さらば、貴陽!F











「………何、やってるの?」

その男は随分と間抜けな面でそう言った。



―――それをお前が言うか!?

絳攸の米神にぴしっと亀裂が入る。
ドカドカと足音を響かせて、間抜けな面の男の前まで歩を進めた。手を伸ばせば届く程の距離になって、足を止める。腕を組み、目の前の男を見上げる。

「…見て判らんのか?」

敢えて声を抑えて言う。

「え?」

一度も目を逸らさず、だがぼーっと様子を眺めていた楸瑛は、絳攸がすうっと息を吸い込むところをやはりぼーっと眺めていた。




「迷ったに決まっているだろうっ!!そんなことも判らんのか!!貴様の頭はっ!!!」



「………………………………………………あ、そう」

予想を大きく裏切る親友の返答に楸瑛は遠い目をした。別に「連れ戻しに来た」とか「会いたかった」とかそんな言葉を期待した訳では……いや、期待したのかもしれない。
こんな藍州まで迷子になりに来なくても、なんて言葉が頭を過ぎるが声にはならなかった。

「迷ったのだ!…断じてお前を探しにきたわけではない!!」

今にも射殺さんとばかりに、睨み付けてくる絳攸に楸瑛はちょっと悲しくなった。何もそこまではっきり言わなくても…。
そんな楸瑛の心中など御構い無しに、絳攸は苛々した様子で言葉を続ける。

「だが、偶然お前を見つけてしまったからな!…仕方ない、邵可様からの伝言だ!」

「伝言?」

「『皆が心配している』と…」

楸瑛は目を見開いた。

「…主上も心配している。……屹度、自分を責めている」

楸瑛は痛みに耐えるような表情を浮かべた。その姿に絳攸はぐっと、唇を噛み締めた。

「どうしてくれるんだ!?文句も言わず仕事をしているんだぞ、あの甘ったれ王が!可笑しいだろう!?」

とても臣下の言葉とは思えない絳攸の言に楸瑛は複雑な顔をした

「秀麗も静蘭だって一応、お前が貴陽に居ないと心配するだろう」

あの元公子様が心配するのは食材の件なのでは…と思わなくもない。秀麗殿は優しいから屹度、食材を抜きにしても心から心配してくれるだろう。

「白大将軍も黒大将軍も…皆、俺にお前の文句ばかり言う!非常に迷惑だ」

あの恐過ぎる両大将軍に詰め寄られたら確かに、迷惑だろう。人間としてはどうかと思うことも多々あったが、武人としてはその才は桁外れで、彼らに勝つことが目標だった。

「お前の部下からもいつになったら帰って来るのかやら、恋愛指南をしてもらう約束だったとか、女を紹介しろだとか廊下で会う度に捕まって煩くてかなわん!」

不器用で真っ直ぐで熱い奴らばかりだ。自分はそんな奴らの上司でいれたことが誇らしく、慕ってくれることが嬉しかった。もっと伝えたいことも教えたいこともあったのに、何も言わずにきてしまった。

「あとお前の弟!なんとかしろ!!俺は置き去りにされたんだぞ!」

「龍蓮が!?」

そこで何故変人の弟の名前が出るのか、さっぱりわからない楸瑛は素っ頓狂な声を上げた。

「まさか、龍蓮が君をここに連れてきたのかい?」

それまでギャンギャンと怒鳴っていた絳攸が、僅かに口籠る。

「連れてきた…というか攫ってきたという方が正しい」

攫って、という言葉に妙に納得してしまった。ちらっと絳攸の養い親の姿が頭をよぎったが、自分にはどうすることもできまい。

「で、その龍蓮は今どこにいるんだい?」

「知るか!」

その言葉にも納得だ。

「それより!あんな下手糞な笛を毎日吹かれたら堪らん!止めさせろ」

それは私にもできるかどうか…。





絳攸は早口で捲くし立てていたが、まだ気は収まってないようだ。

「あの女…確か胡蝶といったか、上客がいなくては売り上げに響くと言っていたぞ」

「え!?君、妓楼行ったの?」

「行きたくて行った訳ではないわ!仕事に決まってるだろう!」

「仕事?一体何の!?」

本当に疑問に思って聞いたのだが、何故か絳攸の顔に朱が走る。どうやら聞いてはいけないことだったようだ。

「う、煩い!それよりも貸しは全部返し終わってないとかなんとか言っていた」

うっかり妓楼に迷い込んで、顔見知りの胡蝶に捕まり、感の鋭い彼女に楸瑛の不在がバレてしまった等と口が裂けて言えない。

「あの女傑に借りを作ると後が恐いなぁ」

「ふん、自業自得だ!お前の所為で俺は非常に迷惑しているんだ!黎深様は仕事をしないし」

「それは私の所為では…」

「煩い!お前の所為だ!!全部!!!」

子供の様なことを言う絳攸に楸瑛は思わず笑ってしまった。





先程まで会ったらどうしていいか迷っていた癖に、会ったら会ったで、そんなのすっとんでしまった。文句ばかりがポンポン飛び出てくる。八つ当たりしている自覚もあったが、常春頭は何故かへらへら笑っていた。

