*前ページの続きでタイトル通りの感想文その2.このページは主にネタバレ感想を書き綴ってあります。
以下ネタバレ感想。前ページはこちら。
この本は文庫本であるが、かなり分厚く430ページもある。しかしそのうち300ページくらいは3千年前のエグい風習の数々について綴られている気がする。サブキャラクターのエピソードや宝貝の科学的解説・戦闘シーンなどはかなり好きなのだが、あんまりにもエグいシーンが長いので万人にはオススメできかねる。
仙人界がほぼ絡んでおらず宝貝や術にも科学的(本当に可能かは知らない)な解説が加わっており、封神演義にしては荒唐無稽ではない印象だ。
この小説ではキャラの大幅削減が行われているが、その分出演権を得たキャラのエピソードは良い物に仕上がっている。李一家と太乙と土行孫・嬋玉のファンには是非オススメしたい。それこそ彼らのエピソードはエグく無いからエグい300ページを読み飛ばしてでも読む価値はあるかと。
キャラの大幅削減により原作やWJ版では大家族だった黄一族の男性は飛虎1人になっている。仙人が太乙しかいないので天化すらいない。父も弟も息子もいないえらく身軽な飛虎像はある意味新鮮。
ただ飛虎ファンに薦められるかと言ったら・・・う〜ん。いやいやとはいえ600人の奴隷の首を切るよう部下に命ずる飛虎や酒池肉林に服を着て参加しゲンナリする飛虎はどうだろう。少なくとも筆者はこっちまでゲンナリしてきたから。
家族がいない身軽な飛虎は同人女性にオススメできるかと思ったが、この小説では聞仲は凄い役回りなのでやっぱり薦められない。南宮カツ将軍は特筆すべき項目が見当たらないくらい普通の役回りだけど。
ただこの小説を読んで筆者は黄一族の見方がかなり変わった。私は黄一族はWJ版のサーカス団みたいな仲良し大家族のイメージが強く、わりとほのぼのとした印象が強かったんだが・・・。よく考えたら『あの』殷の大将軍家ある。多分奴隷の生け贄やら姜族狩り命令の1度や2度は受けていてもおかしくないわけで。
筆者は黄一族は味方のイメージが強く造反前の生活がどのようなものだったか考えたことも無かった。しかしそれこそ黄貴妃が後宮に入っていなかったら今すぐにでも造反したくなるようなゲンナリした物だったのかも知れない。
元々殷は奴隷を殉死させる風習がある(と伝えられている)事は知識だけならあった。たしか諸星大二郎のマンガだと思ったが兵士が異民族の首を次々切り落とす場面は10年経った今でも鮮明に思い出せる。
紂王や妲己の悪行だって本人達は命令を下しただけのはずである。実行部隊は別にいたはずだ。だからと言ってそれらの風習と黄一族は筆者の頭の中で今の今まで結びつかなかった。というより未だに結びつかない。
何だかんだ言っても、まともに黄一族を全員ビジュアル化してくれたのは私の知っている限りじゃ藤崎先生だけだからなあ・・・。WJ版の竜環(ピエロ)や周紀(長髪丁寧語)が奴隷狩り・・・う〜ん想像力の限界。
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敵方ではいい人だった呂岳とその弟子達、およびSFチックに戦う最強夫婦の張奎と蘭英が好きだ。呂岳のエピゾードは作中1,2を争うエグさなので同意は少ないと思うが。全体的にこの小説は爽快感が皆無なんだよなあ。
味方では姫発と周公旦だろうか。短いエピソードだが伯邑考への、己の自分自身すら認めたくないだろう本心を覗かせる場面が良い。しかし武王が真っ当な国王をやっているものはこれくらいじゃなかろうか。
さて私がこの小説でのイチオシは殷郊・殷洪兄弟のエピソードだ!原作とは全然違い「武王伐紂平話」「春秋列国志伝」が元なので太子兄弟は周側の人間となっているし、母の仇を討つ場面もある。敵のままが好きな方もいらっしゃるだろうからオススメキャラにこそ入れなかったが良いものだ。
この話には仙人界が絡まないので太子兄弟も2人きりで生きてきたという設定になっている。兄弟が周軍の決死隊に選ばれた後に2人の詳しい会話シーンがあるのだ。ちなみに362ページだ。
筆者はこの頃になるともう感覚が麻痺していて大概のエグい描写にももう何とも思わなくなってきていた。しかし太子兄弟の12歳と8歳の時の話と現在の悪夢は、ほんの2P半の会話文に過ぎないのに麻痺していたはずの心に突き刺さる。仙人に助けてもらえなかった兄弟はこうなるしかなかったのだろうか。
この2人の父親がどんな残虐行為をやってももうこちらは麻痺っているのに、息子達(父には全く似ていない)が子供時代に生きるために行った事はどうしてこんなに胸に来るのだろう。筆者は子供に弱いようである。
