい?」

「ええ、売店の椿の所に行きました。なんでも、いい噂話があるとかで・・・。」

「またか・・・。変な話を振りまかなけれゃいいんだけどなぁ。」

事務室の三人は同時に、軽いため息をつく。思っていることは同じであろう。

「ただいまー。て、大神さんまで・・・・。」

事務室の扉が大きく開かれ赤と緑の洋服が鮮やかな、由里が戻ってきた。

「やぁ、由里君。噂話は手に入ったかい?」

噂話が手に入らなかったのか不機嫌そうな顔を浮かべる。

「それが、ぜーんぜん。椿ったら教えてくれないんですもん。」

「椿さんというと・・・・。」

「あら、内藤さんの事・・・なんですか?」

かすみが不思議そうに尋ねる。

「そう、そうなのよ。内藤さんが一枚だけブロマイドを買ったらしいのよ。

しかもプレートに貼り付けた特別製のやつよ!」

「へぇ、そんなのがあったんだ。知らなかったなぁ。」

「そういえば、大神さんが巴里に発った後に写真も一掃したんですよ。」

「そ・れ・を、一番で初めてのお客さんって事で、椿が内藤さんに一枚売ったらしいのよ。

誰のを買ったって・・・・椿が教えてくれなかったんですけどね。」

たかがブロマイド一枚なれど、されど一枚だけのブロマイド。

そんなブロマイドを買う時は、大抵は意中の人と決まっている。

無論、大神のように全員のブロマイドを買うといったこともあるが、

やはり自分のタイプである女性のブロマイドだけ買うといった人間のほうがはるかに多い。

椿が気を利かせてくれたおかげで内藤は胸をなでおろした。

帝劇に来て一週間足らずの内藤が、早くも意中の人が居るという表れでもあった。

由里にとっては、久方振りの大ニュースであろう。

「ねぇねぇ、内藤さん。誰のを買ったんです?」

由里の突拍子も無い質問に襲われる内藤だが、当然答える義務は無い。が、うまく断れない。

「い、言うわけ無いでしょう。由里さんに言ったら、他の方全員に知られてしまいますからね。」

「そうだな。由里君には散々やられたしなぁ・・・。」

大神も複雑な顔をする。

「由里、解ったでしょう。うわさ話もほどほどにしなさい。」

「ちぇ、わかりましたよーだ。」

全員に向かってあっかんべーをすると、大神達は笑い出した。

「おっと、ちょっと長居したかな。そろそろ行くよ。」

「あ、大神さん。もう行かれるんですか?」

「ああ、ちょっと用が出来たんでね。」

「隊長・・・用が出来た・・とは?」

内藤が尋ねる。

「売店に行って、椿ちゃんに会ってくるよ。」

「椿に用ですか?」

かすみが不思議そうに言うと

「由里君、うわさ話ありがとね。」

大神も特製ブロマイドを買いに行くであろう。

そして、今しがた自粛されたかと思われた由里のうわさ話は、拍車がかかり止まることは無いだろう。

由里は喜んでいるが、内藤とかすみの困った顔は変わらないままだった。

 

 

「小崎さんがあの内藤にやられたって、ほんとなの!!」

場所は陸軍省。その一室に声が響いた。

そこには、もう三十路には成ろうかという美しい女性と、小崎の死体を回収した男が居た。

陸軍省に居るからには当然だが、二人とも陸軍服を着ている。

女性は、男のどこ吹く風の態度に今にも怒りそうだ。

「稀璽(きじ)。言いなさい!!内藤が居るの?!」

稀璽と呼ばれた男は机の資料を食い入るように見、女性の言うことなどどこ吹く風だ。

「私の契約、忘れたわけじゃないでしょ。」

そう言うと、稀璽に触れようと両手を伸ばしはじめた。

「へぇへぇ、武政のおばちゃんの怖いこと怖いこと。さっくり狩られちまうよ。」

「稀璽・・・・はやくしなさい。」

武政呼ばれた女性の指に灯った微かな霊力が、苛立ちを表現した。

霊力を感じたのか、資料を見る目を女性の指先にあてると、途端にべらべらと喋りだした。

「正確に言えば、鬼化して遊んでたら栄えある大神隊長様にやられ人間に戻った挙句、

内藤の野郎に心臓ブッスリ。勝てる試合を逃した所を俺が引き上げて来たって訳だよ。

もちろん内藤は本人に間違いない。大佐だって確認したらしいしな。

まぁ『さつきには言っておけ』って言われたがな。」

「へぇ・・・、そうなんだぁ。」

『武政さつき』それが彼女の名前らしい。

怪しく笑うと、ドアを開いて出て行こうとする。

稀璽はそれに気づくと、

「おい!!大佐からの命令だ。ぜってぇ殺すなよ!!殺しそうだったら全力で止めるからな!!!」

女性は答えるわけでもなし、ドアノブから静かに手を離した。

「おい聞けってば。なんだか知らねえがなぁ!

