ホームページ タイトル 本文へジャンプ





進路と受験

 
東京大学 理科一類



    
 僕は、この文章を2つに分けて書こうと思います。前半は進路について、後半は受験についてです。

 まず、進路について書きます。僕は中学生の頃、歯医者になりたいと思っていました。手先を使う細かい仕事が面白そうに見えたからです。その考えを聞いた母は喜びました。歯医者の収入が高いと思ったからかも知れません。
 しかし一方で僕は学術研究者という職業にも漠然とした憧れを抱いていました。いずれにせよ、大学に行かねばなるまいと思ったので、高校を受けました。文理どちらかに進むか決めていなかったので普通科に入りました。1年生秋の文理選択の時もまだはっきりとしていなかったのですが、その頃は漠然と医療関係に進もうかと思っていたので、とりあえず理系を選びました。理転よりも文転の方が楽という噂も少し影響したかも知れません。

 1年生の頃は、塾や予備校、通信添削の業者などからたくさんのダイレクト・メールが届けられました。僕はそれらを余り読みませんでした。自分の体力やお金や時間のことを考えて、最初からそういうものには手を出さないことに決めていたからです。もちろんこれは僕の場合であって、皆さんはお好きなようにすれば良いと思います。では僕は忙しかったのかと言えば、実はそれ程でもありません。地学部でしたからね。ただ、暇なときはよく本を読んでいました。読書と呼べるほど立派なものではありません。入学した頃に渡されたのですが、「読書のしるべ」という本があって、その中で紹介されている本の中から適当に選んで読んだりしました。

 2年生の春、僕は自分が医者には向いてはいないと思うようになってきました。その理由は複雑で、今でも良く分からないようなところもあるので省きますが、主に性格・体力的要因からだろうと思います。その一方で、学術研究者になりたいという気持ちが徐々に強くなっていました。特に、小学校高学年の頃から地震に少し興味があって地震学者も悪くないなと思っていたのですが、今再びこの考えが復活してきたのです。

 僕は夏休みまでの間に自分の気持ちを整理していきました。このころは、ある高名な科学者が地震予知はほぼ不可能とおっしゃっていたので、地震そのものを研究対象にしてもあまり得にならないと思いました。(予知が不可能というのは日本についてはということです)。でも、地震波を利用して地球の内部の構造を調べることを知って、こういう分野ならば将来性がありそうだと思いました。それで、僕は大学で地球物理を専攻したいと考えるようになりました。なぜ地質学でなく地物なのかというと、僕は物理が好きだからです。
 自分のしたいことがはっきりすると、気持ちが落ち着いて、勉強などに良い効果が表れます。実際に僕の成績はこの時期を境にかなり良くなりました。特に、苦手だった英語が得意になりました。

 さて、専攻したい分野が決まったところで、今度は志望大学を決めることにしました。地球物理専門の学科がある大学を調べてみると、実にこれが少ないのです。僕がはっきり知っているところでは、東京大学、大阪大学、東北大学の3つだけです。北海道大学などにもあるらしいのですが、いずれにしてもいわゆる難関国立大学だらけで、しかも数が少ないので困ってしまいました。選ぶのは楽ですが入るのは難しいのです。僕は両親が東北出身のせいか関西に余り馴染めないので、東大と東北大を志望大学に選びました。とは言え、このままの成績で大丈夫なのかと不安になり、一生懸命勉強しようと初めて思いました。初めて、というのはそれまでは何となく勉強して何となく高校に受かってといった感じだったからです。そのお蔭もありこの時期に成績が良くなったのではないかと思います。

