第1章 雨の黄山


[黄山第1日(Aug.26< Thur.>,1999) = 上海到着の翌日]

西北航空のフライトコースが名古屋→上海→西安であることを利用して,西安へ赴く前に,安徽省の名山「黄山」へ登ろうと企画した。 上海−黄山市間の往復の飛行機と,ホテル(上海2泊,黄山2泊)の予約は出発前にMYCOMにお願いし,代金は支払い済である。 上海のことは次の章で書くとして,8月26日早朝,寝坊したため慌てふためき,朝食も取らず,宿泊した上海國際機場賓館から小走りに上海虹橋国内機場(空港)へ急ぐ。 チェックインカウンターが何処か分からず,東方航空の掲示がある窓口で聞き,#30カウンターだと教えてもらう。 7A,B,C侯機室(待合室)はかなり広い。 バスが 6:50am発車,東方航空黄山行きは定刻通り7:15am離陸。 機中の軽食が朝食になる。

hshan_0.jpg 黄山機場(黄山空港)へは 7:50am到着。 天気は曇り。 日本で考えていた計画は,先ずバスで黄山市へ行き,そこからバスかマイクロバスを乗り継いで雲谷寺〜白鵝峰ロープウェイ乗場へ行くというものだったが,まず,空港バスらしきものが見当たらない。うろうろしてる内に何台かいた乗用車やマイクロバスはいなくなり,一群ののタクシーが残るだけ。 仕方なくタクシー乗り場で『要去黄山市内!』と言っても,取り合ってもらえず,いたしかたなく『去黄山大門!』と切り替えた。 取り仕切人が定価表のようなビラを示しつつ200元という。 ちょっと高いとは思ったが,値切る勇気がなく,そのまま乗り込む。 出発直後に行く先を雲谷寺索道站(ロープウェイ乗場)に切り替えた。 値段が300元に上がる。 目的地までは大体1時間強。 司機(運転手)氏は人のよさそうな中年,訛りの少ない言葉で話すので会話が成立する。 名前は江敏,二三年働いて金を貯めて国へ帰るという。 上海語は聞いたら分かるが,自分では話せないという。 途中,路傍の○○博物館という土産物屋で10分間トイレ休憩, これも彼等の商売なり。 使い捨てのビニールの雨衣(レインコート)を買う, 2元。 これは全くの安物,黄山山上で5元のものに買い直す。 黄山大門(南大門)に来ると,ここで「換車」だと言う。 ここから先は別の免許?がいるので自分の車では行けないから乗り換えてくれとのこと。 不安な気持ちになったが,従う。 別の車と,別の運転手がいた。 なぜかおばさんが一人乗り込んで来た。 標高700mのロープウェイ乗場へ到着,300元を支払う。 明日の帰り道も乗ってくれれば160元で乗せると執拗に勧誘される。 150元で手打ち。 実はさっきの江敏もしつこく同じように勧めたが,バスを使うと言って一旦は断ったのだ。 帰りは別のロープウェイ(慈光閣〜玉屏楼索道)を利用することと大体の待ち合わせ時刻(午後3時頃)を伝える。 そこへ迎えに来てくれると言う。 この運転手の名刺に車番を書き込んだものを受け取る。

hshan_1.jpg 切符売り場で切符50元+入山料80元+障害保険料2元を支払う。 乗り込むまでには大行列,小一時間は待った。 ここで雨が降り始める。 山上の白鵝嶺站もむろん雨。 結局二日間雨ばかりだった。 始信峰へと歩き出す。 この黄山の上の道は険しい所でもほとんど石の階段或いは石畳が敷かれている。 日本の山とは違う。 むしろ山上の参道といった風情。 普通の靴を履いたご婦人も歩いている。所々黄色い制服のゴミ清掃人が働いている。 山上まで天秤棒で荷物を運び上げる労働者も見かける。