内藤の野郎が死んだら、大佐の思惑が台無しなんだってよ。」

ついぞ、返事は返ってこなかった。

「ハァ・・・勘弁してくれ。」

稀璽は深い溜息をつくと書類を机に置いた。

 

 

とある日の昼下がり、大帝国劇場。

内藤は米田の命令で米田の親友である花小路伯爵の元へ出向き、帝劇に帰ったのは夜遅くの事であった。

花小路伯爵の所で何をしたわけではない。ただの雑談である。

正直、内藤には行った意味がわからなかった。

たまらず、花小路伯爵に問いてみたが、

「それがだな・・・・。」

神妙な面持ちになる花小路伯爵であったが、

「俗に言う『御偉いさんのみが知る』だよ。はーーっはっはっ。」

と、かわされてしまった。さすがは米田の親友といったところだ。返し方もどことなく似ている。

さてそんな雑談を終え帰路につく頃、辺りはもう暗くなっていた。蒸気自動車の走る音がひときわ響く。

蒸気街頭は道を照らし、建物の明かりは街を照らす。人々が生きている光が帝都を照らす。

おそらく花組ならば、この光を守るために、と全員が決意しているであろう。

しかし、内藤にはそんな考えが出てくるわけは無かった。

戦う理由、それ即ち『自分の為』という考えしかない。内藤に限らず、大抵の者はそうかもしれない。

故に、街の明かりが暖かいどころか、逆に疎ましくさえ感じてしまう。

どこからくるとも知れない敵を相手とすれば、自分の姿を照らす光は大層に邪魔だ。

帝劇が近くなると、玄関口に大神が立っているのがはっきり見えた。

内藤は車を駆け下り、大神のほうに向かった。

「隊長、どうなさったんですか・・・?」

「いや、内藤君にお客さんでね、閉めだされたついでに、出迎えをしてただけだよ。」

「そ、それは・・・どうもですが・・・しかし、客ですか?私に?」

「ああ、綺麗な女性の方だったよ。」

思い当たりが無いといった顔で玄関をくぐる。

夜も遅く、辺りを見渡しても誰も居ない。当然、売店の椿もとっくに上がってしまった。

「内藤君、お客さんは食堂のほうだよ。花組の誰かが居るはずだから。」

「解りました。」

大神が言うままに、ロビーの左手側にある食堂。

何か違和感があったが、大神が進めるままに歩を進めていく。

廊下に立つと食堂が一望でき、公演がある時間とはうって変わって、

待ち人を探すにはなんとも手間が省けた。

遠くのテーブルに明らかに花組のメンバーではない、上下紫色の洋服を見事に着こなした

スラッとした長身の女性が、花組と談笑していた。

丁度後ろを向いて座っているため、ここからでは顔が見えない。

その相手をしていたのは、同じく紫色であるが和服姿のすみれ。

そしてレニとアイリスがちょこんと座っている。

すみれが勧めたのか二人は紅茶に舌鼓を打っているが、

アイリスとレニはというと、単に椅子に座っているだけのようだ。

それに近寄っていくとさすがに気づいたのか、

「あら、うわさをすれば、内藤さんじゃありませんこと。」

「あ、内藤おにい・・じゃなかった。内藤さんだ。おかえりなさーい。」

「意外に遅かったね、おかえり。」

子供扱いされたアイリスが「内藤さん」と呼ぶとはいえ、やはり仕草や口調は無邪気な子供そのものだ。

そしてすみれも、内藤達の方を向く。

「あら、お帰りになられてましたの。内藤さんのお客様と話し込んでいましたら、

時間を忘れるようでしたわ。」

しかし、内藤を待っていたという女性は振り向きもせずに、まだ紅茶を楽しんでいるようだ。

「そちらの方が・・・私のお客さん?だとか。」

内藤が近づいても、一向に振り返る気配は無い。

まるで内藤の顔を想像し、嘲笑っているかの如く、ティーカップは傾けられる。

そんな態度が内藤を苛つかせた。そんな気持ちで歩を進めると、

その女性のすぐ傍までやってきてしまった。そして一言、

「失礼ですが、どちら様ですか?」

言葉遣いとは裏腹に、言葉自体は相手を威圧させる気だ。

さすがの女性も、カップを置き振り返る。

「おひさしぶりね。内藤さん。」

振り返ったのは誰でもない。

