3.夢なら現に











自分でも馬鹿げていると心底思う。彼が言う様に自分の頭は本当に花が咲いているのでは、と疑いたくもなる。ただの夢だ、と言ってしまえばそれまでだ。

そう、それまでの話。

…それまでの話なのだけど。

自分は欲しい、と思った。

夢を現に変えたい、と心から思った。

 

 

 

武官となった今でこそその量は絳攸に劣るだろうが、子供の頃より読んだ書の量はその辺の文官には負けない。体を動かすのも好きだったが、湖海城の書庫に籠って書を読むことも楽しかった。一つ知識を得るごとに兄達に近づける気がした。

それが書かれた書も、湖海城の書庫で見付けた。異能の一族である縹家に関する文献の中にそれはあった。

縹家の中でも異能の力を持つのは女だけであった。しかし縹家の長い歴史の中で一時、彼の一族に女が生まれない時期があった。縹家に滅ぼされた一族の呪だったと伝えられている。書にはそんな時の為に、遥か昔より伝わる秘薬の存在が記されていた。

子供心にもそこに書かれていたことは余りに非現実的に思えた。書庫から出ると貴陽より一時帰州していた兄に廊下で会った。兄は三つ子の長兄だったかもしれないし違ったかもしれないが、別にそれは大したことではない。つい先程得た知識が頭に浮かんで、思わず自分は兄に訊いた。本当にそんな物が存在するのか、と。すると兄は「嗚呼、その薬なら藍家でも持っているよ」とあっさり答えたのだった。驚く自分に兄は更に言葉を続ける。「何なら試してみる?楸瑛が女の子になって私達のお嫁さんにでもなるかい?」と恐ろしいことを告げて人の悪そうな顔で笑うものだから、慌てて「結構です!」と断った。

その時はまた兄にからかわれただけだと思った。

またいつもの戯言の一つだと思って、今まで忘れていた。

 

 

 

「ああ、いらっしゃい藍将軍」

辺りがもう暗くなり、灯が必要な時分に府庫を訪れた人物を邵可は笑って出迎えた。

「すみません、邵可様。今夜もまた…」

「ええ、構いませんよ。仮眠室も使えるよう用意してありますので」

「有難う御座います」

楸瑛は深々と頭を下げた。今日で五日目を数える楸瑛の訪れにも、邵可は一日目から変わらず笑って迎えてくれた。そのことに心から感謝する。

「探し物は見つかりそうですか?」

邵可の問いに楸瑛は微苦笑を浮かべた。

「…どうでしょう。有るかどうかも判らぬ上、自分の記憶でさえ確かではありませんので」

「そうですか」

それでも邵可は「手伝いましょうか?」とは言わなかった。楸瑛もまた何も尋ねなかった。

何も訊かない代わりに邵可は茶を淹れてくれた。当然の如く苦いのだが、楸瑛は頁を捲る手を止めその茶を啜った。うん、目が覚める味だ。

「こうしていると以前、藍将軍と絳攸殿が幽霊退治の為に府庫に泊まりこんで下さったことを思い出しますね」

「そんなことも、ありましたね」

のんびりと語る邵可に、楸瑛は当時を思い出した。

あの頃の自分達は無理矢理主上付きにされたはいいが、王に会うことも出来ず暇を持て余していたのだった。随分と昔のことのように思えた。

絳攸は怒っていたけれど、自分にとってあれはあれで楽しい日々だった。進士時代に戻ったようで、極当たり前にある隣の存在が嬉しかった。

 

「…邵可様」

掌で包んだ湯呑みを覗きながら楸瑛は呟いた。

「はい?」

「邵可様は…どうしても欲しいものがありますか?何を、誰を傷つけても構わぬ位、何かを求めたことがありますか?」

「…過去に、そんなこともありましたね」

邵可のその言葉に楸瑛は顔を上げた。

「…それは手に入りましたか?」

どこか縋るように見えた楸瑛の瞳に、邵可は困った様に笑った。

「どちらとも言い切れませんね。手に入った様でいて、私の掌をすり抜けて永遠に失ってしまいましたから」

「…そう、ですか」

楸瑛のその呟きは府庫の静寂に溶けた。

その静寂の中静かに、けれどはっきりと邵可は「それでも」と言った。

「欲したことに何も悔いてはいませんよ。僅かであったとしても手にした瞬間の喜びは忘れられませんし、手元に残ったものもちゃんとあります」

それが自分の罪だとしても。誰に糾弾されても。

あの女性は笑って同じ想いを返してくれた。

彼女の残したものが今でも自分を愛してくれている。

 

