第壱話 「出会いと再会の場所」

 

その1

 

 

 米田の下に内藤が現れて、もう一ヶ月が経とうとしていた。

花組隊長・大神一郎が帰ってくるのが、明日と迫った日。大帝国劇場 地下施設にある作戦司令室。

軍服の米田はむずかしい顔をして、飾り気のない一つのスイッチを見つめていた。

傍に居るかえでは、なぜか少しあきれ顔で米田を見つめている。

米田は「ふぅ。」と軽く呼吸をした後、一つのスイッチを押した。

「ビィィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーー

大帝国劇場全体に警報が響く。

それから数十秒後、作戦司令室の扉が大きな音を出して開く。プラチナブロンドの髪をなびかせ、

背が高い大人の雰囲気と静けさをかもし出す、黒い戦闘服の女性が入りざまに言った。

「マリア・タチバナ。ただいま到着しました。」

続けて銀髪で、一見すると男の子の様な顔立ちの者が、青い戦闘服を着こなし作戦司令室に入ってきた。

「レニ・ミルヒシュトラーセ、到着しました」

「桐島カンナっ、ただいま到着だぜ。」

身の丈2メートルはあろうかという、頭に白い鉢巻をした赤い戦闘服の女性が

作戦司令室に大きな声で入ってきた。武道の心得があるのだろうか、

その動きからは、隙のなさと力強さを受ける。

「米田はん、なんでいきなし警報がなんねん。」

不意に関西弁が聞こえてくる。戦闘服は緑、顔にはそばかすがあり、左右に三つ編みを下げた、

大きなめがねした女性が米田を睨んでいる。

「まあまあ紅蘭、全員そろったら説明してやるよ」

紅蘭と呼ばれた女性は、納得いかないままの顔で、米田をじっと睨んでいる。

「神崎すみれ、遅ればせながら到着ですわ。」

紫色の戦闘服の女性が颯爽と作戦司令室に入ってきた。

ショートカットで茶色髪の毛の女性は、髪を耳にかけながら威風堂々とした態度で言った。

「へん、遅れといて偉そうにな。」

カンナがすみれに聞こえるぐらいの声で言う。

「あなたがそのでかい図体で、わたくしを押して行かなければ遅れませんでしたわ。」

悪態を言い合う二人に対し、作戦司令室に人が入ってくるたびに、

少しずつ辛い顔になっていくかえでは、やる気が無さそうに言う。

「二人とも・・・やめなさい。」

その雰囲気を感じ取った二人は、すぐさま言い合いをやめた。

二人とも、かえでに迷惑を掛けたくないのは同じなのだろう。

「シュィィーーーーーーン」

皆が音の方向に振り向くと、空間が円形の黄色い光を放っていた。

「きゃああああーーー」光の中から悲鳴が聞こえて来たかと思うと、

床の上にうつ伏せの金髪の少女が寝そべり、その上に赤いドレスの女性が座っている。

「チャオ みなさ〜ん。」

見かけは日本人だが、挨拶はイタリア風だ。黒髪ですこし片言に近い日本語を話しながら、

少女の上に乗った女性は喋っている。

「織姫〜、早くどいてよ〜。」

下敷きにされたアイリスと呼ばれた少女は潰れそうな(実際潰れているが)声で悲哀の念を訴えている。

「仕方ないですね〜、けどアイリスの『テレポート』が下手だから悪いで〜す。」

言いつけるように言いながら、スクッと立ち上がる織姫と呼ばれた女性。

それと同時にアイリスの顔に安堵の色が浮かぶ。

「ふぃー、織姫重いよぅ。」

「でっかいお世話の上に、失礼ぶっこいてんじゃありませーん。」

その二人を見て口を開いたのは、今度はマリアであった。

「二人とも、警報は聞こえたでしょう。なぜ着替えてないのっ。」

マリアが厳しい口調で言うが、織姫は即座に反応する。

「シェスタの時間にいきなり鳴るのが悪いんでーす!」

激昂する織姫。それにアイリスも賛同して言い合う。

「アイリスもお昼寝してたのにぃ。」

「まあまあ、今回は私服でもかまわねぇよ」

