茶室建築由来記 茶室の由来
古材を求め歩く
お寺で建てる茶室ですから、あまりお金はかけられません。それでいて、後世に残る価値のあるものを建てたいというのが、私の建物に対するコンセプトです。私はこれまでも大中寺の住職として、その建物を後世に残したいという気持で建築にあたってきました。宗教建築は荘厳な美しさを具えていなければなりません。それは即ちみ仏の教えでもあるというのが、私の考えです。最少の経済で、最も価値あるものを作りたいと思った時、「そうだ。古材で建てよう。」という考えが、天恵のように頭に浮かびました。過ぎ去った年月の力。そして、それらを伝承して来た人達の情熱。その全部を頂戴して作ったら、きっとどこにも無い茶室が出来るに違いないと思ったのです。
ところが、八方手を尽くしてもなかなか古材は見つかりません。時には、あるお寺の本堂の取り壊しの話を耳にしてトラックで出かけたものの、電話を入れておいたにもかかわらず、約束の時間には既に解体屋さんの手で取り壊されてしまっていたようなこともありました。まさに遅かりし由良之介で、こうなっては良いも悪いもありません。一瞬にして粗大ゴミの山が出現するだけですから、その時には本堂の残骸の上に立って無念の思いを禁じ得ませんでした。それでも、何か一つでもと、雨のそぼ降る境内で、ユンボの下敷きとなった残骸の中から彫刻入りの梁材を見つけだして、車に積んで帰ってきました。築後、250年のその梁材は、今、伊東市内のある住宅の棟を支えて、一際、精彩を放っています。
しかし、これから御披露しますように、世の中というのは皮肉なもので、そういうことのくりかえしがかえって何物にもかえがたいほど貴重な古材と出会うきっかけをつくってくれたのです。私はいつか、縁切りとは縁結びと同じだという意味の看板を縁結びで名高い清水寺の地主神社で、見たことがありますが、それからはまさにその看板の言葉を地でいくような思いがけない出来事の連続でした。
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