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 の木

原作 周防 元水  
第1話

 目に痛いほど澄み切った青空の下に、色付き始めた山々が連なる。寛和が目指した熊野岳の情景は、都とは余りにも懸け離れていた。
 辿り着いた村は道標石が宮前であることを示している。宮前とは門前の集落を意味するが、この宮前は山の麓に点在し、集落の体を成していない。各の屋敷は、宮より延びる小道によって辛うじて繋がっている。蝦夷の地の名残を残している散居村であり、それは宮によってのみ束ねられていると言っていい。各の屋敷にはかつての原野の一部であったろう、巨木が枝を縦横に伸ばして生い茂り、神として崇められていた。
 神々が生わす村を束ねる宮は、熊野岳の御霊を祀る熊野岳倶厳天満宮である。その名は、奥羽の御宮として遠く都まで知れ渡っていた。
 
 五番灯籠が村の入り口に建っていた。天満宮へは五里の道程と記されている。寛和をして近道を採らせた。迷うことなく山野に入っていく。
 道なき道を歩き歩を進めていく。
 どれほど経ったのだろうか、葦が生い茂った一画が寛和の目前に現れた。
「南無天地」
 鬱蒼とした雑木林を抜けた寛和は、秋の絶対的な美に迎えられた。しんとした静寂が辺りを包んでいる。寛和は菅笠を外し頬被りを落とすと、大の字になって我が身を大地に預けた。藻草が、茅釣り草が、繁縷が、寛和を包み込む。覆い被さるように黄葉した銀杏と紺碧の空がそれに続く。

「  …  」
 聞こえる筈のない人声がした。寛和の耳に届くその声は潜め声である。半身でそっと近付き葦越しに覗くと、水田に人影が垣間見えた。
「やゃ」
 意外な光景に、寛和は息を飲んだ。
 水落しをして稲の出来を見計らっているのであろう、村人たちが其処に居る。隠し田のようである。寛和は近くの木によじ登り辺りを見渡した。稲穂が黄金色に輝き波のようにうねっている。畦道に沿って水路が走っている。事が確かめられると寛和は身震いした。僅かな地とはいえ、これほど整備された田は大和では見ることができない。暫し眺めていると、遠くから唸るような声が聞こえてきた。
 何処か肌寒い思いがした。その声は仲間を呼び、連なっては大きくなっていく。
「下りろ」
そう聞こえた寛和は、竦むようにして木の下に身を屈めた。唸り声が田の上を駆け巡り、葦林を越して寛和の脇まで漏れ出てきている。

 村人がいない。あの村人は稲穂の中に消え去っていた。
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