米田はそれを見かねて仲裁に入った。その米田の言葉の不自然さに一番早く気付いたのは、すみれだった

「どういう意味ですの、米田さん」

それをきっかけに紅蘭も不自然さに気付いたようだ。

「私服でもいいような事に警報つかったん?」

紅蘭も不機嫌そうに尋ねる。

「みんな聞いてくれる・・・・実は」

辛そうな顔でかえでが言いかけたが、即座に米田が止めに入った。

「だぁーーーーー。まだ言うんじゃねぇ。さくらが来てねぇだろうが。」

と、米田が言うや否や、

「ドンッ」と大きな音を立てて作戦司令室のドアが開いた。

そこには桜の色と花びらが描かれた和服を着た女性が、息を切らしていた。

「しっ、・・真宮寺・・・(はぁはぁ)・・さくら・・・(っはぁ。)ただいま参りました。」

息切れしながらも話す女性。長髪にして黒髪が麗しい、いかにも大和撫子といった感じだ。

「さくらさん、着替えもせず遅刻してくるだなんて、いつまで経ってもどんくさいですわね。」

不機嫌そうに悪態をつくすみれ。

「すっ、すいません。お風呂に入ってたら急に警報が鳴ったので。」

やっとの事で呼吸を整えてさくら言い終えると、カンナがすみれに食ってかかった。

「だからっ、おめぇが言うなよ!」

またもカンナとすみれいい合いが始まるかと思いきや、レニがそれを横目に口を開く。

「米田司令、作戦内容は?」

それを聞くと待っていたと言わんばかりに、米田はニヤッと笑う。

「うむ。それでは作戦内容を発表する。」

「はい。」

戸惑う者、待ちわびた者、不意を突かれた者、それぞれは声をそろえて返事をした。

米田はキリッ、と顔を引き締め、威勢のいい声で作戦内容を告げる。

「目標地点 上野公園 全員、花見の準備をせよっ。」

花組一同はそれを聞いて動きが止まる。花組は思考が完全に止まった。

しばらくの空白の時間が確かに存在した。

「・・・・はぁ?本気ですか司令。」

マリアを始めとする花組全員、肩透かしを食らっている。

「米田はん・・・そんなことに警報使いなはったんかいな。」

米田に食ってかかった紅蘭も、すっかり呆れ顔になっている。

「本当に・・・・花見ぃ?」

固まったカンナには精一杯の答えだった。

「警報を使う意味ないでーすっ。」

「・・・無いよ。」

織姫とレニは警報の必要性まで説いてきた。『花見の準備』、で警報の非常召集を受ければ当然だろう。

「あの・・・その・・・、緊急事態・・・・なんですよね?」

さくらだけは何とか米田の肩を持とうとしているが多分に無理があった。

「おうっ、緊急事態だよ。それもとびっきりのなぁ。なんたって、

大神の野郎が帰ぇって来るんだからな。ダァ〜ハッハッハッ。」

米田の豪快な笑いが作戦司令室に響く。

それを聞くと花組はまたも唖然とするが、すぐさま誰もの顔に、笑顔が出てくる。

皆、大神を慕っているのだ。

「わぁ〜い。お兄ちゃんがかえって来るんだ〜。」

アイリスのように大喜びする者、静かに微笑む者などさまざまだ。

「そりゃあ確かに一大事やわっ。うっしゃあ、『宴会くん元締め』の出番やっ。」

紅蘭は、怪しい名前を口にしながらやっきになっている。

ちなみに宴会くん1.2の両機は、紅蘭が作ったにもかかわらず、いや紅蘭が作ったせいであろうか、

日の目を見ることはついに無かった。

「大神さんと、上野公園かぁ・・・。」

さくらは深い思い出に浸っている。大神が帝劇に着任した時、出迎えをしたのが、

さくらのただ一人だったのだから当然と言えよう。

冷静なマリアも顔がほころぶ。

「巴里での戦いも、一段落したのですか。さすがは隊長ですね。」

と、尊敬の念を表した。帝都の危機を二回も救った大神は、巴里でもまた、強大な敵と戦って来たのだ。

誰一人の犠牲を出さず、人々を守りぬいた彼こそが、英雄と呼ばれるにふさわしいだろう。