 それまでは東大といえば、単に「難しい大学」という印象があっただけで、余り入りたいとは思っていませんでした。都会より田舎の方が好きで、地方の大学に行きたいと思っていたからです。でも研究者になって成功したいのなら東大のような昔からある国立大学に行くべきだとどこかで言われたと思います。それで僕の気持ちも変わったのでしょう。2年生の秋は、僕の高校ライフのうちで最も充実した時期でした。地学部の部長と司法の副委員長を務める一方で、勉強も比較的良くしていたと思います。こういう書き方は、恐らく他の人の体験記と比べると不遜な表現に見えるかも知れませんが、今までの体験記の方こそ過剰な謙遜表現が多かったと僕は思います。よく自分がいかに勉強せずに合格したかを強調する人がいますが、普通の人なら勉強しないで難しい大学に合格することはないわけで、そういう言い方は過剰な謙遜、悪く言えば嘘っぱちであるか、そうでなければ見栄っ張りと受け止められても仕方ないのではないでしょうか。ですから僕は勉強した場合には素直に「勉強した」と書くのです。


 さて、この辺でそろそろ次の「受験について」を書きます。まず受験勉強のことを書きます。春休みは3年の0学期とおっしゃった先生がいらっしゃいましたが、そのころ僕は学校祭の準備に燃えていました。何としても優勝を某部から奪還して準の字を消すぞ、と心の中で誓っていました。4月も5月も燃えていました。しかし僕はこの時も最低限の予習と復習だけは辛抱して続けていました。しかし僕の受験生括の前に立ちはだかる最大の敵、それは腰痛で、病名は腰部椎間板ヘルニアでした。学校祭の準備中は忙しくて病院へは行けませんでした。最初に病院へ行ったのは学校祭の終了後になってしまいました。それ以来受験が終わるまで、平均して週1回位通院して治療を受けました。実は今でも少し後遺症のようなものが残っていて、コルセットを使っています。学校祭も優勝し、大学も合格したのはいいのですが、健康も大事にすべきだったと後悔します。

 腰痛で余り長い時間座るわけにはいかないので、勉強は休みながら短時間で効果があがるようにしたつもりです。ですから、他の受験生に比べれば勉強時間は短かったかも知れません。しかし内容は濃かったと思います。問題は時間ではなく、中身です。勉強するときは勉強以外のことは考えないようにします。僕はいわゆる集中力という物に恵まれていたのかも知れません。

 それから、僕には大学へ行きたいという強い希望がありました。僕はとにかく早く大学へ行つて、その独特の雰囲気に触れてみたいと思っていたのです。だから浪人だけは嫌でした。それによって勉強しようという気持ちが維持されていました。
 さて、3年生の後半になると、具体的な受験計画を立てなければなりません。僕は両親から私立大学も受験するように勧められていました。私大では地物があまりできないので気がそれほど乗らなかったのですが、浪人が嫌なので一応考えて、早稲田大学と東京理科大学のそれぞれの物理学科を受けることにしました。国立では東大の理科一類を前期日程で、東北大の理学部物理系を後期で受けることにしました。

 3年になってから僕が受けた模擬試験は、全員受験のもの以外には、東大オープン模試を1度だけでした。模試に時間を費やすよりも勉強した方が良いと考えたからです。東大のOPの結果は今一つでしたが、東大が駄目でも東北大があるさ、と割り切っていました。センター試験の勉強は学校のプリントなどで十分でした。ただ英文法が最後まで課題でした。理科大はセンター方式で受けて合格、早大は嫌いな選択問題が圧倒的に多くてしかも難しかったけれども合格しました。東大はいわゆる赤本と「入試の軌跡」という数学の過去問題集とを使って勉強しました。2日で1年分、時間を計って練習しました。課題は数学でした。合格発表の日は家で電子郵便を待っていて、自分の受験番号を見つけて喜んでいた時に、僕の家に、知らせずに合格発表を東大まで見に行った親戚から電話がかかってきてびっくりしました。

 最後になりましたが、今まで僕を支えてきて下さった全ての方々、本当にありがとうございました。


 彼は、自分自身の適性と興味・関心を客観的に判断し、十分検討した後、進路を決定しました。3年時には、腰痛に悩まされ長時間机に向かうことが出来ませんでした。受験生にとっては大きな障害です。けれども、彼はそれを集中力を高めることにより乗り越えました。誰もが出来ることではありませんが、集中力を身につけることは重要です。