外見描写は「ふたりとも眉目秀麗で気品ある顔立ち」なのでWJ版の美少年兄弟がお好きな方でも安心だ。
ここから先は本当にネタバレなので注意。
先ほどの続きだが、まあぶっちゃけいい年の武人のくせして12歳と8歳の子供に殺される方が悪いと思う。あと終盤の乱戦シーンを鑑みるにつけ2人とも「武芸は不案内」って絶対嘘だろう。
兄の郊は途中で死んでしまうが、弟の洪は生き残る。そして将軍として朝歌に入り母の仇と妲己を斬る。これは「武王伐紂平話」「春秋列国志伝」での殷郊の役だ。その後傀儡の君主となり武王の弟達と一緒に周に謀反を起こすが失敗。誅殺される。これは史実の紂王の息子、武庚の役だ。洪には色々な要素が入っている。
しかし思うのだが。WJ版の洪だったら、兄に先立たれて傀儡の君主とされた時点でもう自暴自棄になって叛乱でも何でもしそうな気がする。誅殺されても兄の所へいけると喜びかねない気がするなあ。WJ版の洪は何歳だろうか。17歳以下である事は間違いないが。
ちなみに今までしつこいくらいエグいエグいと書いてきたが、実際の小説の内容もしつこいくらいエグいから世話は無い。しかしエグい内容をひたすら書き連ねてあるのも実は伏線であり、最後にはその時代が許せぬから浄化しようとする未来人が現れる。
そういったSF要素も隠し味程度なので、あらかじめネタバレで知っていなかったら展開が把握できなかったろうなあ。
筆者もあのエグさの数々は読んでいて良い気分になる内容では決してなかった。というよりあれで良い気分になる人はいないと思う。
だからといって過去を変えてしまおうなどという考えまでは思い至らなかった。それは未来人のエゴイズム以外の何でも無いだろう。
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舞台となっているのは人工の仙界なので、登場人物も本物の仙人ではない。元始天尊や崑崙十二大仙も出てくるが、ただそう名乗っているだけの俗人である。截教(金鰲)側は人工生命だ。
しかしわざわざ道教最高神元始天尊と名乗るのは非常に不遜だと思われるだろうが、作中でも酷く横柄な人物である。崑崙十二大仙など元始の「助手兼おもり」と言われていて思わず噴き出しそうになった。
そう名乗っているだけで決して本物の神仙ではない事は理解しているはずだが、元始天尊が高慢な俗人であり十二仙が徒党を組みたがる人達と言われるのは何か嫌な気分である。かなり俗人のWJ版ですら徒党を組みたがる人達ではなかったと思われるが。・・・いやWJ版はむしろ個性が強烈で協調性があるのが不思議なくらいか。
先ほど嘉藤版と登場人物が共通しているのは2人だけと書いたが、それが誰かと言ったら龍(竜)吉公主と太乙真人である。何でこの2人なのかは尋ねられても返答できかねる。
ちなみにこの小説における竜吉は「この女は通天教主の情婦(燃燈談)」で人工生命体である。・・・公主、ついに截教(金鰲)側にされたか哀れな。
太乙真人は元始天尊か経営する会社の重役であり、元始の腰巾着というか「助手兼おもり」である。しかも何故か燃燈と共に元始の1,2を争う腹心となっている。ありゃどう見ても太乙が十二大仙筆頭であろう。
多分太乙真人(と名乗る男)は前世紀末に日本で連載された封神演義を読んで自分の通称を決めたのではなかろうか。彼は元始が希望するプログラミングを要望通りに作り上げるスタッフであり、かなりWJ版の太乙とイメージが被るから。
違いはWJ版の太乙が全部1人でやる職人ならば、セレス版は会社重役なのでプロジェクトチームのリーダーといった様相を呈していることだろう。
セレス版の太乙は元始の大人気ない行動や無茶な要望を叶えるために苦労しているイメージだ。重役の太乙がこれでは彼の部下である末端のプログラマー達は終始悲鳴を上げっぱなしだろうに。
それにしても何で嘉藤版との共通キャラが竜吉と太乙なんだろうなあ。WJ版では崑崙山の操縦者コンビであったし案外動かし易いキャラなのかもしれない。
あとがき━━この項目を読んでの通り筆者は太乙真人に入れ込んでいる。元々私は中国史には不案内なのだが、日本史の講義で「天照大神のモチーフの1つは道教の太乙神」といわれて以来すっかり入れ込みっぱなしだ。あとは日本古典の八犬伝に出てくる伏姫は観音(慈航)や文殊をモチーフとしているというのも気に掛る。
十二仙レベルになると性別くらい超越できるのだろうか。
(2006.11.30)