「けど、隊長が明日帰ってくるのだったら、少なくても一ヶ月前には解ってる筈だよ。」

レニの鋭い指摘に米田はたじろぐ。大神が帰ってくる感動で、そんな事は言われまい。

と、たかをくくっていたのであろう。その疑問にはさくらとすみれも賛同した。

「そういえば・・・私たちも一ヶ月かかって巴里に行きましたよね・・・・・。」

「そうですわね。一ヶ月前に解っている事が、前日に緊急事態・・・というのも理不尽ですわね。」

戸惑いの顔を見せる米田を見かねて、辛そうな顔のかえでが口を開く。

「ごめんなさいね、みんな。わたしは反対したのだけれど、

司令が『この方がみんな驚くだろう』からって・・・。」

言い終わるとかえでは、小さなため息をついた。

「ほっ、本当なんですか。司令」半信半疑でさくらは米田に問う。

「ばれちゃぁしゃ〜ないな。ダァ〜ッハッハッ。」戸惑う花組に対し豪快な笑いで答える米田。

その笑い声を聞くたびに、花組の士気は削がれていった。

「とにかくっ、大神君は明日帰って来るんだから、みんなしっかり出迎えるのよ。」

すかさずかえでが救いの手を入れる。

米田の笑い声で士気をそがれているのは、かえでもおなじであろうに…。

「それもそうで〜す。こ〜んなしけもく顔じゃ、中尉さんを迎えられませ〜ん。」

景気づけのように織姫が言い放つ。その言葉に花組一同は賛同し、やる気が戻った。

それが彼女ら共通の良い部分なのだろう。

「そうね、隊長を迎えるのだから」

「やっぱり笑顔、ですよねっ。」

マリアとさくらが打ち合わせでもしたかのような、絶妙なタイミングで言う。

「そやなっ、それでこそ花組やっ。」

紅蘭も笑顔を満面にし、元気いっばいに言った。

「そうですとも、中尉の出迎えを満開の花で彩るためにも」

「み〜んな笑顔で出迎えるだもんっ。ねぇ、レ〜ニ。」

「うん、隊長も笑顔で帰ってくるだろうから。僕達も、笑顔でなくちゃ。」

すみれ、アイリス、そしてレニも米田の笑い声で、失ったやる気を取り戻した。

「ではっ、解散。ちゃ〜〜んと準備するんだぞ」

米田の言葉に反応し、花組一同はいっせいに作戦司令室の扉を目指した。

「あぁ、紅蘭。ちょっとばかし残ってくれぃ。」

米田の言葉に反応して動きを止める紅蘭。その間に紅蘭を除く花組の面々は作戦司令室から出て行った。

大神を迎える準備に胸を躍らせているのは全員同じであろう。

花組が行ったのを確認すると、米田は紅蘭に疑問を投げかけた。

「なぁ、紅蘭。いまぁうちにある霊子甲冑な、ちゃんと全部動くよな?」

いつに無く真剣な顔の米田に対し、紅蘭は怒りの顔をあらわにした。

「米田はん、アホ言わんといてっ。

『光武・改』『天武』は両方共、うちがしっかり整備しとるんやっ。動かんはずあるかいなっ。」

怒りをあらわにする紅蘭。使われる機会が無いとはいえ、整備を怠るような事はしないだろう。

米田はその姿の紅蘭を予想していたかのように、紅蘭をなだめはじめた。

「すまねぇすまねぇ、何も疑ってるわけじゃねえんだ。ただ、大神の野郎の機体をな、

霊力の低い人間でも扱えるようにしてほしいんだ。もちろん、できる限りでかまわねぇ。」

なだめる米田に対しますます疑問の色を強くする紅蘭。帝都の大戦が終わった今、

悪しき者との戦いのための『霊子甲冑』を動かす、しかも改良をしろと言っているのだから、

紅蘭の心は疑問でいっぱいだろう。

「せめて・・、理由ぐらいは言ってくれるんやろな。」

紅蘭の声は強張っていたが、悲しげだった。すると米田は決意を固めたように言う。

「今度、まとめて全部話す。だからっ、今は頼む。やってくれ。」

ただならぬ米田の雰囲気に紅蘭は気付き、快く了解した。紅蘭の顔にも笑顔が戻る。