陸軍省で稀璽と話していた武政だ。

内藤は覚えが無いのか動じず、心にあることをそのまま述べた。

「何処のどちら様で、どうしてここを訪れば、私に会えると知ったんですか?」

すみれも大神もアイリスも、というより大抵の人間なら知人が尋ねてきたと思ってしまうだけに

動揺が広がった。

「あ、あら・・・少尉のお知り合いではありませんでしたの?」

「違うのかい?」

内藤には覚えはまったく無い。しかし、

「内藤少尉の昔の事も知っていたよ。本当かどうか知らないけど。」

「どれぐらい昔の、どんな事です?」

「そちらの女性に聞いたほうがいいと思うよ。」

レニの言葉に従い、内藤が武政の方を向き直ると、

「お忘れかしら。私の村に来たことがあったはずですけど。」

武政のなんとも丁寧な態度に、威圧しようといきこんでいた内藤は、

多少の罪悪感を感じながらも、同じ口調を続けた。

「覚えがありませんね。」

「いえ、確かにいらしましたよ。小さな村ですけど名前が・・・。」

努めて丁寧に話を進めようとする武政に対し、自分の考えをできるだけ出さず、

相手からいくらかでも情報を引き出そうとしたい内藤は、

「そんな村知りませんし、行ったことはありません。」

と、武政が言い終わる前に拒絶してしまった。

「バシャャャャァァァァァ!!」

次の瞬間には、武政が手にしたティーポットは逆さまになり、内藤は頭から大量の紅茶を被った。

その光景に一同、言葉を無くしてしまった。

内藤も顔の紅茶を拭うと、武政に向き直る。

そして武政は、静かにティーポットがテーブルに戻すと、

「お嬢さん、紅茶ごちそうさま。残りは全部、内藤君に召し上がってもらったから。」

と、日常茶飯事のように片付けてしまった。

「何か、お気に触る事でも?・・・そんな村呼ばわりがお気に召しませんでしたか。」

内藤も負けじと、冷静に質問を行う。

「・・・ええ、とっても。この場で殺したいけど、ね。それじゃあ怒られちゃうのよ。」

「怒られるって、自分より上の人?」

二人の会話にレニが割り込んで来た。内藤ではこれ以上情報を集めるのは無理と判断したのだろう。

「ええ、そうよ。この下衆を殺したら私・・・蒼月さんにお仕置きされちゃうもの。」

武政は官能の表情にも似た顔で言葉を発した途端、今度は内藤が大きく動いた。

「はっ!!」

気合一閃、内藤は武政に斬りかかる。引き抜かれた刀はもちろん、光刀無形。

武政も小崎同様に難なく避ける。

「逃すか!!」

「きゃっ!!」

アイリスが悲鳴をあげる。幸い、当たりはしていない。

内藤の二撃目が繰り出される。周囲をまったく意識していない攻撃に大神達は大きく退く。

「内藤君やめるんだ。」

「少尉、周りをお考えになってくださいませんこと!」

しかし、内藤にはそんな声が届くわけではなく刀を振りつづけ、

幾ばくかのテーブルと椅子を切り捨てていく。

「貴様、武政とか言ったな!大佐の手の者か!!」

声と共に唐竹。相手の頭上から真っ直ぐに切り落とす。

振り下ろす瞬間、武政の姿が一瞬揺らいだかに見えたが、

刀を振り切った後は、密着状態に近いぐらい間合いが詰められていた。

「ほーら、あんまりお痛してちゃだめよ。皆さんに迷惑でしょう。」

内藤の頬にそっと手を置くと、まるで子供をあやすように武政は言う。

やさしく頬に触れた手は暖かく・・・そして、霊力と殺気が篭っていた。

「いいかげんにしないと・・・貴方がやった事、私が皆さんの前でやってしまうわよ。」

武政の霊力は、頬に置いた右手に集束されていく。

内藤は黙ってそれを見つめるしかなかった。

武政自身、殺す訳にはいかないと言っていたが、変な動きをすれば致命傷はさけられない。

「武政さん・・・昔、何があったんですか?」

少しでも事態を緩和させようと、大神が会話を切り出した。

大神の方を振り向いた武政は酷く動揺した。

「え・・・、あ・・・あな・・・。」

何か喋りたいらしいが、声に出来ない。それほどまでに武政は動揺していた。

大神が初対面というだけではないはずだ。

