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王府井の名の由来(井戸があった地点) ![]()
司馬台長城から見る風景
■ 北京へ
- 帰国前の二週間を主に北京で,最後に天津で,二三日過ごした。
- 北京は前の年ツアーで来たので,それ以外のところを,且つなるべくタクシーではなくバスを利用することを自分の課題にした。
K56次列車で西安を立ち北京へ。 軟座(一等席)ではあるが, 二階建て車輌であるため,一階の天井が低く,荷物用のスペースが狭く,その点では硬座(二等席)と大差なし。 相客は若い軍人,西安政府の官吏らしき人と“鉄道関係”の人の三人。 “鉄道関係”の人は全国どこへ行くにもたったの二元で汽車に乗れると自慢していた。■観劇
生で見る京劇がどんな様子なのか,新聞で読んだ「湖廣會館」などがどんな所か,この目で見たくて来た。 前門飯店の中にある京劇の梨園劇場は上演の前日にならないと切符を売らないということだったので,日程の都合上行けなかった。 王府井の首都劇場を見付けたのは全くの偶然である。
- 首都劇場
- ここで老舎の名作戯曲 話劇“茶館”を見る。 第一幕の群集シーンが圧巻。 無論科白はほとんど听不dong。
- 入場料:100元(1F19列席)
- 老舎茶館
- 前売り券は最低クラスのC席(40元)を買う。 当夜の演目は下記のとおり。 各5〜10分程度。
- プログラム
- 音楽・歌(小楽団)
- 京劇の立ちまわり(三人)
- 雑技(女一人)
- 京劇の唱戯(一人)
- 快巴−早口ことば−(一人)
- 魔術−手品(二人)
- 相声−漫才
- 軽食として稀飯,瓜子儿(かぼちゃの種),乾し葡萄等。 お茶は飲み放題,茶碗が空になると注いでくれる。
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老舎茶館の入口(右の方) ![]()
老舎茶館の客席と舞台 - 北京湖廣會館 大戯樓
- 当日の演目は京劇“紅娘”。 座席と座席番号の関係が分かりづらい所。 この日は疲れて殆ど居眠りをしていた。 唱の言葉が舞台脇の縦の電光掲示板に示されるのは西安で見た秦腔と同じ。
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北京湖廣會館大戯樓(右に続く) ![]()
北京湖廣會館大戯樓
■ 観光
一番行ってみたかったのは,北京西郊外25kmの戒台寺である。 なぜかというと,ちょうど私が中国語を学び始めた頃,NHKのテレビ中国語講座で戒台寺と潭柘寺を舞台にしたミニスキットをやっていたからで,以来妙に気になるところであった。
- 戒台寺 ( 戒壇寺とも称 )
- 1400年の歴史を誇る大寺院であるが,奇松の名所でもある。 様々な形の松に中国らしくいろいろと佳名を付けている。
- ここへのアクセスは,地下鉄東西線の終点苹果園から931路(潭柘寺行き)バスで約1.5時間。 門前へ着いたのは正午前。 バス停そばの屋台風の売店(菓子とジュースの類のみ)が一軒,小姐が一人で店番中,寺の様子などを聞く。 「今は寺の内部を修理中なので寺の食堂は利用できない」と言うので,そこでインスタントラーメンを作ってもらい昼食とする。 内装修理中のことを彼女は“装修”と言ったのだが,私はこの時その単語を知らず,zhuang xiuがzhuan xiuとしか聞こえず,分からないと言ったら,10年も中国語を勉強して“装修”が分からないの,と失笑された。 では文字でどう書くのかと聞いたら暫く考えて書けないと言った。 おあいこである。 寺の駐車場では土産物売りの露店は営業中であった。 入場料20元。 帰りはここで軽トラの白タクにつかまり,地下鉄駅まで僅か30分くらいで帰れた。 バスなら2元,この白タクは値切って20元。 シーズンならば,地下鉄阜成門から1ブロック西,阜外大街から戒台寺と潭柘寺へ行く「游7路」という路線がそこから発車する。
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戒台寺入口 ![]()
戒台殿 ![]()
白皮松 ![]()
臥龍松
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自在松
<姿がおおらかである松>![]()
九龍松
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九龍松の根元
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抱塔松