「わかったわ。米田はんが『頼む』言うんなら断れんわな。まかしときっ、ほなっ。」

言うが早いか、紅蘭はすばやく作戦司令室を後にした。

それを見届ける米田とかえでには、しばしの沈黙がながれる。

「支配人にしては、ずいぶん素直でしたね。」

「まぁ、な。あの子達はその『舞台』があれば一役買うさ。もう、俺がとやかく言わなくてもいいさ。」

するとかえでが、。

「けど、また・・・・戦わせなくてはならないんですね。」

悲しそうな声のかえでに対し米田は反対に怒りを表わにしていた。

「あぁ、また戦わせなくちゃならねぇ。」

そう言いながら米田は「キュウッ」という音を出し、白い手袋をした手で悔しそうに握りこぶしを作る。

帝国華撃団の戦いの数は、いくつもあった。

しかし米田もかえでも、前線で戦う事は無かった。戦えなかった。

そんな悔しさの表れだろう。

おそらく米田は、今までの戦いの数だけ、この握りこぶしをつくったのだろう…。

 

 

翌日、朝も早くから帝劇花組の面々は花見の、

もとい大神一郎の帰りを祝しての準備を慌ただしく行っていた。

これもすべて、『花組が驚くだろう』と前日に花組に発表した米田のせいであろうが、

花組はそんな事は忘れて、それぞれの仕事をこなしていく。

厨房には、料理をするさくらとマリア。さくらは着物の裾を白い帯で締めているのに対し、

マリアは普段の雰囲気からは考えられない、フリル付きのエプロン姿だ。

煮物や料理をなれた手つきで重箱に詰めていくさくら、

一方のマリアはスープを煮込みながら顔をほころばせている。大神との再会がよっぽど嬉しいのだろう。

そこに突然、アイリスが大声を出してやってきた。

「マリア〜、お料理できた〜?」

「もうちょっとよアイリス。さくら、そっちはどう?」

「はいっ、もうできましたよ。ほら、アイリス。」

さくらはそう言うと、重箱を三段に重ねて蓋をし、アイリスに手渡す。

しかし、アイリスの興味はマリアに移っていた。

「あぁ、マリア かわいい〜。」

アイリスの素直な感想に対し、マリアは顔を赤らめる。

「そ・・、そんなことないわよ。」

「そんなことないですよ。マリアさん似合ってますよ。」

アイリスと同じ意見のさくら。普段と違う姿のマリアを見れて、さくらもはしゃいでいる。

それを聞くと、ますます顔を赤らめるマリア。

『綺麗』とは言われても、『かわいい』と言われる事に慣れていないのだろう。

そんな姿が、ますますかわいらしく見えるマリア。

「ほっ、ほら、アイリス。早く料理を運ばないとカンナ達が待ちくたびれるでしょう。」

照れ隠しにマリアが言う。

「あっ、そうだった。アイリス行くね〜。」

さくらから受け取った重箱を大事そうに抱え、アイリスは元気よく走り、厨房を出て行った。

アイリスが出て行くのを見ると、少しほっとするマリア。

これでからかわれないで済むと安心したのだろう。

しかしそれを見たさくらは、意地悪そうに笑う。

「ふふっ、本当に似合ってますよ。マリアさん。」

マリアはまたも、困惑の色を浮かべる。逃げ場を求めるようにマリアは目をそらしたその先には、

先ほどから煮込んでいたスープがあった。すかさず味を確かめ、マリアは赤面したままさくらに言う。

「ほ、ほらっ。さくら、ボルシチもできたわよっ、じゃあ私は着替えてくるから。」

肉と野菜をじっくり煮込んだロシアの代表的なスープ『ボルシチ』

マリアは、以前大神と一緒に作った事のあるボルシチを、再会の料理にしたようだ。

照れくさく厨房を出て行くマリアを見て、

「ふふっ。」さくらはまた少し笑い、厨房のかたづけを始めた。

 

 

一方ロビーでは、カンナとすみれが料理の到着を待っていた。

「おせぇな。マリアたち何やってんだ。あたいも手伝ってくるかな」

「あら、カンナさん料理なんてできまして?