慌てて内藤に向き直れば、唇が当たりそうな位の至近距離に、

内藤も解らないといった顔をして立っている。それを見るなり、

脱力感に襲われた様に、小さく肩を落とすと冷静さを取り戻した。

「そうよね、もう過ぎたことなのに・・・少し期待もっちゃった。

私もまだまだ、大佐みたいにはなれないわね。」

「大佐みたいに・・・?どういう事だ!!」

いきり立った内藤。武政が左に首をかしげると、

後方から不意に、ティーカップ飛んできた。そのときの内藤には避けれる判断力も勇気も無かった。

「パガシャャャーーーン!!」

内藤の額に大きな音をだして砕け散るティーカップ。

しかし、目の前でティーカップが砕け散ったとはいえ、武政の方には欠片一つ飛んではこなかった。

ティーカップが飛んできたこと事態、武政が霊力を使って飛ばしてきたのだろう。

霊力のサイコキネシス的な使い方も、珍しくは無い。第一、アイリスはヌイグルミを宙に浮かばせたり、

大きなテーブルを瞬間移動させるなど、日常茶飯事だ。

武政にも同様のことが出来る。ただそれだけの事である。

ティーカップが眉間に直撃した内藤はひるんだ様子も無く武政をにらんでいるが、

武政は大神を見やると

「ずいぶん散らかったけど、今日はおいとまさせて頂きますわ。大神さん、ごきげんよう。」

と、玄関を目指し、凛とした姿で歩んでいく。

「ちょっとお待ちなさい。」

制止させたのはすみれだ。言葉どおり武政は動きを止めた。

「お嬢様、何かありましたか?」

内藤の頃とうって変わって、丁寧な言葉遣いに戻る武政。それが逆に神経を逆なでさせる。

「このティーカップ、お気に入りでしたのにどうしてくれるんですの?」

本当ならば内藤の事を出したいところであるが、

その照れ隠しにティーカップを持ち出すところなど、非常にすみれらしい。

「ごめんなさいね。でも内藤さんにも非があるんですからね。」

「壊したのはあなたでしょうに。

第一、そんじょそこらの庶民に買えるほどの安物ではございませんことよ。」

「ふふふっ、でしたら。」

食い下がろうとしないすみれの態度。武政はそれを中傷的に笑った。

「重信さんにでも買って頂いたらどうです?すみれお嬢様。」

「なっ、なんですって!?」

すみれの驚きは尋常ではなかった。

重信といえば、思いつくのは一人しか居ない。神崎重信。

すみれの父親であり、神埼重工の社長を担っている。

神崎重工の社長として、それ相応に名は売れているであろうし、

仕事として名前を覚えてもらうのは当然であろうが、明らかに敵と解る者がそれを知っているとなると、

不安を拭えはしない。

「ふふふっ、ほーほっほっほっ。」

すみれと似たような高笑いをひとしきりかますと満足そうに歩き出す。

廊下の方向にはレニが立っていたが、レニはそのまま武政を素通りさせた。

『この場の中、生身で最強』

先ほどのあふれんばかりの霊力で証明されたことだ。

「武政さん。ちょっと待ってくれませんか。」

大神に呼ばれるとはっと振り向く。

「あら、大神さん。なにかしら?」

声は明るく、まるで近所の人とでも話す口調。やはり大神だけが別枠らしい。

「いえ、まだ質問の答えを聞いてなかったもので、昔、何があったか。」

「・・・。」

「いえ、言いたくないのならばかまいませんが・・・。」

しばらく寂しい目をして黙り込むと、小さい声を紡いだ。

「やっと・・・やっと掴んだささやかな幸せが、奪い取られたのよ・・・・。」

「フュュイイーーーーーーーン!」

突如、食堂の床に霊力が収束された。霊力一つの型となり、緑色の魔方陣を作った。

これを使えるのは一人だけだ。

先日の戦いで小崎の死体を回収した男。途端に花組は臨戦体制に入る。

「あら、稀璽君。来ること無かったのに。」

武政の言葉は稀璽の怒りを増長させる。

稀璽からすれば、来なければどうなっていたか、解っていたものではない。

魔法陣から出てきた稀璽は、膝を曲げ床に両手をついている。焦っていたのか額には汗が滲んでいる。

(後で覚えてろ・・・ババァ・・・・。)