邵可の暖かな眼差しを受けて、楸瑛は自分の中で張り詰めていた何かが溶けるのを感じた。

流石は邵可様。あの兄達が心から慕う訳だ、と楸瑛が再確認していると邵可はその目を細めた。

「最近、ますます兄上達に似てこられましたね」

「え?」

その言葉を楸瑛は図りかねていたが、邵可はもう一度告げることはせず席を立った。

「では、私はお先に失礼しますね」

「あ、はい。お疲れ様でした」

 

邵可は府庫を出たところで一度振り返った。

藍将軍の先程の表情…

今は藍家当主の地位にいる三人の教え子を思う。

出逢った当初はお互いの存在以外何も持たなかった子供達。己と兄弟二人の命の違いさえ解らなかった揃い子。

けれど、いつしか彼らには欲しいものが出来た。全てが上手くいく方法を探すようになった。貪欲に「生きる」ことを選ぶことが出来た。

やはり血は争えないということか、と邵可は思って府庫を後にした。

 

 

 

管理者が去った府庫で楸瑛は再び目的の書を探し始めた。書名も誰の書かも分からぬ、あの書。ここにあるとは限らない。書を探し出してその事実を確認したからといって望みが叶うわけではない。

藍家にも縹家にも自分のもてる範囲で手を回している。それすら無駄に終わる可能性の方が高い。

わかっている。わかっている。わかっている。それでも…

 

その目が一冊の書に留まる。

―――流石は王城の府庫だ。

 

その書に指を掛け、棚から引き出そうとした時。

窓の外に人の気配を感じた。

視線を窓へと移すと長い羽根の影が見えた。さして驚きはしない。曲りなりも自分は彼の兄であるのだから。いい加減慣れなければ心臓が幾つあっても足りない。

「君が来るとはね…龍蓮」

突如として現れた弟は窓の桟に手を掛けると、ひょいと中に入ってきた。龍蓮が入ってきた窓からは月が覗いていた。龍蓮は月を背に立つと、衣の袷から何かを取り出した。それが何なのか楸瑛は解っていた。龍蓮は取り出した小瓶を月の光にかざして問う。

「これが欲しいか、愚兄」

「ああ」

「これを手にしてどうする?」

「訊かなくてもわかっているはずだよ」

君にはね、と言外に含ませる。

「性別など些細なことに過ぎない」

「…そう、かもしれないね」

言い切った弟に楸瑛は少し、笑った。

この弟なら本当にそうかもしれない。

「君にはわからないことかも知れないけど」

男でも構わない。自分も本当にそう、思っていた。

けれど。

どこかで理解していたんだ。この想いがいつか通じて恋人同士になったとして。どこに辿り着くというのだ。終着などない。付き合い続けるか、別れるか。幸い友情という道は残されるけれど。

いずれはお互い自分の立場や一族と折り合いをつけて、妻を娶る。子を為し、家族に囲まれて、歳を重ねる。

彼と自分は一生、他人同士のまま。

 

ある書の著者が言っていた。同性愛こそが究極の愛の形であると。

―――究極の愛?

見返りを求めずただ愛することが出来たなら、それは究極の愛なのかもしれない。

けれども。

自分はそんなに無欲じゃないんだ。

同じものを返されたい。只一人の存在として選ばれたい。確かなものが欲しい。目に見える形で、誰もがそれと分かる形で繋がっていたい。

 

奇しくもそれは、かつて黒狼と呼ばれた男が薔薇の姫に望んだこと。

 

自身も月の光を浴びながら、静かに龍蓮は問う。

「その結果、何を失っても構わぬか?」

 

色んなものを壊すだろう。

屹度、失うだろう。

あの腐れ縁の親友を。

それでも。

 

「手に入れたい。喩えどんな手をつかっても」

 

かつて兄嫁に寄せた想いより遥かに強く、凶悪なまでの感情の名前を自分は知らない。いっそ狂気さえ孕んだその想いを止める術も、自分は知らない。

薔薇姫を只閉じ込めることしか出来なかった男のように。天女を地に墜す、大罪を犯しても。

 

「楸兄上のその覚悟、あい解った」

 

『藍龍蓮』の名を持つ弟はその身を翻して、夜の闇へと消えていった。後には只一つ。その小瓶が残された。

 

 

 

そして、その夜は訪れる。

 

『今夜、俺の邸で飲むぞ』

 

―――嗚呼、君自身がその引き金を引いてしまった。

君のその優しさが、私を狂わせる。

自分は笑った。

けれど。

笑いたいのか、本当は泣きたいのかは判らなかった。












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お、お待たせしましたm(__)m2話から一月以上も経ってしまってすみません(汗)
これってダーク不憫なのかな?でもきっとすぐにヘタレる(え)。
男同士でもいいんですけど…ね。やはり女体化SSなのでこのような話の流れにさせていただきました。
07/9/24

戻る/続く