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進路と受験

 
浜松医科大学 医学部 医学科



     
 皆さん、こんにちは。この文を書いている今は6月の中旬で、部屋の湿気に困っている所です。この体験記が皆さんの手元に届く頃は夏休みも目前で、蒸し暑い中、勉強や部活で大変だろうと思います。卒業してもう3か月、高校生括も思い出のうちとなりつつありますが、良い機会なので自分の受験時代を振り返り、反省していこうと思います。

 最初に、私は私大は1校も受けていず、国公立の前期では他の志望校に失敗していたため運良く後期で浜医に合格しなければ浪人しているところでした。また、浜医の後期はセンターと面接だけで、今年のセンター試験は明らかに浪人不利だったこともあり、本当に運良く大学生になれた、としか言えません。

 私は理系でありながらも理系教科、特に数学の成績が停滞していて、これは私が理系を選択してから現在に至ってまで克服できなかった問題でした。私が2次試験の筆記に弱かったことは、以上の理由から明らかです。文理選択のあったのは1年の後半、この時も成績から見ると国語が良く、数学は得手でなかったため、自分は文系向きかも知れないと思いました。しかし文系で考えてみると、将来就きたい職業も思い浮かばず、興味のある学問も、専攻したいとまで思えるものはありませんでした。一方理系としては、まだ医学部志望を決めてはいませんでしたが医学に興味を持っていたし、理系の科目は成績に関わらずおもしろいと思っていたので、成績よりも興味を優先し、理系を選択することにしました。

 その後、1年生の終わり頃には医学部志望をほぼ決定しました。やはり医学部は理系でも難しい部類であり、国公立志望であれば1教科でもはずす訳にはいきません。それでありながら、2年になっても数学は変わらず苦手で、その上化学も無機・有機で覚える事ばかりになるとつまらなくなり、1年の時は良かったのに低下してきてしまいました。もっと頑張らなくては、と思うのですがなかなかうまくいかず、夏休みに入っても実力の伸びどころか下がっているような気さえしていました。そこで気分転換として、とりあえず受験校調べでもしてみようかと思い、学校で配布された資料を見ながら、受験校を絞っていきました。学部は医学部と決めていて、また私立大学は考えていなかったため、早めに国公立の数校に絞ることができました。志望校決定のために考えたことですが、あまり遠くへ行ってしまうと卒業後もなかなか帰れないということなので、近くに親戚がいる地域から選びました。その他、設備やカリキュラムが良さそうかどうかを考慮して、志望順位をつけました。国公立の医学部であれば、殆どどの大学でも全教科を必要とするため、志望大学によって重視科目を変えることはありませんが、早めに目標を設置することは励みになったと思います。

 ほぼ目標も定まり、2年生の2学期ごろから少し勉強量を増やし始めました。それまでの勉強というと、授業の予習や課題のような必要最低限のことと、定期テスト前の勉強くらいでした。そろそろそれだけではいけないと思い、授業の他に、学校で配布された問題集を中心に不足している点の復習などを行いました。どうしても数学が伸びないため、数学ばかりに時間を費やすのはやめて、英語など、他の教科も同様な比重をかけて勉強することにしました。特別な事をした訳ではなく、英単語の復習など、基礎事項だけでしたが、少しずつ勉強する時間も増やせ、伸びた科目もあったため、それまでよりは充実感を得られるようになりました。

 2年生の3学期、受験までは残り1年です。といっても特に変わった事をした訳ではなく、授業の予習・復習と、学校で配布された問題集その他を使った補強を続けていました。新聞で解いてみたセンター試験の結果は悪かったので実力の差を感じましたが、これから伸ばせばいいと思って気にしないことにしました。

 3年生になり、最後の学校祭を終え、私の所属していた放送部からもひとまず引退ということになりました。この頃から、周囲も受験勉強の雰囲気に入り始めました。基本は授業の予習と復習というのは変わらず、今まで部活で使っていた時間を学習時間に当てていき、1日の学習習慣をまず確立していきました。私は夜遅くまで起きていることができないため、明るいうちに勉強し、睡眠は7〜8時間とっていました。塾や通信添削などはこの後も以前からも使わなかったので、最後まで授業中心の学習を続けました。

 夏休みは、10時間以上は毎日勉強しようと思い、学習計画表なども作りました。最初はうまくいっていたのですが、しばらくすると予定と実際の進度がずれてきて、予定通りにはいかなくなりました。反省しますが、計画は余裕を持たせておかないと、後々詰まってきて、計画倒れで不安だけが残る、ということになってしまうようです。

 夏休みも終わり、受験勉強も追い込みに入ってきます。冬休み前までは、センター試験よりも筆記試験型の勉強を続けていました。伸びなかった数学は見切りをつけて、化学や物理に力を入れることにしました。確かこの時期の物理の試験では最悪な成績を残したことがあり、かなりの危機感を持ちました。とりあえずはセンター試験でも使うIBの範囲から、学校で使つている問題集で演習を始めました。英語は長文と英作文を毎日少しずつ、また単語帳で語句の整理をしていきました。赤本は、10月頃に入手してさっと目を通しておきました。おそらく、ほとんど解けなかったと思います。ただ傾向を知る程度で参考にしました。

 冬休みからセンター試験まで、センター形式の問題を数多く解き、慣れていきました。センターは殆ど教科書の範囲からなので、特に化学と日本史は教科書を読み込んで細かい所まで見直すようにしました。授業でも問題演習となり、前日に至るまでにはプリントが十数cmになる程重ねられていました。センター試験の前日は、それらのプリントや、今まで使った教科書、ノートなどにさっと目を通して早めに休みました。とても全部見直せる量ではありませんでしたが、いくらか安心することができました。

 センター試験当日、防寒用のカイロや、軽食などの準備をし、早めに家を出て来ました。最初の英語が簡単だったためか後は落ち着いて受けられ、満足のいく結果が出せました。その後、前期試験があった訳ですが、前述の通り、不合格でした。レベルの高い所だったため、周囲からは変えるように言われたのですが、結局受けて良かったと思います。安易に志望を変えて後で後悔するよりも、落ちるのを覚悟で受けた方が、落ちてもすっきりすると思います。前期試験の後は新聞を読むなど、少し面接対策をしました。前期で面接は、個人も討論もあったので、少し安心感はありました。ただ当日は個人面接だけで討論がなく、少し拍子抜けしてしまいましたが、それほどあがる事もなく、無事に終えることができました。

 訳のわからない文章となりましたが、用紙が終わるので、この辺で終わりにします。受験生の皆さん、頑張って下さい。競争しなければならないのはつらいと思います。しかし、人に勝つためでなく、自分を伸ばすためと思って、目標に向かって進んでいって下さい。体をこわさないよう気を付けて下さい。健闘を祈ります。



 彼女は、数学が苦手であったため、進路選択に悩みました。数学は、努力しているにもかかわらず結果に表れないことと、国語の現代文の成績が良かったからでした。はじめは、文系を選択しましたが、最終決定直前に理系に変えました。

 不安を残しての進路選択でしたが、真面目な努力家であったことと几帳面な性格であったことが、最後に結果となって実を結びました。

 彼女は現在、公立病院に内科医として勤務しています。