Web小説 森の中の企業                     原作 周防 元水     
第10話

 21世紀は安易な世界ではないと祥三は言う。それは分かったが、いったい祥三は私にどうしろというのか。こうまで熱心に説いている祥三の一直線なところが徐々に気になってきた。私には何のとりえもない。ただ、その日ぐらしをしている凡々とした人間である。元気なだけがとりえで、病気らしい病気をしたことがないのが自慢なだけである。なのにやけに難しい事を話して聞かせてくれる。日本の社会…企業群…元気な体…、私は背筋がゾクッとした。
 腰掛岩を離れ、歩きながら話し始めた。その内、先程の彼女はどこへ行ったのか気にならないかと言う。彼女の消えた辺りに一本橋があった。他に道はないからここを彼女は渡ったに違いない。橋の高さはそれ程ではないが、平均台のような幅の狭くて長い橋を徒歩で渡るのはとても困難だ。しかし、彼女はここを渡ったに違いない。試しに渡ろうとするが足が進まない。渡るのを躊躇している私を見ながら、祥三は大笑いをした。

 これはSegway
でしか渡れないようにした、意地悪だが一つのバリアだという。低文化の進入を防ぐために考え出された一つのシンボルだという。うまいことを考えたものだと思いながらも、『俺は確かに低文化の代表のような人間だが、大笑いをすることはないだろう。』と、祥三への対抗心のようなものが湧いてきたのに気付いた。
「まさか、俺の体を使って実験でもしようという訳じゃないだろうな。」
祥三は、馬鹿言えと言いながら、
「そんな実験ならどこでもできるから、そんなものはいらないよ。」
と言う。俺の体は”そんなもの”かと思いながら、体ではなく精神的な実験か、と再び背筋が寒くなった。 いったい何をして欲しいのだ。21世紀は『心』がキーワードになると報道されていた。ひょっとして最先端の『心』の分野でも祥三は研究しているんじゃないだろうか。私の単純な『心』は研究し易いとでも見たのか。

『心』といえば宗教を思い出す。科学が進歩すればするほど宗教の時代になることもどこかで聞いたことがある。今、世の中はどう動いていくのか予想しづらくなって、不安な社会となってきている。1000年程前にも社会は乱れ「末法の世」が信じられていた。尊い釈迦の教えも届かない世の末になると思われて、貴族仏教は用をなさず、このため庶民のための浄土信仰が新しく登場したとされる。新しいものの考え方はこうした混乱の時に芽生える。藤原頼道が平等院を落成させたのもこの頃である。極楽浄土をこの世に再現させたという美しい造りは、頼道の必死の思いからの造作だったのだろう。
 あれから1000年経った現在、再び世の中が混沌としてきた。『末法の世』の再現である。新しいものの考え方が登場する素地ができてきたのである。こうした中で、世の動きに敏感な企業は、今、生き残りをかけて新しいものの考え方の構築を急いでいる。

 どうやらこれまでとは全く違う新しい社会となりそうだ。2010年がだいたいその辺りだという学者がいる。どんなものか大変興味深い。が、こうも我が身に得体の知れない、時のモンスターみたいなものが迫ってくるようでは、物見遊山ではいられない。祥三の口元が僅かずつ緩んでいくのが、また見られた。

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