肩で息をしながらそんな事を思っていた。

爬虫類を思わせる、つりあがった目は、辺りを見渡すとやはり、内藤を捕らえた。

内藤の方を向き四肢を伸ばすと、足元の魔方陣は稀璽に戻るように吸い付き、

屈んだ状態とは思えないほどのスピードを出した。

魔方陣だった霊力が速度助力の効果を果しているのだろう。一足飛びで内藤の前まで駆け寄った。

稀璽が通り過ぎてから吹く風には、誰もが呆気にとられた。

稀璽は、内藤の肩を鷲掴みにする。だれもが攻撃されると思った・・・・が、

「おい、怪我は無いか?!何かされなかったか!?霊力当てられたりしなかったか?!」

ガクガクと内藤の肩を揺らし質問を投げかける。

「失礼ね、何もしてないわよ。」

呆れたようにいう武政だが、

「うるっっせぇぇぇ!!信用できるかっ!!」

よもや稀璽は、敵対関係というより、柄の悪い悪友に見えなくも無かった。

「えぇい、離せ!!」

内藤が体を一回転させると、稀璽の手は簡単に外れてしまった。

「それより、『今度あったときは狩らせてもらう』って言ってたな。今がそうか?」

刀に手を置く。構えはしていないものの、臨戦体制には十分だ。

「ざけんな、今回は無しだよ無し。武政様のお迎えに上がっただけだよ。」

「帝劇に二人だけで来て、無事このまま帰れるとお思いかしら。」

舞台の台詞合わせのように見えなくも無い。これが芝居の練習であればどれほどよいであろうに。

「ああ?光武に乗ってねぇ女子供集団なんぞ興味ねぇよ。さっきのスピードについてこれてなかったろ。

そういうことだ。第一、俺はやる事一杯なんだよ。女子供にかまってられるかってんだ。」

早口でまくし立てる稀璽の言い返しも、的をついている。

「ならば、俺がやる。」

大神は刀に手をやると身を屈め構える。居合斬りの構え。

稀璽も大神相手となると目の色が変わる。獲物を捕らえる目とも違う、もっと別の何かだった。

「それが、米田のジジィの神刀滅却か・・・・・。」

神刀滅却の大神、光刀無形の内藤。両者を交互に見やる。真剣勝負なら即座に斬られるであろう。

「稀璽君、大神さんを傷つけたらだめよ。」

武政の以外の言葉。敵方の武政が大神をかばったのだ。

「はぁ?内藤はしょうがねぇし女子供じゃ話にならねぇ。じゃあ大神隊長様しか残ってないだろうが。」

「だめと言ったら、だめよ。」

武政は微笑みながら言ってはいるが、この状態が一番危ない時であるのを、稀璽は知っていた。

「ちっ、女子供やったってしょうがねえしな・・・。」

ふとレニ、アイリス、すみれのほうを見ると、震えている者が一人居た。

恐怖ではなく、怒りで打ち震えていた。

「アイリス子供じゃないもーーーーん!!」

場に合わないアイリスの叫び。子ども扱いされることを極端に嫌うアイリスは

「女子供」の「子供」という部分に反応したのだろう。

そして、食堂内の物。机、椅子。ティーカップやポット。果ては絨毯に至るまでもが宙を飛びまわった。

アイリスの感情が不安定になり、霊力が暴走しているのだ。

大神達はアイリスをなだめようとしている一方、

稀璽、武政両人は動じもしない。なぜなら物が一つも飛んでこないからだ。

「みんな、何の騒ぎなの!!」

「おいおい、いったいどうしたんだよ?」

食堂に現れたカンナとマリアの声。

この異変に気づかないほうが無理というものだ。

「ア、アイリスがまたやったのですわ!」

「アイリス悪くないもーん。」

反抗するアイリスであるが、周囲を見渡せばテーブルと椅子は散乱し、

すみれのティーセットは霊力のストップにより床に落ち、すべてがこなごなに砕けてしまった。

ただ人並みに怒るだけならば、口喧嘩に発展して収まるのが関の山だが、

アイリスが怒った場合は一方的にアイリスの破壊になり、アイリスは悪役にされてしまう。

アイリスが人並みに怒れたならば、アイリスも幾分か素直だったかもしれない。

目の前の殺伐とした光景は無かったであろう。

大神達も巻き込まれたらしく、内藤は飛んできた椅子に右手をぶつけ、

大神は頭を、すみれはすっ転んでしまい、床に顔面をぶつけてしまった。

レニはといえば幾分か無事で稀璽達を変らず見つづけている。マリアも当然気づいた。

「騒ぎの原因は、アイリスだけじゃなさそうですね。」

懐の銃を取り出すと同時にコックを下ろし、正面に据える。

マリアは前回の戦いから思っていた事があった。

(次は、躊躇わず撃てるのだろうか?花組の皆はどう思うだろう?)

