さらば、貴陽!E











藍楸瑛は暇を持て余していた。

当主である兄達からの文を受け取り、藍州に戻ってきたはいいが、当の兄達には未だ会えずにいる。そのことが妙に引っかかる…。何を考えているのだろう。あの兄達…いや、兄弟のことは自分にはよく判らない。本当に同じ両親から生まれたのだろうか。生まれてから何度と無く繰り返してきた疑問がまた湧き上がる。まぁ、今更だが。
全く仕事がない訳ではないのだが、帰ってきたばかりの身である上に急を要する様な懸案もなかった。兄達の統治は完璧だ。兄達の部屋が王の執務室の様に書簡で埋め尽くされる様なことも屹度、ない。
藍州にも花街はあったが、何故か通う気にはならなかった。


久しぶりに帰った故郷は、変わらず美しかった。
懐かしさはあったが、どこか現実味がなかった。確かに自分は18歳で国試を受けるまでこの地で育った。なのに、その頃の記憶が酷く色あせて思えた。
弟の自分から見ても、兄達は完璧に当主の仕事をこなしていた。
ここで自分は何をして過ごすのだろうか。自分の出る幕はあるのだろうか。
ぼんやりとそう、思った。








楸瑛はいつもの習慣で朝の鍛錬を終えた後、城下へと足を伸ばす。市井の様子を肌で感じることも大事だ。城下の往来では両脇に店が軒を連ね、活気で溢れていた。
店先を眺めながら歩いていた楸瑛の足元に、小さな子供がぶつかった。

「大丈夫?」

少女の小さな体を受け止めてやりながらそう問えば

「うん!」

と、元気よく返事が返ってくる。
その後、屹度その子供の母親なのだろう。女性が子供の名前を呼ぶ声が聞こえ、子供がそちらへと走って行く。
女性はこちらへ軽く会釈した後、子供の手を取った。

「ほら、ちゃんと前を見て。迷わない様にね」

母親は娘の手を引いて歩き出した。



そんな些細なことでさえ、思い出させられる。


彼は元気だろうか。迷っていないだろうか。無理をしていないだろうか。
屹度、無理はしているだろうな。目の下に隈を作って。食事も碌に摂らないで。何度言っても聞かないのだから。それでも、口煩く言えば不満気にではあったが従ってくれた。
名前を呼べば、振り向いてくれた。だから何度も呼んだ。怒られても嬉しくて、更に怒らせて。
会いたいと、思った。会ってまた「この常春がっ!」と怒鳴られて。共に大量の書簡に囲まれて、四苦八苦して、それでも満たされた気持ちになって。


あの年若い王は泣いていないだろうか。
素直さが可愛くて、健気さが切なくて。力になりたいと思った。自分とは違う恋をする王を見守って。だけど少しだけ羨ましくて意地悪をして。毎日が色鮮やかで。


自分は少なからず彼らに必要とされていたと、自惚れてもいいだろうか。


静かな完璧で美しい世界より、騒がしくて不完全で心臓に悪い退屈なんてしない世界が何より愛しい。
未練だな、と思う。自分は余りに楽しい時を過しすぎたのかもしれない。
だが、それももう終わった。きっと、我知らず感傷的になっているだけなのだ。いずれはいい思い出だったと、他愛無く語れる日が来る。







城へ帰ろうと足を向ける。城下の賑わいから少し離れたその時―――


「――っ」


迷い無く自分に飛んできた小刀を楸瑛は叩き落した。
こんな州の真ん中で藍家直系の命を狙うなんて大胆な刺客がいたものだ、と感心半分、呆れ半分で振り返る。刀に手をかけたままで。
しかし、そこにいた人物に楸瑛は珍しく大きく目を見開いた。


「ちっ、外したか」


そんな悪態もいつものことで。相変わらず眉間に皺を寄せて、仁王立ちで。
色素の薄い髪が太陽の光に照らされて眩しく輝いている。…徹夜明けのように幾分かくたびれた感はあるのだが…それでも意思の強い瞳はそのままでこちらを睨みつけている。

大胆な刺客の正体は自分のよく知る人物で、彼の隣に居れることが当たり前だと思っていた。
「そんなもの投げつけて危ないなぁ」とか「刺客に間違えられたらどうするんだい?」とか言うことは幾らでもあるし、常ならそんな言葉に笑みを乗せることだってできるのに。




「………何、やってるの?」




その言葉を紡ぐだけで精一杯だった。












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楸瑛は、絳攸のことがすごく好きみたいです。楸瑛らしい(笑)名前を呼んでも仕事中は振り向いてもらえないのに、お兄ったら絳攸のこと美化してます。
余り話が進みません…。10話で終わるかどうかも怪しくなってきました。
07/2/8

戻る/続く