<文字通り塔を抱くような姿>![]()
活動松
<一枝をゆすれば全体が動く>
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鳳松 (Phoenix Pine) ![]()
國槐(えんじゅ)--樹齢千年-- - 周口店北京猿人遺址&周口店遺址博物館
- ここは北京南西の郊外の小高い丘の上にある。 博物館の裏山一帯に北京原人の骨や臼歯や石器などが見付かった洞窟などの遺跡が散在する。 1921年ここでスウェーデン人 Andersonとオーストリア人Zdanskyが臼歯(molar)を発掘したのを皮切りに1936年までに頭蓋骨なども発見された。 1941年に北京原人の化石は行方不明になる。 戦後,1951から発掘が再開され1985まで継続し,累計200件の人類化石が発見されている。 北京猿人は25〜60万年前に生存したもの。
- 博物館入場料12元。 バスでここ房山区へ行くには,天橋南大街から北緯路( 天橋劇場はここにある )に入って西400mにあるターミナルで917路バス(張坊行き)に乗れば 1時間45分,房山区へ(4.5元〜5.0元)。 房山区に入ると,バス停が 万寧路→区政府→房山→棉紡厂→顧冊→周口店道口→と続くので,周口店道口で降りて2kmを人力三輪タクシーで行くのがよい。但し周口店道口は街外れなのでうまく三輪タクシーと出くわさない可能性もある。本物のタクシーなら少し手前の房山か棉紡厂で降りて探すべし。 また,博物館近くまでバスで行くためには,房山か棉紡厂で降りて,房山→公主墳行きミニバスを掴まえる手もあるが,恐らく便数が少ないのでむしろ時間が掛かるだろう。
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周口店遺址博物館の正面 ![]()
地層剖析(区分)簡単紹介 ![]()
1929年北京人第一頭蓋骨発見場所 ![]()
1966年北京人頭蓋骨発見場所 - 盧溝橋
- 一応 抗日戦争紀念館(入場料12元)は見学したが,私の興味は橋(入場料6元)にあった。 きれいに修復されているが,以前の古い石畳も記念に一部保存してある。 橋の欄干の獅子像も予想どおりであった。 橋のたもとに小さな「盧溝橋史料陳列館(入場料2元)」がある。 古い時期の橋のセピア色をした写真などがあり,ここでは時間がゆっくり流れているようであった。
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- 地下鉄阜成門から1ブロック西,阜外大街から335路バス(東大街南口行き)に乗り豊台路口で降り,次の二種類のバスに乗りかえる。 @ 339路(雲崗行き) 又は A 309路(二七厂行き)。 前門から出る特7路バスも豊台路口を通る。 ただ,私が乗った時,335路バスはなぜか途中の沙窩鎭という所で止まってしまい,仕方なくタクシーで盧溝橋まで行った。 あとで調べるとそこで334路バスに乗り換えればよかった。
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中国人民抗日戦争紀念館 ![]()
宛平城 ![]()
盧溝橋 ![]()
盧溝橋 ![]()
盧溝橋 ![]()
盧溝橋 - 北京大学構内 未名湖
- 湖水というより池に近い。 ここに,中国を愛し,1930年代初めて毛沢東ら共産党幹部を世界に紹介したアメリカ人エドガー・スノウ(中国名:挨コ加・斯諾)の小さな墓がある。
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北京大学・圓明園・頤和園付近概略地図とバス交通網 - 圓明園遺址公園
- 西洋楼遺址や大水法残跡は見ごたえあり。 単なる廃墟でもなく,廃墟風につつましく“復元”されている。 1860年以前の姿に100%復元するには巨費がかかりすぎるからであろう。
- 入場料10元
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圓明園遺址公園 ![]()
圓明園遺址公園 ![]()
圓明園遺址公園の「大水法」 - 頤和園
- 誰もが行く所なので私も一度行ってみた。 たしかに広い。
- 入場料30元
- 宋慶齢故居
- ここはもともと皇帝溥儀の父 醇親王の王府花園であったところ。 孫文夫人・宋慶齢はここで1981年5月29日逝去した。 この周辺から鼓楼にかけての街には昔ながらの北京の町並み(胡同)がよく残っている。
- 入場料8元