「うん…そうだね。皆心配してくれているんだね…」

「…………………ああ」

そっぽを向いて履き捨てるように言う。

「じゃあ、君は?」

「は?」

「君は心配してくれたの?」

「心配なんぞするか!」

その一言で、目の前の男が僅かに瞳を揺らしたのが判った絳攸は眉を寄せた。そして、一度瞳を閉じる。


―――これで最後だ。最後くらい素直になってもいいだろうか。





絳攸はカッと勢いよく瞳を開けた後、自分より幾分か背が高い男の頬を殴りつけた。


「馬鹿野郎!誰が心配するか!俺は怒ってるんだぞ!勝手に居なくなるなっ!!!」


手応えは十分あったが、流石に相手は倒れたりはしなかった。叩かれた相手は頬に手を当てながら呆気に取られていた。その男の胸倉を掴むとぐいっと力を込めてひっぱる。息が掛かりそうな程近くに楸瑛の顔がある。大きく見開かれた黒曜石には、酷い形相の自分が写っていた。

「勝手に腐れ縁を千切るな!千切るのは俺だ!お前じゃない!!大体、千切りたくても千切れんのが腐れ縁だろうがっ!俺を連れ戻すのはお前の役目なんだろうがっ!!!ここから一体どうやって貴陽に帰れっていうんだ、貴様は!?責任取れ!!!!」

「こ、絳攸……」

「皆に会ってちゃんと、自分の口で言え!!主上に自分の所為だなんて思わせるな!両大将軍にも部下達にもボコボコに殴られてしまえ!…そしたら、許してなんかやらないが……………認めてやる。お前自身が望んで決めたことなら。だから―――」

そこまで言って、絳攸は楸瑛の着物を掴んでいた手を離した。


自分は何を言っているんだ。こんな子供みたいに。言ってることが滅茶苦茶だ。「朝廷随一の才人」が聞いて呆れる。屹度「気持ちは嬉しいのだけどね、私にも事情があって」とかなんとか言うんだろう、この常春男は。






「じゃあ…戻ろうかな」


「……………………………………………………………………は?」


間の抜けた声が出てしまった。何を言ってるんだこの阿呆は。

「君が私に『傍に居て欲しい』と言ってくれたら今すぐ貴陽に戻るよ」

「貴陽に、戻る?」

「うん。あ、もちろん一時的じゃなくて、今まで通り貴陽で暮らすって意味だよ?」

「うんって、そんな簡単に!お前はそれでいいのか!?当主達には何て言う気だっ!!」

あそこまで人をせっついておいて何故か焦る絳攸に楸瑛は、それを心配しているっていうんだけどねと、心の中で思った。

「いいんだ。今ここに居ない兄達が悪い」

逃げるが勝ちだ。
楸瑛はいつもの食えない笑みを閃かせた。

「だから絳攸、ほら早く」

「な…!!馬鹿か、貴様は!?」

楸瑛は悲しげな表情を浮かべてみる。もちろん演技だ。

「君は私には殺し文句を言ってはくれないのかい?」

「はぁ!?」

殺し文句って何だ!?聞き慣れない言葉に絳攸の眉が盛大に寄った。常春の思考回路がさっぱり判らない。

「だって主上には『お前がいるからここにいる』みたいなこと言ってたじゃないか」

「そんなこと言ってない!」

「いいや、言ってたよ。主上には言って私には言ってくれないなんてズルイじゃないか」

いつもの調子を取り戻した楸瑛に、絳攸はもう一発殴ろうかと、本気で思った。
そういえばそんなこと言ったかもしれんが、それがどうしたっていうんだ。あの時も「私にも言って欲しい」とかなんとか馬鹿なことを言っていた。

「………………………………」

「絳攸?」

…………………………………お、…お前がいないと………………その、……困る……

その声は小さな小さなもので、顔を俯かせ、搾り出すようなものだったが、確かに楸瑛には届いた。

「…絳攸」

何か言いかけた楸瑛の言葉を遮って、絳攸は真っ赤になって叫んだ。




「――っもういい!!!貴様など知らんっっっ!!!!」












*************

言い忘れてましたが、黎深様がいつも以上に仕事をしなかったのは情緒不安定な養い子が余計なことを考えないようにさせたかったから。なんて不器用な。
楸瑛は3巻で絳攸が劉輝に言ったことがずっと羨ましかった模様。
次回、いよいよお兄様達の登場です。
07/2/17

戻る/続く