茶室建築由来記 茶室の由来
放光庵の由来
医王寺さんの放光庵は三畳台目、下座床の席で、三畳台目のみ京間寸法で作られている、7坪ほどの建物でしたが、霧の深い谷間にあったただけでなく、一部に古材が使用されていたので、既にかなり白蟻の被害を受けていました。
その結構は、現在の医王寺前にあった長谷川別荘内の茶席の写しだそうです。もっとも、最初は別荘内の茶席を医王寺に移す計画で解体したものに、長い間ビニールシートを掛けた状態で寝かせてあったので、蒸れて腐ってしまいました。そのため、現在の医王寺さんの茶室の9割方は、新しい材料で建てられていました。
そんな訳で、私は放光庵の解体がすすむにつれて、材料の状態からも、設計の面からも、現状での大中寺への移築は無理だということを思い知らされました。
なぜなら医王寺さんの別荘の中に建てられた茶室は、個人のお楽しみのためのものであり、大中寺のような場所ではより多くの人たちを迎え入れなければならないからです。そこで、棟梁と共に解体中の放光庵の屋根の上で、
「大事なことは、このまま移築することじゃなくて、この材料をどんなふうに活用するかということじゃないかな」
熱心にそんなことを話しあったものです。
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