めぐりあい
曹洞宗直命布教師 藤 本 幸 邦
オランダのアムステルダムの空港で、二人の子供を連れたお坊さんがいました。よもやそのお坊さんが、大中寺の下山和尚とは知る由もなかったのですが、10日後に団参を連れて円福寺に来られるとは思いもよらぬことでした。承れば御先代より、当寺発行の仏教ポスターと仏教法話を50年来御檀家に正月布施しておられたとのこと。めぐりあうえにしですね。お釈迦さまはこの世はすべて縁によって成り立っていると示されていますが、私たちはみんな眼には見えない縁の糸で結ばれているのです。大中寺の御先代との仏教ポスターの縁が下山和尚とにつながっていたのです。この世に偶然というものはありません。私は曹洞宗の布教師として全国を巡りました。それは禅宗でいう雲水の修行で、一宿一飯で、雲のように水のようにめぐりあう旅の修行なのです。たまたま群馬県の赤城山の麓の宗玄寺というお寺でお説教をすることになりましたが、そのお寺は私の父母がお見合をしたお寺だったのです。そのお寺での見合が成り立たなかったら、この私は宇宙のどこにもいないのです。60年前、どの部屋でお見合をなさったのか、どこからか父母が出て来るような思いになりました。私はそのとき本当にめぐりあう縁の尊さを知りました。 「眼に見えぬえにしの糸は宗玄寺 生まれぬ先の父母の山」 と私は涙してお説教をしました。この世に親子となり、夫婦となり、兄弟となり、師弟となり、友垣となるのも、みんな縁があったからです。「諸法は因縁によって生ず」とお経は示されています。 私の孫が中学生のとき脳腫瘍になり県立子ども病院で一年間厳しい治療を受け奇跡的に治ることができました。そのときの作文に「僕はこの病気になったおかげでいのちの尊さと家族のありがたさを知りました。この病気にならなければ、僕はくだらない人間でした。仏さま僕を病気にしてくれてありがとう。」と書きました。今大学に行っていますがこの間子ども病院で講演をしたと新聞に出たので、どんな話をしたかと問いましたら、一緒に治療して仲良しだった友達が何人も死んだそのいのちをいただいて私は今生きているのだと話したそうです。人生は苦の娑婆だとお釈迦さまは申されました。然しどんな苦の中で離れ離れでいても縁の糸はつながっているのです。私は病気治療の孫に退院するまで一年間毎日はがきを送っていました。離れていても心は孫とつながっているのです。苦しくても悲しくても、花を愛し人を愛することができます。そうすれば世界中の人と縁を結ぶことができるのです。携帯電話ができましたね。子どもまで持っていますね。でもその電話料はお父さんお母さんにつながっているのです。つまらぬ電話をやたらかけず、遠くに離れても「お父さんおはよう」「お母さん元気ですか」と親孝行の電話をかけて下さい。携帯電話の声は眼に見えない愛の電話であってもらいたいですね。「旅は道づれ世は情け」と申します。電車の中でもおとしよりや、小さい子に席をゆずりましょう。何故ならみんな親子であり、兄弟であるからです。キリストは言いました「汝の隣人を愛せ」と、弟子が「隣人とは誰のことですか」と、キリストは「汝の愛したものが汝の隣人だ」と教えました。一番近い北鮮も、愛しあわねば一番遠い国になってしまいます。お釈迦さまは「一切の衆生は皆是れ我が子なり」と宣言されました。この仏さまの大慈悲がわかれば戦争もテロもなくなります。「愛の前には敵は無い」という言葉が私のスローガンです。全人類が愛の糸で結ばれ、世界中が仲よくなれる日を仏さまに祈り、そしてどんな小さな愛でも、人を殺す爆弾よりも尊いことをわかって下さい。 「アムステルダムえにしの糸はみえねども シベリヤの空を共に越えけり」 大中寺檀信徒皆さまにこの「めぐりあい」の一文を送ります。 平成14年11月9日 円福寺東堂 法 子 幸 邦 九十三叟 ※円福寺住職・藤本幸邦師は、戦災孤児の救済から始まった円福寺愛育園を運営され、今まで400人を越える親の縁の薄い人々を育ててきました。平成13年の道元禅師750年の大法要では永平寺に師の「道元禅師からのメッセージ」が展示され、焼香師の大役を務められました。 |
||
Copyright © 2002-2008 Daichuji All rights reserved. |