考えても答えが出なかった。仮に実行したとしても、後が酷く怖かった。

自分も内藤のように責められるのではないか。責められたならば、

自分の居場所はこの世に無くなったも同じであろう。いつも、そんなことばかり考えてた。

「マリア、待つんだ!!」

大神が止めに入るのはいつもの事だ。

『花組の目の前で、生身の人間を再び殺せるか』

この答えはまだでていない。しかし、無理と解っていても銃を構えつづける。

威嚇とハッタリが通用するとはとても思えない。

「マリア、無理すんじゃねぇ。あたいがやるよ。」

カンナが身を乗り出した。花組の中で、カンナが一番マリアの気持ちがわかる人物だろう。

特に、マリアが悲しい事や重荷を一人で背負っている時が、カンナの予想は外れることは無かった。

「カンナさんも、引いてください。」

「なんだぁ、あたいが負けると思ってんのか?」

「そうじゃなくて、俺らがもう帰るんだよ。」

緑色の魔方陣が再び、稀璽の足元に現れた。

「武・政・さ・ん。送ってやるからはよ入れ。」

稀璽としては武政を一刻も早く帝劇、いや、内藤から遠ざけたいのだろう。

「稀璽君に送ってもらうね・・・・送り狼にならないわよね?」

稀璽は思わず吹き出してしまった。

「とっとと入れーーーー!!」

武政はいたずらっぽく笑うと、魔方陣に体を入れると、武政は消え魔法陣だけが残った。

花組も見送る事にしたようだ。なんといってもここは帝劇。大事が無ければそれに越したことは無い。

それを知ってか、稀璽は卑しく笑い出した。

「おっと、今日は慌てて手土産も無しだったしな。置き土産の一つでも・・・置いてこうかな!!」

稀璽は指先から霊力を凝集した一筋の光を放った。

狙いは、アイリス。自分らに近い霊力の使い方ができる、帝劇唯一の存在だからであろう。

アイリスは悲鳴をあげることなく、きっと睨んだままである。

「アイリス!!」

誰もがそう叫んだ。

そんな心配をよそに、アイリスは軽々と瞬間移動で攻撃を避ける。

ほんの1メートルほどずれた場所に姿をあらわすと、

「そんなの、当たんないもん。ベーだ。」

稀璽は一瞬呆気にとられた顔をしていたが、気を取り直すと、アイリスと周辺を見渡した。

「陣は無いし・・・・波動なんて微塵もねぇ・・・・俺が一気に帝劇来たのも・・・・

こいつの影響か・・・?」

考え事を張り巡らせている頭の中に、稀璽からすれば雑音が入った。

「隙ありっ!!」

カンナがなれた足つきで間合いを詰めると正拳突きをくりだす。

見事といわんばかりに稀璽の胸に当たる。

これで、言葉を発せず打ち込めば、不意打ちとしては完璧であるが、

そこはカンナ、隙ありでも正面からだろうと、正々堂々。

しかし、拳と稀璽の体の間に霊力の壁が出来、正拳突きの威力は緩和されたことは、

殴ったカンナにしか解らなかった。それでも稀璽は三メートルほど吹っ飛んでしまった。

受身を取って着地した稀璽の足元にまたも緑色の魔方陣が出現すると、稀璽はさも愉快そうに喋りだす。

「アイリス嬢のおかげで、おもしろくなってきやがったぜ!!!」

「させるか!!」

間合いを詰めていたのでは時間がかかる。内藤は手にしていた光刀無形を投げた。