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宋慶齢故居の前の胸像 ![]()
庭園の中の瑰宝亭 ![]()
宋慶齢故居 ![]()
後海夾道という路地への入口
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後海夾道
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路地裏の落書き
「欧暁晴は李zeを愛してる」- 司馬台長城_
- 北京に近い八達嶺の長城よりも人が少なく,あれほど整備されていない分だけ野趣は豊かである。 着いて食事を済ましたら,すでにおばさんが法律上のガイドでもあるかのように私に付添った。 私も様子が分からないから,教えられるまま登り口へ一緒に歩き出したら,なんともう一人のおばさんまでついてくるではないか。 とにかくその人には帰ってもらった。 他にほとんど客のいないところで,初めて来た一人の外国人としては,案内人がいてくれるのは安心でもあり,簡単な説明もしてもらえ,写真を撮ってもらうにも都合がよい。 眺めは確かによい。 ここは登り口の大看板にも説明が書いてあるが,第10烽火台から先は道も狭く危険で,滑り落ちて死んだ人も出たため,進入禁止になっている。 それでも軽く標高差300mくらいは登ったと思う。 ガイド料としては,中国の長城という写真集を130元で買ってくれればいいとのこと。 それが高いか安いかは人により受取りかたが違う。 この写真集は北京のホテルに残してきた。
- ここへのアクセスは,北京観光地図には[宣武門、東四十条 → 白龍潭風景区、司馬台長城 「游7路」 又は 東直門 → 密雲 →司馬台長城]と説明しているが,今の冬の時期に前者は走行していない。 私が取ったコースは,東直門の 北京長途汽車站東直門分所付近から密雲縣行きの中型マイクロバスに乗った。 密雲縣から司馬台長城まではバスを乗り換えて行くつもりだつたが,聞くと今は走っていないからタクシーで行くしかないとのこと。 2時間くらいで密雲縣に着くと,運転手が携帯電話で連絡してくれていたらしく,早速タクシー(といってもバンのような車)が待っていてくれた。 1時間ちょっとで目的地へ着く。 タクシー代とし往復150元支払う。 真冬の観光は足代がかかるが,人が少ない分気持ちがゆつたりできるメリットもある。 少々動いても汗をかかないのもよい。
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司馬台長城を下から眺めて(右に続く) ![]()
司馬台長城を下から眺めて ![]()
司馬台長城
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司馬台長城 ![]()
司馬台長城から見る風景 - 雍和宮/孔廟(首都博物館)
- 雍和宮は清乾隆帝が幼少時を過ごした,北京最大の西蔵佛教(ラマ教)寺院。 建物外観の色調がまことに華麗。
- 雍和宮の道路を挟んで反対側にある首都博物館はもとの孔子廟である。 庭に元・明・清時代の科挙の進士合格者の名前を刻んだ大きな石碑が林立しているのが珍しい。
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雍和宮の入口 ![]()
雍和宮の中の經車(マニ車) - 魯迅博物館
- 魯迅が亡くなる年に宋慶齢が彼に送った見舞いと入院の勧めと激励の手紙が陳列してある。
- 『周同志
方才得到ni病得很至Q的消息,十分的耽心ni的病状! 我恨不能立刻來看々ni,但我割治盲腸的傷口至今尚未復原,仍不能gou起床・・・・・』
『周同志<魯迅の本名:周樹人>
たった今あなたのご病気が大変重いという知らせに接し,病状のことをたいへん心配しています! 直ぐにも出掛けてお会いできないのをとても残念に思います。 私は手術した盲腸の傷口が未だ完治していないので,依然として起き上がって歩くことができません。やむなくこの手紙を書いて差し上げます!・・・・・』 ( → ここをクリックすれば別紙に日本語翻訳付き全文を開く )- 大觀園
- 中国古典文学の傑作『紅樓夢』を映画化した映画『紅樓夢』が撮影されたそのセットを保存して公園に仕立てたもの。 「大觀園」も物語の中のお屋敷の名前である。 ただ,あるコーナーで見た「菊花石」は大きくて見事だった。
- 入園料10元 + 短編映画12元。 映画はつまらないが,映画を見ないと園内の残りのコースに進めない仕組みになっている。 交通アクセスは,前門のバスターミナルから59路バスに乗れば終点が大觀園。
