青嵐の後に残るものB
そこは貴陽の外れにある、深い森だった。普段は人も寄り付かない様な場所である。
「リオウ、ここか?」
劉輝は前方にいるリオウに問い掛ける。
「先客が居るな…」
リオウは馬から降りながら呟いた。
誰かが森に入った形跡がある。それも一人ではない。
劉輝は剣の柄に添えた手に力を入れながら言った。
「リオウはここに居てくれ」
闇色の瞳が「何故?」と問う。
「いくらなんでも子供を連れて行く訳にはいかぬ。案内有難う」
楸瑛も劉輝の言葉に頷く。
リオウは何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わずに従った。
リオウは劉輝と楸瑛の背を見送りながら、自分の行動を不思議に思った。何故案内など買って出たのか。
自分はこの件に関係していないとはいえ、詰まる所自分の身内が起こしたことには変わりない。罪悪感からか。
そんなものを抱く自分に驚いて、リオウは自嘲気味に笑った。
森に分け入って行くと、人と動物の気配を感じる。まず初めに馬の影が見えた。そして人影が二つ闇に浮かび上がる。
小柄の影の横にうずくまる様にしている影がある。
楸瑛は剣を鞘から抜いて、慎重に近付く。劉輝も楸瑛に倣う。
瞳を凝らして人影を見据えると、それは楸瑛の良く知る二人だった。
「十三姫!迅!!」
「楸瑛兄様、遅かったのね」
楸瑛は思わず声を上げた後、微かに笑った異母妹に慌てて近付く。
後宮に居た筈の十三姫の身形は随分と薄汚れていた。
「何があった?!」
十三姫の横で座り込んでいる司馬迅に視線を落とす。
迅の脇からは血が滲んでいた。
「迅!お前、」
「舐めときゃ、治る」
強がったことを言う幼馴染に半ば呆れる。
「一体誰が…」
「まさかあんな男がいたとはな…大人しそうな顔して、全く容赦がない」
一人ごちてみる。
確かに顔は大人しそうだったが、あの目は真の闇を知っている目だ。
自分など問題にならない。殺ってきた数が違う。
蛍が間に割って入らなければ、確実に自分は骸になっていただろう。
「迅?」
楸瑛は聞き返そうとしたが、十三姫がそれを遮って森の奥へ視線を投げた。
「兄様。珠翠さんは、この奥よ」
異母兄がそちらを注視している間に、十三姫はその後ろに居る劉輝に顔を向けた。
「ねぇ、王様」
劉輝は愛しい者と良く似た容貌の少女をひたと見詰た。
「短い間だったけど、楽しかったわ」
その言葉が何を意味するのか、劉輝はすぐに悟る。
「うむ。余もそなたと会えて楽しかったぞ」
十三姫は本当だったら夫となる筈であった男に、ふわりと笑みを浮かべた。
「貴方、夫としてはいまいちだけど…いい王様になるわ」
劉輝はちょっと複雑な顔をした。
初めての后妃は報酬つきで嫁いで来て、その役目を終えるや否やさっさと実家に帰ってしまった。次に現れた后候補は行き成り現れて、行き成り去ろうとしている。しかも恋人と一緒に。
…別にいいのだが。何と無く理不尽だ。
「十三、」
楸瑛は戸惑った表情で異母妹に声を掛けた。
十三姫は楸瑛が云わんとしていることが判ったが、それには触れなかった。
「秀麗ちゃんに何も言わずにここに来てしまったから、一度城に戻るわ」
「その後は、どうするつもりだ?」
その質問にも十三姫は笑っただけだった。
「今度会った時は、この間の決着を付けようぜ」
迅はそう言うと、立ち上がった。十三姫が横で手を貸そうとするが、それを断る。そして、ひたと楸瑛に目を合わせる。
「迅」
「隼だつっただろうが。物覚え悪いな」
口の端を上げた迅に、楸瑛の眉間は皺を刻む。
「どっちでもいいけどさ。その隼って名前ももう必要ないんじゃない?」
十三姫が溜息を吐いて口を挟む。
「嗚呼、そう言われればそうか」
司馬迅はあの日に死んだ。蛍が藍家当主達と取引した日に。
そして今日、隼が死んだ。
「だったら今度はお前が名前を付けてくれ、蛍」
憎らしい程の笑顔で告げられ十三姫はサッと朱を走らせた後、「覚悟しときなさいよ」と呟いた。
その様子を見た楸瑛は兄として一応釘を刺す。
「泣かすなよ」
幼馴染のその男は昔よく自分に見せた様に、にやりと笑う。
「お前ももう逃げんなよ、楸瑛」
完全に固まった楸瑛に満足した迅は、くるりと背を向けた。
その迅と十三姫の背を最後まで見ることなく楸瑛は言った。
「主上、行きましょう」