二人はそのまま十三姫が指した森の奥へと入って行った。
ふいに、鉄臭い匂いが鼻に突く。そして、楸瑛と劉輝は灯りに照らし出された光景に息を呑む。
そこには十人程の物言わぬ男達が転がっていた。
先程の迅の怪我といい、一体誰が…?
不意に何かが空を切る音がして、楸瑛は劉輝を横に押して飛び退った。
それまで二人が居た辺りに、一本の
一、二、三…四、五、か?楸瑛と劉輝は気配を数える。
「これはあいつらが?」
劉輝が低く問う。
「いえ、仲間なのではないかと」
匕首を手にこちらを襲い掛かろうとしている者も、地面に転がっている死者も皆同様の
「では、これをやった奴が他にもいるというのか?」
「おそらくは。主上はできるだけ私の後ろから出ないで下さい」
「余は大丈夫だ」
「駄目です。貴方は長旅で疲れているんですから。もしも貴方に怪我でもされたら私の立場がありません」
「うーん、判った」
劉輝が低く唸ったのを確認すると、楸瑛は深く息を吐いた。底冷えする様な瞳が、斬り掛かろうとじりじり近付いてくる者達を捉えた。
「邪魔する者は、その死をもって」
今日の楸瑛は鬼気迫るものがある、と劉輝は思った。本当に自分の出る幕もない。普段なかなか本気にならない男の殺気がびしびしとこちらにまで、伝わってくる。
楸瑛はあっという間に男達を切り伏せ、剣に付いた血を払った。
「主上、御怪我は?」
「ない。それにしても、愛の力というのは凄いのだな」
劉輝はしみじみと呟いた。
「あ、い?」
楸瑛は劉輝の言葉に、純粋に驚いた顔をした。
その表情に今度は劉輝が「え?」という顔になる。
「何だ?違うのか?余はてっきり楸瑛は珠翠のことが好きなのかと…」
きょとんとした劉輝に、楸瑛は益々困惑した。
愛?私が??
珠翠殿には確かに好意を抱いている。他の女官とも妓女とも違う存在。
自分を気に掛けて欲しくて、追い返されるのが判っていて後宮へと足を運んだ。怒られて怒られて、彼女の気持ちを確かめて、それに安堵して…。
果たしてこの気持ちが、愛なのだろうか。
自分は愛なんて、知らない。床を共にしても「愛してる」を言わないのはその言葉の意味を知らないから。自分には遣い方が判らない。
兄嫁の玉華に向けた想いは、どろどろと己を苛むような感情だった。ただ逃げるしかできなかった。
彼女にその玉華を重ねて、自分を重ねて。
自分の満たされない想いを昇華させようとした。
愛とは、きっと長兄と玉華の様なことを言うのだろう。
いつだって、どこに居たって、その人だけを迷わず探し出せる様な…。
そう思った時、ふと頭を過るものがあった。
―――自分はいつだって、探していた。
何かを掴めそうな気がした。
「楸瑛?」
劉輝が話し掛けた時、何か金属のぶつかり合う音が微かに耳に届く。
次の瞬間に二人は走り出していた。
少し拓けた場所で誰かが戦っている。
そこに居た人物を認めると楸瑛は悲鳴の様な声を上げる。
「珠翠殿っ!!!」
その声に何の反応を示すでもなく、珠翠は両の手に匕首を掲げて対する人物へと駆け出した。その瞳は何も映してはいなかった。
そしてその珠翠と対し、匕首を剣で受けている人物に劉輝が声を荒げた。
「邵可っ!!!」
珠翠と戦っていたのは、秀麗の父である紅邵可であった。
「何故、邵可が…」
劉輝は呆然と呟く。
二人に割って入ろうとした楸瑛だったが、二人の動きにその足を止めた。
劉輝と楸瑛は目を瞠る。
鋭く速い動きで、珠翠の匕首が空を切る。突き、払い、きらめく刃を邵可が一重でかわす。ガッと刃同士がぶつかる音が聴こえた次の瞬間には二人の体は離れ、次の攻撃へと移る。
何者かに操られている様な動きの珠翠は兎も角も、邵可の動きは只者ではなかった。これが本当に府庫の主なのか。
瞬きも忘れ、食い入るように見詰ていた楸瑛はその内に、気付く。
邵可は珠翠の素早い動きにどうしても動きが後手になるのだ。
恐らくは珠翠に怪我をさせまいとするが為に、本来の力が出せずにいるのだろう。
対して、珠翠の太刀筋にはどこも揺らぎがなかった。息一つ切らしていない。
珠翠の動きはまるで舞う様にも見えた。
あの雪の日、彼女が舞った舞の様に。
彼女に初めて逢った、あの日。
彼女がたった一人のことを想って舞っていた。自分はそれを見て、涙を止めることができなかった。
珠翠がそのたった一人を傷付けることがあってはいけない、と思った。
そんなことになったら、珠翠の心は砕けてしまう。もう二度と元に戻りはしない。
そんなのは、駄目だ…!
楸瑛は己が握る剣を二人の間に放った。
珠翠が気を取られた一瞬に、邵可は攻撃を仕掛けた。
片手の匕首が高い悲鳴を上げて、弾き飛ばされる。
次の瞬間に珠翠は邵可から飛び退り体勢を整え、残りの匕首を構えた。
その直後、邵可の頬から赤いものが流れ落ちる。
その時。
「…し、…うか、さ」
がくがくと珠翠の体が震え出す。
感情を映さぬ瞳から、つっと涙が流れ出た。
「珠翠っ!!」
邵可がその名を呼べば、それに答える様にその瞳が俄かに色を取り戻す。
「…しょう、か、さま、しょうかさま、邵可様、邵可様…!」
珠翠の瞳ははっきりと邵可を捉えた。
そして
我に返った珠翠は迷うことなく、その手に持つものを自らの喉元へ向けた。
その意図に気付いた三人は同時に、土を蹴る。
「珠翠殿!!」
楸瑛は必死に手を伸ばしながら、間に合わない、そう思った。
その時、目を妬きつくような閃光と、耳を劈く轟音が響き渡った。
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楸瑛の親友は絳攸だけっ!ってのは譲れないので迅は百歩譲って幼馴染。迅の脇を刺したのはもちろん父様。容赦なしです。
ものすごく苦戦した理由は明白。「青嵐に揺れる〜」を読み返せないから(泣)
07/6/14