Web小説 Restructure                     原作 周防 元水     
第16話

「こんにちは、三郎さん。」
 懐かしい紀子の声である。
「今日はどうかされましたか。」
 いたわりに似た優しい口調は、経験したことの無い心地良さを三郎に与えていく。三郎が自分に逢いに来たことは直ぐに察したらしく、
「お仕事の方は如何ですか。」
「皆さんもお元気ですか。」
等と間を気遣っては、三郎の言葉を待っている。見詰める紀子。何故か釈迦が紀子と重なる様に三郎の脳裏を過ぎると、辺りの物は一斉に視界から外れていく。二人だけの空間がそこに出現した。一つ一つ言葉を選んで応える三郎に澄んだ美しい声が返ってくる。やがて目線を落とした紀子は、振り返って棚からカルテを取り出し一人の患者を呼んだ。待合室の人の気配が伝わってくる。紀子との短い一時は終わっていく。紀子は三郎を一瞬見ると、三郎と同じ年端の男性を優しく診察室へと誘導していく。
「今日は来てくれて本当に有り難う。」
 さり気ない仕草は三郎へと言葉となって届いてくる。

 紀子は戻って来なかった。三郎は預かっていた書物を受付に残すと医院を後にした。不思議と涙がこぼれる。三郎は紀子に惹かれこうして逢いに来た。ただそれだけで充分な筈だった。消えることのない紀子の残像は三郎を丘の公園へといざなっていく。まずめ時の町の灯り、テールランプが揺れて流れていく。脳裏にあの時の事が蘇る。プレハブ小屋の片隅で同じ体験をした。簡素なコーナーに三郎一人が座って友の姿を見ていた。冗談の飛び交う仕事場は難しい技術への挑戦の場となっていた。遠く眺めるように時を過ごした三郎は、別れ際に不思議と涙がこぼれたのを覚えている。

 懐かしい友は現実の社会に根を張って生きていた。企業や社会に渦巻く矛盾は、時代を再構築する為のエネルギ源となって人を駆り立てこうして甲斐ある仕事へと導いていく。巧妙に仕組まれた神の見えざる意志は、三郎をして悩ませ長い時を費やして働いて生きる理の意味を理解させていた。忘れかけていた熱い想いは三郎の心に蘇り、打ち沈んだ長い時は過ぎ去って、現実を見据えた熱い魂が呼び覚まされていく。

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