「あばよっ!!雑魚どもが。」

光刀無形が届こうとする瞬間、魔方陣は発動し、稀璽は姿を消した。

「・・・逃したか。」

稀璽に当たることなく、テーブルに突き刺さった光刀無形を引き抜くと鞘に収めた。

「内藤君。よかったらでいいんだが、昔・・・何があったか君のほうから聞いてみたいんだけど。」

収まりがつきにくい場を感じ、大神が聞いたが、

「いえ、何も覚えがありませんので。」

と、簡単に流されてしまった。

また沈黙が流れると、

「・・・・私、部屋に帰らせていただきますわ。」

と、すこし沈んだすみれの声。

現状としては、アイリスによって散らかされた場をかたづけるのを手伝ってもらいたいのだが、

先ほどのやりとりを見た限りでは、手伝える気力も無いだろう。

「ここは片付けておくから、すみれ君は休んでくれ。」

すみれは言葉無く一礼すると部屋に戻っていった。

ここからは、残った者で

「さぁ、片付けるぞ!」

と、大神が激を飛ばし開始である。

「ほら、アイリスも手伝うのよ。」

マリアがアイリスをけしかけると、アイリスは不機嫌そうになりながらも片づけを始めた。そして一言、

「・・・・アイリス悪くないのに。」

 

 

「ふぅ、やっとおわりや。」

食堂での騒ぎがあった同日、格納庫で光武の点検や手入れ等、いつもの作業を終えた紅蘭の姿があった。

無論いつものチャイナドレスではなく、緑色の作業服。

前回の出撃が久方振りなのはあったが、紅蘭は一日として欠かすことは無かった。

「さてと、あとはあれだけやな。」

紅蘭は天武の前に立った。

『霊力の低い人間でも扱えるように』

そんな米田の要求に、出来る限り答えようとしているのだ。

もちろん、容易なことではない。

霊子エンジンの調整から霊力の伝達効率はもちろんとして、天武の特殊能力である

『都市エネルギー』に重きを置かなければ成らない。

帝都が『都市』として息づくには血塗られた過去がある。

それはまだ帝都が江戸であり、蒸気の世界とは程遠い生活をし日々平穏と過ごしていた。

しかし時の将軍 家康は、配下である『天海大僧正』に魔界の者を召喚させ、

江戸幕府の力をさらに確固たる物にしようとした。が、これに失敗。

結果、江戸の一部は魔界に汚染されてしまい、天海大僧正は自らの霊力を持って大地を切り離し、

海に沈めた。何万ともいえる人々の命と共に。

その人々の怨念とも言えるエネルギーこそ、帝都を発展させ、

降魔という魑魅魍魎を生み出す都市エネルギーである。

降魔が街を襲うのを、誰かは自業自得と笑うかもしれない。

しかし、今を生きる無関係の人が危険にさらされれば、光武が、天武が必要となる。

そして、天武はその都市エネルギーを使っている。なんとも皮肉な話だろうか。

「精が出るな、紅蘭。」

作業に没頭していた紅蘭が振り返ると、そこには米田が居た。

頼んだ張本人として様子を見に来たと言ったところであろう。

「あ、米田はん。今、手つけたところや。」

紅蘭の言葉に、米田は申し訳ない顔になってしまう。

「すまねえな、無理言っちまって。」

「ええんよ、ほんぐらい。それよりちょうどええわ、前に言うてた、

『霊力の低い人間でも』っちゅう『低い』ってどんぐらいなん?