まぁカンナさんの料理で中尉を出迎えれるわけありませんけど。」

カンナに対してすみれは悪態をつく。至極、いつもの事だ

「何ィ〜、じゃあおめぇは作れるのかよっ」

「そっ、それは・・・・。」

急に口ごもるすみれ。お嬢様育ちのすみれにとって高級な料理は食べても、

自ら料理を作る事は無いのであろう。するとロビーの近くにある売店の方から、

元気のいい声が聞こえてきた。

「カンナさん、すみれさん。待ってくださ〜い。」

すると女の子とも言える一人の女性が、売店の影からひょっこりと顔を出した。

顔立ちは幼く、顔には紅蘭と同じくそばかすが目立っているが、

それが逆にかわいさを一層かもし出している。

そして見た目にも元気がいっぱいだ

「あっ、あら椿さん。どうかなさったのですか。」

突然呼び止められ不思議がる、いや逃げ場を得たすみれ。

「おぅ、椿。どしたんだ?」

すみれをせめていたカンナも言い合いをやめ、椿の方に向き直った。

「さっき、由理さんから聞いたんですけど、今日大神さんが帰ってくるって本当なんですか?」

すみれとカンナに笑顔を向けて聞く椿。どうやら椿には大神が帰ってくる事を知らされてはいないようだ

事務室のかすみと由里、そして売店の椿。この三人の仲の良さは「帝劇三人娘」と言われるほどである。

そして由里は無類のうわさ話好きだ。大方、ほかの花組の人にでも聞いたのだろう。

「あらっ、椿さんお聞きになってらっしゃらないの。」

「まぁ、アタイ達もつい昨日聞いたんだけどな。米田のおっさんのせいでさぁ、

『その方がびっくりするだろう〜』だってさ。」

カンナは愚痴っぽく言いだした。

切羽詰った状況での準備とその慌ただしさというのは、それは劇の準備の時と同様、

カンナ以外の花組の者でも経験し、そしていやなものだろう。

それを、大神の出迎えの準備でやられたのだから、花組一同はたまらないだろう。

「そうなんですかっ?支配人も意地悪ですね。何も、大神さんの出迎えでやらなくても・・」

椿も驚愕の声をあげる。椿も、いつかきっと来るであろう大神の帰りを、心待ちにしていたのだろう。

「じゃあ、すぐに準備しなきゃなりませんね。」

嬉々として売店の整理を始める椿。そこに聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「カンナ〜〜〜〜、すみれ〜〜〜〜。お料理持って来たよ〜」

