大中寺檀信徒の皆様へ
時折、住職の思いを文章にして、皆様にお伝えしたいと思ってきましたが、なかなかそれは果たせませんでした。この度、やっと認めた「生生世世父母兄弟なり」の文の校正を、藤本幸邦老師にお願いしたところ、図らずも校正と共に、「めぐりあい」と題した心温まる一文が送られてきました。藤本老師の太い鉛筆を使った力強い原稿を拝見した時、「菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願し営むなり。」という道元禅師の深いお心が思い出されました。たまたま私たちが90歳の老師とアムステルダム空港で出会ったことは、正に千載一遇でした。もち時間の少ない老師のことを考えれば、むしろ私たちに出会うために老師は待っていてくれたように思えました。
仏の教えを聞く悦びに遭いがたいことを「盲亀浮木」といいます。つまり目の見えない亀〔わたし〕は、大海原で一枚の木っ端〔ほとけ〕には出会い難いというわけです。しかしこの体験を通して「盲亀浮木」を味わってみると、私が仏に遭うのではない、むしろ仏の方が私に遭うために、私を待ってくれているのだと理解するようになりました。
何とも有難いことです。
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