- 茅盾故居
- 作家“茅盾(1896〜1981)”が以前住んでいた旧居。 後圓恩寺胡同にある。 前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。 寛街の北,交道口南大街側に道標もある。 ただ,開館日が火・木・土であるため,日程の都合上ここは見学できなかった。
- この辺の胡同も,灰色を基調とする古い路地裏の面影を留めていて,なかなか味わいがある。
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交道口南大街 (道標の一番上に
「茅盾故居・子夜書屋」の名あり)![]()
茅盾故居・子夜書屋
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後圓恩寺胡同 ![]()
後圓恩寺胡同の斜め西の黒芝麻胡同 - 鐘楼(北)/鼓楼(南)
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景山公園の上から
遥かに北に鼓楼を見る![]()
鼓楼の北にある鐘楼
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故宮(紫禁城)の大和殿
■食
一度行ってみたかったのは,鼓楼と鐘楼の間にあるという風味小吃市場であった。 北京の昔風の食べ物を提供する店が並んでいると聞いたからである。 しかし,行ってみたら,かなり広い空き地があり,“風味小吃市場”らしき店並みはない。 ただ一軒 「小吃城」という小さな店だけがあった。
- 「小吃城」
- 北京風味の軽食(内容は魚肉料理・粥・スープ・麺類等)・お菓子がメインのメニュー。 ごく一部を紹介すると,
- 特色菜
- 爛蒜肥腸 ----20.00元
- 猪肉燉粉条 --12.00元
- 紅焼魚子 ----20.00元
- kao?燉大黄魚 --18.00元 ※kao?の原字は 火+夸 だったが,辞書にない文字
- 特色小吃
- 麻団子 ----2.00元-------あん入り揚げ団子
- 驢打gun'r --2.00元-------黄な粉付きカステラ風巻き菓子
- 碗豆黄 ----4.00元-------形は四角,味は芋羊羹に似る
- 糖巻果 ----12.00元------形は三角,茶褐色の菓子,全体に白砂糖まぶし
- 艾窩窩 ----2.00元-------白い餅菓子,てっぺんに紅い点あり
- 珍しいものとしては,「臭豆腐 1.00元」があって食べてみたが,小さくて乾燥していて,臭みを感じる暇がなかった。 「炸活蝎 1.50元」,「炸金蝉 1.50元」などのこわそうなもの,また 「煮湯圓 12.00元」,「紅豆大麦粥 5.00元」などのごく普通の庶民の料理。 そのほか,「日本豆腐 12.00元」というのもあった。
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鐘楼の前の小吃城
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メニューの「特色菜」4品 ![]()
メニューの「特色小吃」5品 ![]()
「特色小吃」5品 (1) 北京から天津へ移動するとき,北京駅前から中型バスに乗った。 25元だったので,集金係のあんちゃんに50元札を渡したら,結局お釣りを払わず(着服したらしい),発車時間になってしまい,25元損した。 もっとしつこく喚いてやるべきだったと反省した。
(2) 北京の市内バスに乗って1元札がなく,10元札を車掌さんに出したら,結局お釣りがなくて,「今日はいいですから,また今度乗った時に払ってください」と言ってくれたように私には聞こえた。 ご厚意に甘えたが,明日は北京を立つという日だったので,もう払う機会はないと思うと,申し訳ない気がした。 人さまざまである。
(3) 安徽省から来たちょっと可愛いい家出少女二人組に泣きつかれて,帰りの旅費を渡してやったことがある。 別の日には南方から来た中年から「ご援助を」といわれたこともある。 金持ちに見えた?筈はないから,お人好しに見えたのかも。 少なくとも外国人とみてのことではなかったのは事実。
一口メモ
田舎の旅の必帯品の一つは芯を抜いて圧縮した小型のトイレットペーパーロール。 いつでも紙がふんだんにあるとは限らないし,布巾や雑巾代わりにも使える。 K君から学んだ生活の智恵。
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