■ 6月10日
 オーウェルコーナー歴史村,プリムポイント灯台,シャーロットタウンのヴィクトリア公園,ロブスターの店(Orwell Corner Historic Village,Prim Point light-house,CharlottetownのVictoria Park,Fisherman's Wharf Lobster Supper)

pe_034.jpg オーウェルコーナー歴史村入口
<農業歴史博物館>

pe_035.jpg オーウェルスクール
(Orwell School)

pe_036.jpg 教室
 

pe_037.jpg クラークズ・ストア
当時の雑貨屋(Clarke's store)

pe_038.jpg ストアの内部
管理人は高齢のおばあさん

pe_039.jpg 住居部の食堂
 

pe_040.jpg コケラ板製造所(Shingle mill)
 

pe_041.jpg コケラ板の原材料
 

pe_042.jpg 子どもたち
 

pe_043.jpg クラシックな馬車と子どもたち
 

pe_044.jpg 村の教会
 

pe_045.jpg 墓のひとつ MacLEOD夫妻のお墓
没年が書いてない夫はまだ生存中か

pe_047.jpg プリムポイントの海岸
 

pe_046.jpg プリムポイント灯台
 

pe_048.jpg ヴィクトリア公園
(Charlottetown)

pe_049.jpg 公園内の歴史的建物
Beaconsfield Historic House

pe_050.jpg ノース・ラスティコのロブスターの店
Fisherman's Wharf Lobster Supper

pe_051.jpg 目玉の品 ロブスター
 

 今日の観光予定地は州都Charlottetownの東南方向にあるOrwell Corner Historic Village<オーウェル・コーナー歴史村>と,そこから20kmほど離れたPrim Point light-house<プリムポイント灯台>,そしてCharlottetownへ戻ってVictoria Park<ヴィクトリア公園>。 夕食はFisherman’s Wharf Lobster Supperロブスター

 Charlottetownを東へ横切ってオーウェル(Orwell)へ。 Orwellという町が別にあるのではなく,歴史村の周辺をそう呼ぶらしい。 ここも日本語観光ツアーの対象地の一つ。 ここはあまり期待していなかったのだが,予想外に興味ある施設であった。 20世紀初頭の庶民の暮らしぶりがそのまま封印されて後世に残されたような場所であるが,動物も飼われていて心休まる所であった。

 入口に当たる農業文化遺産博物館(Agricultural Heritage Museum)に入ると,日本語の解説パンフレットまである。 女性学芸員が小声のよく通る声で,二女の通訳によると,こことCharlottetownのBeaconsfield Historic Homeと東部の某観光地との三点共同入場券もあると言ってくれたが,東部まで行く予定はないのでそれは御断りする。 展示品は18世紀から20世紀初めまでの農耕器具,農業機械,馬車などが所せましと陳列されている。 私の田舎で昔,米の収穫期によく使用されていた石油発動機を見つけ懐かしい思いになった。 広い敷地の中に往時ここが賑わっていた時の建物群,即ち学校,教会,公会堂(Community Hall),墓地,鍛冶屋(Blacksmith Shop),馬小屋などが点在する。

 目玉の一つがクラークズストアと家屋(Clarke’s Store and House)。 1856年RichardとDenis Clarkeの兄弟がアイルランドから渡って来て,兄がここでGeneral Store(雑貨屋)を開いた。 農民では自給できない様々な品物:台所用品(house-ware),量り売りの食品(bulk food),服地(fabrics),金物hard-ware),薬(medicine)等等が現金や物物交換で取引されていた。 そういう品物の一部が今も保管されている。 紅茶の18L缶の裏蓋に,日本髷を手ぬぐいで覆った女性が茶摘みをする絵が印刷されたものを見かけた。 店に続く住居には電化製品時代のはるか以前の家具,道具や黒光りする大型の薪ストーブなどが当時のまま保存されている。

 2階には裁縫師イライザ・ラトローブ(Eliza Latrobe)が10年間住んでいた。 彼女の使用したデザイン用機器や機織り機や,参考にした当時のロンドンのファッション雑誌の切り抜きなどが残されている。 当時の地割り図によると,この店はX字状の交差点の角に位置していた。 当時の道標の復元品?も立っている。 Orwell CornerのCornerというのはその意味だと推定した。 日本語的に言えば屋号「角屋」の店である。 Richardが亡くなったあと,弟Denisが引き継ぐ。 彼が1905年に死んだ後子供たちが引き継ぐが,彼らも時代の波にさらわれるように1920年この地を離れた。

 スクールバスで乗り着けていた小学校低学年らしい一群の子供たちが遊戯をしたり,Villageの管理員のおじさんに旧式馬車に乗せてもらって場内を一周したりしていた。 学校(Schoolhouse)は一棟一室で机には昔ナイフで刻まれた落書きが“豊富に”残されている。
 今も少数の馬,牛,羊,鶏などが飼育されている。 鍛冶屋(Blacksmith Shop)も昔のまま残されている。 時々は陳列品の補修の仕事があるらしい。 シングルミル(Shingle Mill)は屋根を葺くコケラ(Shingle)を機械で製造する作業場である。 当時の建築物はみな,トウヒ・スギ・モミ・ツガなどをくさび状に削ったこのコケラを使って屋根や壁を仕上げていることを,ここで知った。 訪れた時,職人はどちらも不在であった。

 墓場にはまだ生きていると思われる人の生前墓もあり,現在もここを離れたオーウェル会派の人々により利用されているというパンフレットの説明がうなづける。

 Prim Point灯台は遠浅の海岸の岬にある。 引き潮の時に行ったのでかなり遠くまで赤銅色の岩場が露出していた。 娘たちは先端部まで行き,楽しんだもよう。 ここは次々に車がやって来る人気スポットらしい。 地元のメディアらしい一グループが案内員を囲んで岩場から岩場へ移動しつつ,インタビューやナレーションを行っていた。
    ※現地の標識から見るとフランス語では英語表記とは逆にPoint Primと書くようだ。 ガイドブックはその書き方に従っている。

 Charlottetownへ取って返しVictoria Parkへ。 ここで思いがけずBeaconsfield Historic Homeを見る。 海岸沿いの公園の散歩道は中年男女のジョガーの練習場になっている。

 キャヴェンディッシュ(Cavendish)に近いノース・ラスティコ(North Rastico)へ戻り,Fisherman's Wharf Lobster Supperロブスターを味わう。 サラダ各種が取り放題で,それを食べ終わった頃に本命のロブスターが運ばれて来る。 汁が垂れてもいいようにビニール製の小さなエプロンが配られる。 ロブスターには大中小の三種類あるが,我々は小を選んだ。 それでも大満足。 ただ私は肩の痛みが再発,味覚の賞味を妨げられる。




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