歩いたコース:→始信峰→北海賓館(ここでチェックインし昼食)→西海賓館→排雲亭→(北海賓館)→曙光亭→清涼台→猴子觀音→夢筆生花→北海賓館

清涼亭の日の出と雲海,排雲亭の日没は絶景などとガイドブックに書いてあるが,天候がよければの話。 夕食前に部屋でテレビを見る。 日本の漫画「一休さん」をゆっくり見たのは初めてである。 声は吹き替え,主題歌は日本語のまま。 さすが海抜1630mの高地,セーターが必要。 寒冷時用のダウンジャケットが壁に掛かっていたので部屋着代わりに借用。 チェックインの時,ルームキーと引き換えに100元の押金(yajin 保証金)を要求される。 料金前払いと押金は,中国では豪華な国際級ホテル以外ではごく普通の慣習のようだ。 北京の中級ホテルでも,西安の学園でも押金を支払った。 北海賓館では昼食の自助餐(バイキング)は無料だったが,夕食時に同じものを食べたら80元要求された。 たしか日本で予約購入した時は食事付きという条件だったなと思いつつ,中国語でうまく言えそうにもないし,疲れもありそのままにする。 フロント横の天気予報掲示板に明日は "陰(くもり),雨"とある。

[黄山第2日(Aug.27< Fri.>,1999)]

hshan_3.jpg 最初に近くの光明頂(1840m)へ,標高差200mのなだらかな階段を登る。 山頂は大勢の観光客で賑わっていた。 この山の至る所で,なぜか鉄の欄干に大小の錠前が,まるで電線に止まった雀の群れのように,取り付けられている。 これは売店で売っている商品である。 錠前のお化けのような銅像も見た。 「連心」(=心が通う意)と刻んであったから,縁結びか何かの祈願のためだろう。
ここまでは楽だったが,ここからあとは上り下りが繰り返される,きつい行程になった。 天海という休憩地点まで下る。 カゴかきの若者たちに盛んに呼びかけられる。「轎子!jiao-zi」,「轎車!jiao-che」,時には「カゴ」という日本語まで飛んでくる。 足がつり,気分も悪くなったので,ついにカゴに乗る。 値段も400元! 進行方向に背を向けて座るので,妙な気分,急な下り坂を行く時は空しか見えない。 歩く人からはじろじろ見られるし,人間に背負って貰らっているようで,気を遣う。 後悔のみ。 百歩雲梯というところで降ろされる。 名前の通り延々と100段余り続く狭い石段を喘ぎつつ登っているとき,三人組の男性から年は何歳かと聞かれ,62と答えると,ああやっぱりという顔をされた。 もう登りはごめんだと思ったとき最高峰の蓮花峰(1860m)に着いていた。 小雨と雲で視界は最悪。 白い霧の中から休憩所の姦しい放送の声や音楽が漂って来る。
下りに乗るつもりでいたロープウェイ乗場玉屏楼站に着いたのが11:30。 大勢の人で混み合っていた。このまま降りると時間的には早すぎるので,歩いて降りることに決め,売店の小姐に所要時間を尋ねると二時間半くらいとのこと。小雨の中,立ったまま,昼食代わりの牛乳とパンを齧りつつ休憩,少し下って玉屏楼(1640m)へ行く。 ここには食堂・売店・派出所・旅館と人ごみが揃った観光地風景が展開している。

いよいよ本格的な下り道にかかる。正面に天都峰(1810m)が見えるが,再度の上りはもう結構というほど脚が疲れていた。 hshan_2.jpg その峰の麓,天都峰脚(1500m)のところで前日出会った三人組にまた会う。 彼等も歩いて下るのだ。 ぼつぼつと会話をするが,巻き舌の北京話(Beijing hua)はよく分からない。 最年長の男性はゆっくり喋ってくれるのでまだ分かる。 彼と私は疲れはてていたから,みんなで休み休み降りようということになる。 一番若い青年が倒木で杖を作ってくれた。 感謝,感謝。 目的地の慈光閣(770m,ロープウェイ山下駅)近くになってやっと空に晴れ間が見え出した。 やはりここは秋に来るのがベストと西安でも聞かされた。 振り返ると岸壁に巨大な文字が刻まれている。 「立馬・・・・・・・・」,誰も読めなかった。 途中の小休止のとき,最年長の人が,通りかかった荷物かつぎ屋に一回いくらかと労賃を尋ねると,80から90kgという見当違いの答えが返ってきたが,彼もそれ以上は問質さなかった。

