嘉藤版とセレス版封神演義の感想(太乙と竜吉メインで)・その1


*タイトル通りの感想文。このページはネタバレに配慮してあると思います。ネタバレ感想は別ページに。


『小説封神演義 嘉藤徹 PHP文庫 (2000年発行)』

タイトルから解るようにこれは訳本の類ではなく封神を元にした小説である。しかし仙人界がほぼ100%絡んでおらず太子兄弟が普通に周についているので封神演義の元ネタの「武王伐紂平話」「春秋列国志伝」に近いかと思ってたらあとがきにそう書いてあった。

この話にも太乙は出てくる。仙人界がほぼ100%絡んでいない話において太乙は仙人勢で唯一出演権を獲得していた。故に崑崙十二仙とかいった設定は無く、李一家に関わる理由も違っている。正直言って太乙と李一家の話はこの小説のバージョンが一番好きだ。

好きなんだが、何だか崑崙十二仙ではない太乙真人って妙な感じである。筆者は太乙がどれだけスタンドプレーが多かろうが他の十二仙と比べてアドバンテージが大きかろうが、やっぱり「崑崙十二仙」という十把一絡げの扱いの中では目立っているキャラという印象だからなあ。紅一点というだけで取り沙汰される十天君の金光聖母みたいな感じ。

しかし太乙は崑崙十二仙設定と李一家との関わりという2つの重要設定の持ち主であるおかげで、封神モノの中ではかなりの確固たる地位を築いている気がする。

十二仙の中でもそれこそ十把一絡げで全然目立たない仙人もいるし、十二仙のほぼ同立場であってもWJ版では最後にいきなり登場してバランスを崩していった燃燈や安能版では反封神計画者とかいう凄い設定らしい(未見)雲中子。そもそも何故か全く登場しない元始天尊の一番弟子南極とかは個人的に不安定だと思う。

メディアによって全然違うといえば申公豹だが、彼は安能版批評では真っ先に槍玉に挙げられるのでここでは省略。私が一番不安定だと思うのは竜吉公主。彼女も実は封神モノの中では太乙並みに出番が確保されているが、太乙と違いメディア毎に設定が全然違うというかもはや別人である。

ちなみに今回は仙術が使える人間の巫女だ。

味方勢では稀少な紅二点。しかも嬋玉と違い夫がマイナーキャラであり天帝の娘なのに封神されるという訳わからなさが設定がしっかりしている太乙との違いだろうか。稀少な味方バトル担当女性であるので、あたかも初期格ゲーの女性キャラの如くありとあらゆる要素が詰め込まれている感じ。

太乙真人は「この封神モノではどんな扱いかな〜」と読み比べてみる楽しみがあるが、竜吉公主は読み比べても最早同一人物には見えない。

以下ネタバレ感想


『セレス 南條竹則 講談社 (1999年発行)』

セレスとはギリシャ語で中国を意味するらしい。21世紀終盤の中華文化圏を舞台とした電脳世界の封神演義である。

人工的にプログラミングした仮想現実の世界に入り込めるようになった時代。中華文化圏のある会社では仙界をイメージして仮想現実世界をつくりあげた。しかし仮想現実の世界であっても人間同士の軋轢は生じるもので、終いにはバーチャル仙界大戦を始めてしまうという話だ。

封神演義というものは元々人間界が舞台の殷周革命と、仙人界が舞台の闡教と截教(崑崙と金鰲)の大戦争の2重構造となっている。

嘉藤版がほぼ100%仙人界の絡んでいない封神演義なら、セレス版は120%(人工の)仙界のみが舞台の封神演義である。故にセレス版では殷周革命は全く関係ないし、楊センも那咤も太公望も出てこない。

登場人物も2人しか共通項が無いので、嘉藤版とセレス版だけを読んだ人はこの2作品が根っこは同じものだとはまず気づかないだろう。

この本はその分量の3分の1を仮想現実世界の説明に当てており、かなり硬くて真面目なSF小説である。しかしこの本のハードSF仮想現実の世界と封神演義の結び付けの発想は格好のものだった。SFと封神演義が両方好きな人には最高の一冊だろう。

以下ネタバレ感想

(2006.11.30)

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