さらば、貴陽!D











――――藍龍蓮よ、「初めての兄孝行」なるもの大変結構だ。自由にするがいい。だが!俺を巻き込むな!!!



正真正銘頭に花を咲かせた男の肩で揺れながら、絳攸は気持ちが悪くなっていた。
何故、荷物のように肩に担がれて運ばれなければならないのだ。冗談じゃない。

「おいっ!いい加減降ろせ!自分で歩けるわ!!!」

理性の欠片もなく喚くと、相変わらずな返事が返ってきた。いや、返事ではない。

「愚兄其の四の親友其の一はどうやら精神的心労が溜まっているようだな」

「誰の所為だと思ってるんだっ!」

「心安らぐ私の笛の音を御贈りしよう」

「は?」と思った時には、もう遅かった。秀麗達から藍龍蓮の笛の被害については聞き及んでいたのに、対応が遅れた。龍蓮はどこからともなく愛用の笛を取り出すと、大きく息を吸い込んだ。
耳元で大音量の怪音を叩きつけられた絳攸は自分の意識が遠のくのが判った。


―――これは、悪夢だ。きっと。目が覚めたら元通りになっているんだ。


では、いつからが悪夢だ?



―――あの日から。あの男が居なくなったあの日から、悪夢ならいい。全部。


絳攸は意識を手放す前にそう思った。














目が覚めると自分は何故か馬に騎乗していて、目の前には懐かしい男が居た。男の背後には太陽があって眩しい。

「楸…」

言いかけて気付く。彼ではない。それは彼の弟だった。どうして今まで気付かなかったのだろう。…屹度その服装の所為だ。龍蓮は彼に似ていた。共に国試を受けて、白い進士服に身を包んでいた頃の彼に。


「気がついたか?愚兄其の四の親友其の一よ。感激のあまり卒倒するとは」

「誰が感激するか!はっきり言ってやる、迷惑だ!!」

「むう。この笛の音を解せぬとは、哀れなことだ。愚兄の親友だけのことはある」

「だからっ」

「しゃべらない方がいいぞ。舌を噛む」

「うわっ!」

龍蓮は手綱を振るって馬を走らせ始めた。急な揺れによって絳攸は文句を言うことも、「馬くらい一人で乗れる」と言うこともできなくなった。
いっそ気を失ったままの方がよかったのかもしれない。
太陽の位置から見て、馬は確実に東に向かって疾走していた。東…藍州のある方角へ。その地に居るであろう男へ思いを馳せる。

それもこれも全て楸瑛の所為だ。会ったら只ではおかない。絶対殴る!と、決意して絳攸は断続する激しい衝撃に耐えた。










絳攸は馬酔いというものを生まれて初めて経験していた。
馬を走らせ続けて。尻の感覚はもはや無い。きっと皮も剥けているだろう。
藍家の天つ才は「近道だ」と言って道なき道を切り開いた。そう、はっきり言って道ではなかった。
一頭の馬に男性二人が相乗りするのでは、あまりに馬に負担がかかる。馬が可哀想だ。道中で馬をもう一頭入手し(金を払おうとしたが、何故か断られ、龍蓮が礼に笛を吹いていた)、再び走り続ける。途中何度も貴陽に帰りたくなったが、ここで引き返したところで無事帰れる確信もなかった。…悲しいことに。


そしてようやく(従来の行程とは比べ物にならない位早いが)藍州に入った。

絳攸は生まれて初めて藍州の土を踏んだ。
水の都、藍州。枯れることのない水資源を湛え、遥か昔から栄えてきた。噂に違わず美しい処である。筆頭名門の藍家が治める州だけあって、紫州と比べても何の遜色も無い。いつか楸瑛が誇らしげに語った通りだった。
絳攸が少なからず感動していると、龍蓮は突然ふむ、と頷いた。

「天候、気温、湿度、風向き、どれも完璧だ」

「…?」

「茶州で励む心の友らに土産をしなくては」

「は?土産??」

「では、ここでさらばだ。愚兄其の四の親友其の一よ」

「ちょ、さらばって、おいっ!!」

絳攸が声を掛けても龍蓮は全く気にせず、あっという間にその姿は見えなくなった。

「………………………………………………………」









「なっん、なっんだぁぁぁ!!!あいつはっっっ!!!!」

絳攸は藍州の往来で怒りに震えていた。
すぐ傍で買い物を楽しむ民衆の声さえ絳攸には聴こえていなかった。


なんっっって迷惑な!誘拐まがいなことをして、こんな所に連れてきて、挙句の果てに放置かよ!!??やはり兄弟だ!あの兄にしてあの弟ありだ!あの兄弟に関わると碌なことがない!!

絳攸は頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。

楸瑛に会いに行くなら当然藍家本邸を訪れればいい訳で…。
こんな右も左も分からぬ所に置き去りにされて、迷わぬ訳があろうか。いや、ない(反語)。『遭難死』が太文字で頭に浮かび上がる。


落ち着け。まず、落ち着こう。ここで取り乱していては敵(?)の思う壺だ。


深呼吸をしよう。すーはー。すーはー。よし。


藍家本邸なら人に聞けばいいんだ。幸い人ならここに沢山いる。しかも皆、藍州の人間だから大丈夫だ。何も恥じることはない。旅の恥は掻き捨て、と言うではないか。そう、さりげなく聞いて、藍家本邸を訪れて、そして…。

はたと、気付く。

会ってどうしようというのだ。殴って、怒鳴って…それで?
「何しに来たんだ」と呆れられたら?「藍家の直系が本気で王に仕えるわけがないだろう」と言われたら?「友人ごっこも飽きた」とあしらわれたら?

ここに至るまで敢えて考えないようにしていた。
思わず、足元から崩れ落ちそうになる。そんな自分を消し去る為、頭を振って顔を上げた。




その時、道の外れの人影が映る。
あの後ろ姿。
供も付けず。けれど剣だけは差して。
漆黒の長い髪を結わえず、後ろに垂らして。
ああいう姿を見ると武官に見えない。…尤ももう武官ではないのだが。




いつも見付けるのはあいつが先だった。いつもあいつが俺を見付けて―――



『また、迷ったの?』



そう言ってからかう。






絳攸は一度きつく拳を握った後、着物の袷に手を伸ばした。












*************

絳攸と龍蓮のドキドキ初旅行でした(←違う)。でも色んな意味で心臓に悪い旅路だろうな。何故か愛乗り…いや相乗り。双花は再会…ではなく、発見でした。藍州の美しさについての語れる文才が欲しい←切実。五行思想っぽく藍州は東ってことで(笑)
07/2/1

戻る/続く