慈光閣の庭の奥に降り着くと,見知らぬ中国人のおばさんが私に笑いかけ,「昨日・・・・車・・・・云々」と声を掛けるので,よく見ると前日タクシーに相乗りしたおばさんだった。 ロープウェイで降りなかったね,てなことを言う。 運転手も待っているという。 三人組は近くの湯口に宿泊して明日は南京へ向かうとか。 握手して別れる。 前日同様に「換車」を経て黄山市のホテル花渓飯店へ向かう。

今度の運転手氏は1975年生まれのまだ若い独身。 彼に150元を渡した。 車は中国製の桑塔納 sangtana(VWサンタナ)で数年前父が15萬元出してくれて買ったもの。 最近上海までお客を乗せた(400km)そうだ。 学校の先生より収入がいいだろうと愚問を呈したら,結構まじめに答えた。 『ここは農村でもあり,教師にもいろいろあるから,・・・・まあ自分のほうが多いだろう。 しかし先生は自由な時間はあるし,休みも多いし・・・』と。 ここは霧が多い地域なので,よいお茶が採れるから,お土産にどうかと勧める。 確かに南面する斜面のあちこちに茶地(茶畑)がある。 雨が上がった後の静かな渓谷を走る。 涼しい。 運転手氏,彩虹(虹)が出たから彩虹と一緒に走りましょう,などとロマンチックなことを言う。 上海や北京のタクシーは運転席の周囲は合成樹脂製の防壁で囲まれているが,ここは田舎だからそんなものはない。 西安の軽四タクシーもなかったが。そうこうするうち市内に入る。 "老大橋"という大きな石橋を渡ると花渓飯店はすぐだった。 夕刻散歩した時に見ると,laodaqiao.jpg "老大橋"は明の嘉靖帝の頃建造され清代に改修されたと橋のたもとの碑文に書いてあった。

屯渓区にある花渓飯店は,日本で¥7200前払いしてあるから,結構高級なホテルの筈であるが,フロントでT/C(日本円)を元に換えようと頼むと, こちらでは現金しか扱わないと言われる。 食堂が超満員だったので,散歩がてら外へ出る。 露店で包子(肉まん)四個(1.5元)を買い,比較的清潔そうな小吃店(軽食堂)で水餃子(3.5元)と牛hanzi_nai.gif(牛乳 2元)の夕食をとり,帰路,これも露店で買った西紅柿 (トマト)1個( 1元)をかじりつつ歩く。 大通りや商店街を行くと,三輪タクシー屋や露天商人から『老板!(lao ban 社長・マスター・旦那)』と売り声が浴びせられる。 黄山の上ではもっぱら『先生!(xian shengあなた<敬称>)』であった。 尤も標準語でなく シーサンという上海風の発音だったが。

[黄山第3日(Aug.28< Sat.>,1999)]

黄山登山は週末は避けるようにとのガイドブックの勧めに従ったのは正解であったと思う。
ホテルから黄山機場へタクシーを走らせる。 メーターを倒したまま30元だと言う。車はガタガタの赤い軽四である。 鈴木の爾托 er' tuo(アルト)かダイハツの夏利 xia li(シャレード)のどちらかだった。 黄山機場はさすがに田舎の空港である。 建設費(空港税)50元を支払うため,窓口で百元紙幣を出すと「找不倒 zhao bu dao(釣り銭がない)の一点張りなのである。 朝一番の時間帯では釣り銭も溜まらないというのか。 仕方なく,したくもない買い物をして金を準備する。
九時の便で黄山市を離れる。 以上で黄山の旅は終わり。


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