青嵐の後に残るものD











あいつに会いに行かなくては。何かに追いたてられる様に、そう思った。

なのに気持ちばかりが空回りしているのか、一向に目的の人物に会うことはできなかった。それどころか、自分が今居る場所さえ定かではなかった。

全く役に立たない方向感覚にいい加減嫌気が差した頃、見知った顔が通りかかった。

半ば飛び掛る勢いで、その人物の腕を掴む。

掴まれた方は驚いて、引きつった顔を浮かべていた。

 

「あんた、迷ったのか」

仙洞令君の少年に呆れた口調で言われたが、何故か怒りは湧かなかった。

否定する気力も湧かなかった。それどころか、素直に認める気さえおきた。

 

―――確かにいつだって迷っていたのは俺だ。

けれど、今回迷っていたのはあいつだ。

そして屹度、あいつは答えに行き着いた。

 

「そんなんでよく、今まで宮廷でやってこれたな」

呆れと感心が入り混じった響きだった。

 

―――嗚呼、本当に。自分が今までここでやってこれたのは…いつも探しに来てくれる者が居たからだ。

 

「で?どこまで行きたいんだ」

渋々といった感じだが、どうやら案内してくれるらしい。

「藍楸瑛」

場所ではなく、会いたい人物を告げても少年は驚いた顔をしなかった。ただ微かに眉を顰めた。

「引き止めるつもりか?あんたが引き止めたところで…」

リオウの言葉を最後まで待たず、口を開く。

「いいや、そんなつもりはない。喩え俺が止めても…あいつは行くだろうよ」

 

そして、やはりあいつは行ってしまった。

 

俺が会いに行かなければ、あいつは屹度何も言わなかっただろう。主上に剣を返したその足で、そのまま藍州へと帰っただろう。俺に何一つ告げる事無く。

どれだけの時を共に過ごしても、蚊帳の外の自分が酷く滑稽だった。

あいつは人の心に土足で踏み込んできた癖に、あっさりと去って行った。

お陰で気付きたくもないことに、気付いてしまった。

 

いつだって探しに来てくれるから、

いつの間にか自分は迷うことに慣れていた。

 



 

 

「そんなとこに、そんな薄着で突っ立ってると風邪ひくわよ」

うつらうつら考え事をしていたら、背後からそんな声が響いた。

執務室から一番近い庭院で、絳攸は星の無い空を眺めていた。

届いた声に対して緩慢な動作で首を巡らせる。燎火に照らし出されたのは愛弟子と良く似た相貌の少女だった。背後には体格のいい男の姿もあった。何故かその男の脇腹には包帯がぐるぐると巻き付いていた。

絳攸は少女が王の后候補で後宮に入った藍家の姫であることも、その男の正体にも察しが付いた。

 

「初めまして、李絳攸さん?」

人懐っこい笑顔で十三姫は絳攸に話し掛けた。

 

会って言葉を交わすのは初めてだが、十三姫は李絳攸を知っていた。

吏部侍郎だとか紅家当主の養い子だとかいった情報は三兄達から聞き及んでいた。あとは秀麗から聞いた。

楸瑛といつも一緒に居たのだと。本人は瓦斯抜きをしてあげていると、言っていたけれど絳攸をからかっている時の楸瑛が一番楽しそうだったと。何故かは知らないけれど、よく行方不明になる絳攸を探し出すのは楸瑛の役目だったと。

それを聞いて「あれ?」と思った。

もしかしたら、と。自分は勘違いしていたのかもしれない、と。

楸瑛が藍州に帰った後だったので、直接本人に聞くことはできなかったけれど。

あの一癖も二癖も有りそうな男(まぁ、あの兄弟の中ではまともな方だけど、比べる相手が悪すぎる)が、一体何を思って彼の傍に居たのだろうか。藍家の男が、血が繋がっていないとはいえ紅家の養い子を、親友と呼んだ理由は何か。

純粋に不思議に思った。

 

十三姫が話し掛けても絳攸は心ここにあらずといった感じだった。その理由に十三姫は当たりをつける。

「楸瑛兄様が心配?あ、王様もね」

絳攸は微かに体を揺らした。

「………」

無言の肯定だった。

「あれでも強いから大丈夫だと思うけど」

あっさりとした異母妹の言葉に、初めて絳攸が答えた。

「そうかもしれないが…。人は簡単に死ぬ」

その時、彼が浮かべて表情は決して紅家の一員として安寧と暮らしてきた者のそれではなかった。

何人もの死を見てきた表情だ。自らも死と隣り合わせに生きてきた者だけができる表情だ。

とても澄んだ美しい瞳をもっているのに、そんな顔をする。

その不均衡さが、何とも危ういと思う。

 