いくらなんでも普通の人やったら無理やで。」

それを聞くと、いささか沈んだ顔の米田が書類を取り出した。

「まぁな・・、こんな感じなんだがよぉ・・・。」

その書類を手に取った紅蘭は驚愕した。

「なんやこれっ!!そりゃ・・・・普通の人よりかは高いんやけど、

光武が動くにはぜんぜん足りひんやん。米田はん・・・これほんまかいな?」

「そうだ・・・・紅蘭、できるか?」

紅蘭は、しばらく難しい顔をしていた。

花組と比べれば、はるかに低い。出来るかどうかは見当もつかない。

「けど米田はん、この機体、誰が乗るん?」

素朴な疑問。紅蘭は言葉を続けた。

「いやなぁ、大神はんは『光武F・2』があるわけやし、

内藤はんは『光武・改』。第一、お二人ともこないに霊力は低くないで。」

「ああ、それはなぁ・・・・・。」

米田は酷く言いにくそうだった。

「米田はん、うちらにも、隠し事するんかいな・・・。」

そんな紅蘭の姿をいたたまれなくなったのか、米田は喋りだした。

「いやなぁ、光武の乗り手が増えるかも知れねぇんだよ。

だから、そいつ用の機体を一機、こしらえてやらにゃあかん。

確かに霊力は低いが、『都市』いや、『地脈エネルギー』を霊力に変換できる天武なら、

霊力が低いのもある程度は補えるはずだ。あくまで、『ある程度』だがな。」

「そう・・・なん。けど、なんで最初からそう言ってくれへんかったん?」

「すまねぇ、あんまり情報漏らすとな、昔っからいい事がねえんだ。

まぁ、機体をこしらえてもらってる紅蘭のやる気がここまで削がれちゃたまんねぇしな。」

紅蘭は少し困ったように笑うと、

「理由さえ聞ければそんでええよ。よっしゃあ、うちにまーかしとき。」

と、いつもの調子で暗い雰囲気を吹き飛ばした。

紅蘭の強さはこの部分なのかもしれない。

「ああ、頼んだぜ。」

そこで会話が中断されると、米田は焦ったように話題を探し出した。

「そういや、明後日に予定してる、霊子甲冑の移送準備は終わってるよな。」

「あぁ神崎重工に送るんやろ、とっくにおわっとるで。

にしても巴里にあった光武Fまで移送するなんて大層なこったで、ほんま。」

先ほどに比べると、断然に嬉々として作業を続ける紅蘭。

「ならいいんだ・・・。」

「なんや、米田はん大丈夫かいな。調子でも悪いん?」

紅蘭が問うと、米田もいつもの調子に戻り

「なぁんでもねぇよ。ちぃとばかし酒が切れちまってな。飲みなおしてくらぁ。」

と、やっと出た、べらんめぇ口調に戻ると、紅蘭も顔をほころばせ、

「米田はんも年なんやから、ほどほどにせなあかんよ。」

軽く米田を戒めた。その姿も、本当の親子に見えなくも無いだろう。

そして、米田は格納庫を出て行ったが、右手は・・・握りこぶしを作っている。

階段を上がり右に曲がってすぐそこ、支配人室。

その椅子に座ると、米田はいつも情けない気分になる。

理由を敢えて言うとしたら、花組が戦っているからだ。

少女達が戦場に送り込まれるときも、また死闘を繰り返しているときでも、

米田は椅子に座っていた。米田は自分の無力さを恨んでいた。

そして、いつも小さく呟く言葉があった。

「俺は、軍人なのによ・・・。」

ふと、机の上の写真立てに目をやる。

大神が巴里に発つ前に撮った写真が目に入る。

大神が居て、花組が居て、椿がかすみが由里が居て、かえでも居て、そして米田自身が居る。

「これだけはよ・・・・譲れねえよな。」

写真立てに手をやると、思い出が頭をかすめた。

大神が来てからの事が、鮮明に思い出される。

その隣の、もう一つの写真立て。

かつての帝国陸軍対降魔部隊の頃の写真。

山崎少佐、真宮寺一馬大佐、藤枝あやめ中尉。そして米田が写っている。

「すまねえな、俺一人だけ、な・・・。」

一人だけ生き残った自責の念など、いままで何回したであろう。

老いた自分は生き残り、未来を嘱望された者が一人、また一人と帰らぬ人になっていく様は、

米田には酷く辛かった。

皆で何かを誓い合ったわけでも、何か伝え残した事があるわけでもない。

あるといえば、只一つ

「なぁ、一馬・・・あの約束よぉ守るぜ。いや・・・果してみせる。だから安心しててくれな。

ちょっと、老いぼれが先の短ぇ命賭けるだけだよ・・・・。」

杯を傾ければ、降魔戦争の頃とは比べ物にはならない・・・平和な夜が、静かに更けていった。