そこには重箱を少し重そうに持って来るアイリスが、

そしてその後ろにはなべを抱えたさくらの姿があった。

マリア特製のボルシチを大事そうに抱え、さくらもシトシトと歩いてくる。

「お待たせしました。マリアさんは着替えてくるそうです。」

なべを抱えたさくらも笑顔でカンナとすみれに話し掛ける。

「そうそうそう、マリアのエプロン姿かわいかったんだよ〜。」

「マ、マリアが、エプロン姿〜?」

「そっ、そんなの見た事も聞いた事もありませんわよっ。」

アイリスは軽く言うが、それを聞いたカンナとすみれには、なかなか重大な事らしい。

長年帝劇で共に暮らしていたがマリアは、よほど自分のそういう面を出さなかったのだろう。

「そうだよ〜、マリアかわいかったんだよ。ね〜、さくら。」

「ふふっ、そうねアイリス。マリアさん本当に似合ってましたよ。」

アイリスとさくらの会話は、売店の整理をしていた椿にも届いたようだ。

「えぇ〜〜〜〜〜〜?マリアさんがエプロン姿って、ホントなんですか?」

椿も、にわかには信じがたいらしい。

「ほ、ほんとですよ。もう着替えたでしょうけど・・・。」

さくらは反論するが・・・それまでだった。

ロビーから二階に続く階段を、マリアが音も立てずに降りてくるのが見えたからだ。

その視線に気付いた一同は、一斉に階段の方を見た。

そんな仲間達の驚愕の目を見てか、さっきの動揺も含めてか、マリアは一瞬身を引いた。

一時の沈黙の流れる中、マリアの後ろから声が聞こえてきた。

「みんな、どないしたん。なんかあったんかいな?」

マリアの後ろから出てきたのは、事態を把握していない紅蘭だった。

この場で紅蘭だけはマリアがエプロン姿になった事を知ってはいなかったのだから、

仕方ないといえば仕方ない。

「紅蘭・・・べっ、別になんでもないのよ。」

場の雰囲気と皆の言いたい事を瞬時に察知したのだろう、マリアがすかさず紅蘭に言った。

よほど自分の姿の事を知られたくないのだろう。

「え〜〜とね。さっき、マリアが・・・・・」

ここでもアイリスが言おうとしたが・・・マリアの事を想ってか、さくらが止めに入った。

「そっ・・・・そんな事より、早く上野公園に行きましょうよ。レニと織姫さんも待ってますし・・・。」

「そだな。ただの場所取り、てのも退屈だろうしな。」

古い付き合いからマリアの気持ちを汲んだのであろう、カンナも同意見だ。

「何でもないん?なんかあやしぃなぁ。」

当然のごとく紅蘭が疑ってくるが、その疑いの念は、すみれの言葉でかき消された。

「そういえば紅蘭、『宴会くん元締め』って、なんですの?」

「すみれはん、よう聞いてくれはりましたなぁ。」

紅蘭の疑惑の念はすべて吹き飛び、嬉々として機械について語り始めた。

「『宴会くん元締め』っいうんはなぁ、宴会くんシリーズの大元として作った機体なんや。

誰もが忘れてしまいそうな基本のぼけ、そしてつっこみをすべて音声でやってくれるんや。

しかも声入れてくれた人がなぁ・・・・」

説明が進むにつれ表情が沈んでいく一同。機械しかも紅蘭の発明品とくれば説明は延々と続くのだろう。

大体は、説明もむなしく爆発していくのがほとんどだが・・・・・。

「紅蘭〜。早く行かないとお兄ちゃん来ちゃうよ〜。」

「ああそうやったな、アイリス。まぁ『宴会くん元締め』のお披露目は次の機会、ちゅうことでな…。」

「なんだぁ?紅蘭、それの準備してたんじゃないのか。」

アイリスの言葉にふっと気付き、元気ながらも少し沈み顔になる紅蘭に対しカンナが疑問の声をかけた。

「ちょっとばかし・・・、米田はんから頼まれごとが有ってな。まぁ、今度見せますさかい。」

元気な顔に戻る紅蘭だが、どことなく違和感が残る。機械をいじるのが好きとはいえ、

理由も告げられずにしての光武の改造、強化は、ひどく答えたのだろう。

その気持ちは、さくらとアイリスの感じるところとなった。

「ねぇ・・・紅蘭元気ないみたいだよ。」

「・・・紅蘭ならだいじょぶよ、アイリス。」

紅蘭に気を使うまいと、皆には聞こえないぐらいの小さな声で言い合う二人。

「さあ、みんな。そろそろ行かないと、ほんとに遅れてしまうわよっ」

花組一同の後ろから急に声が飛んでくる。

そこには、いつもの白と緑の洋服を着こなした、かえでが立っていた。

「私もそろそろ出るしね。ほらっ、大神くんを待たす気なの?」

にっこりと微笑み、皆に問い掛けるかえで。

「そやそやっ。大神はん待たせるわけにいかんわな。」

「すみれ、車の用意はできてるの?」

マリアの問いに、得意げに反応するすみれ。

「当然ですわ、玄関の前にございましてよ。」

一同が帝劇の扉を開くと、そこには蒸気自動車が数台揃っている。

それと言うのも、神埼重工の社長『神埼 重樹』つまり、すみれの父の力によるものだろう。

「すご〜い。自動車いっぱいだぁ。」

歓喜の声を挙げるアイリス。電車や汽車が移動の足であった当時、乗用車に乗る事はなかなか無かった。

「アタイは走るのが一番なんだけど、たまにゃあいいか。」

「じゃあ、あなただけ走ってらっしゃいな、カンナさん」

いつもどおり言い合うカンナとすみれ。しかし、今回は即座にマリアが止めた。

「二人とも早く行くわよ、向こうのレニや織姫が先に、隊長に会ってしまうわ。」

「まぁ、大神はんの事やから、『花組らしい』て、言うてくれるんやろうけどな。」

「ふふっ、大神さんならきっと、そう言いますね。」

心地よい思い出に浸りながら車に乗り込むさくらと紅蘭を始めとして、

皆は帝劇を後にし、それぞれの浮き立つ想いを抑えている。

そして、車は上野公園へと向かって行った。