「うーん、成程。…兄様がほっとけないわけだわ」

「は?」

何の脈絡も無い十三姫の言葉に、絳攸の眉が寄った。

そんな絳攸の様子に構うこと無く、十三姫は絳攸に近付く。すぐ傍まで寄ると、絳攸の顔を下から覗き込む様に見上げる。

「ね、兄様のこと好き?」

ぎくりと絳攸の体が強張って、一歩後ずさる。

「…何を」

「ちゃんと正直に言って。じゃないと接吻するわよ」

迅が動揺したのが気配で判った。我ながら大した脅し文句だと思ったが、目の前の彼には充分威力が有った様だ。

絳攸は瞳を閉じると、小さな溜息を吐いた。

 

「……好きだ」

 

その呟きは微かに零れ落ちて、庭院の冷気に紛れた。

正直に告げられたことにより、十三姫の女としての矜持がちょっと傷付く。

十三姫はやれやれと、盛大な溜息を吐いた。

「本当に兄様は馬鹿ね。というか、馬鹿そのものだわ。…でも馬鹿って何で馬と鹿なのよ。馬と!馬に失礼じゃない!!ねぇ、貴方もそう思うでしょ!?」

朝廷随一の頭脳をもってしてもよく理解できない話題を振られて、絳攸は返答に窮する。

これだから女は…いや、違うな。藍龍蓮といいこの女といい、あいつの身内は変な人間ばかりだ。

 

それまで黙って二人のやりとりと見ていた迅は、おもむろに二人に近付くと絳攸の衣を掴んでいた十三姫の手を外す。そして驚いて迅に顔を向ける十三姫の肩を掴んで、絳攸から引き離しながら口を開いた。

「…あいつのこと頼むぞ。あいつ、ああ見えて抜けてるとこがあるから」

絳攸に向けて迅が言えば、十三姫も頷いた。

「そうねぇ、どっか抜けてるのよね」

どこか嬉しそうな表情を浮かべる二人に、絳攸は眩暈を感じた。

 

―――親友と妹なら、そんな風にあいつを語れるのか。そんな表情であいつの話を他人にできるのか。

俺は、そんなの知らない。俺が知ってるあいつはいつだって余裕かまして、へらへら笑って、常春で、取り乱したとこなんてない…そんな男だ。

ただ、一度だけ取り乱したところを見たのはつい数刻前のことだ。必死な顔が、駆けて行く背中が、別人の様に見えた。

何を勘違いしていたのだろう。

あいつに近しい人間は俺ではない。

あいつは俺に…相談だってしない。弱いところなんて見せない。

本当はそれが、酷く悔しかった。気に入らなかった。

俺にとって一番大事なのは黎深様だとずっと公言してきたのに。

それなのにあいつにとっての一番が藍家の者だとか…幼馴染だとか…あの女だとか…それが悔しいだなんて、気に入らないなんて、自分はなんて傲慢なんだ。

 

 

 

「じゃ、行くわ」

十三姫のその明るい響きに、絳攸は俯いていた顔を上げた。

「行くって、どこへだ?」

訝しむ絳攸に、十三姫は歩き出した足を止め振り返った。隣の男の腕をポンと叩く。

「どこへでも、行けるわ。この人と馬さえあればね」

絳攸はそう言って笑う少女が一瞬羨ましく思えたが、すぐに無いもの強請りだと気付く。自分はどこへも、行けないのでは無い。望んでここに居るのだと。

 

絳攸がぼんやりと二人の背を見送っていると十三姫が「あ、そうだ」ともう一度振り返った。

「顔の良い男は性格が悪いってのが私の持論なんだけど、例外を認めてもいいわ」

それだけ残して、少女と男の姿は見えなくなった。去り際の言葉の意味もさっぱり判らなかった。

 

 

 

王宮から出て、馬に跨った十三姫は振り返って後ろに居る迅に問い掛けた。

「ねぇ、あの人達こうなることまで見越してたと思う?」

「どうだろうな」

迅は馬に騎乗する際の振動が傷に響いて、しかめっ面で答えた。

十三姫は「うーん」と微かに唸る。

「もし、見越してたとしたら…大した弟馬鹿だわ」

そう言ってから十三姫は遠い藍州の地に居る異母兄の三つ子を思い浮かべて、やはり馬に失礼だと思った。












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余程傷ついていたみたいです、私が。
書いておいてなんですが、こんなの絳攸じゃない!絳攸の言った「好き」には恋とか愛の意味は無いのです。そういった感情には鈍い子なので。
次はやっと双花の二人です。
07/6/28


戻る/続く