さらば、貴陽!C











「心の友其の一の父上よ、息災であったかっ?」




それまでのしんみりした雰囲気はバーンと勢いよく開けられた扉の音と、陽気に響く声によって見事に壊された。


府庫の扉を開けて現れたのは、年中頭に花を咲かせた藍楸瑛…ではなく、本物の花を頭に咲かせた藍龍蓮だった。花やら羽根やら宝石やらをくっ付けた、相変わらず凡人には理解できない奇抜な服装である。

「藍龍蓮!」

居る筈のない人物を見つけて絳攸は血相を変えて叫ぶ。
そこでようやく藍家きっての天才は府庫に居るもう一人の人物に目をやった。

「ん?そこで死人の様な顔色で居るのは愚兄其の四の親友其の一ではないか」

「何しに来た?!大体ここは部外者立ち入り禁止だろう!!」

官吏でもない者が易々と侵入できるなど…次の朝議の議案は朝廷の警備強化に決まりだ。

「奇なことを。心の友其の一からの季節の便りを心の友其の一の父上の渡すよう頼まれたのだ」

お前が居る事の方がよほど「奇なこと」だとツッコんでやりたい。しかしこの紙一重の侵入者には、何を言っても無駄な労力で終わりそうだ。
その紙一重の侵入者は、やはり絳攸の言葉など気に留めた風もなくずかずかと室に入り、邵可にずいっと文を手渡す。

「そうなのかい?それはありがとう」

邵可が嬉しそうに娘からの文を受け取るのを見て、絳攸は口を噤む。邵可が嬉しいのなら自分も嬉しく思える。また、「季節の便り」という事からも、愛弟子は元気なのだと窺えて安心した。





邵可と龍蓮は噛み合っている様な、噛み合っていない様な会話を幾つかしていた。絳攸は少し離れたところから二人を見ていた。
邵可のことだから「お茶でも飲んでかないかい?」と言い出しそうだ。
しかし、この目立つ服装の部外者がいつまでも朝廷をうろうろしている訳にはいかないだろう。それとも、この藍龍蓮の登城も、藍家の何かしらの思惑なのか。
そんなことを思っていると龍蓮がこちらに近づいてくる。頭の花が振動に合わせてゆらゆら揺れている。間近で見る彼の服装は目に痛い色彩だ。龍蓮は目の前まで来ると足を止め、絳攸の顔をじっと見詰める。龍蓮の方が五つ程年下なのだが、身長は大して差がない。

「愚兄其の四の親友其の一よ」

ぐいっと顔を近づける。

「変な呼び方をするなっ!」

顔を後ろに引きながらも、先程から言いたかったことを言い放った。

「愚兄とそなたは親友ではないのか?」

目の前の男は僅かに驚いた顔をした。

「誰が親友だっ!あいつとは只の腐れ縁なだけだ!」

絳攸は何度となくしてきた訂正をした。

「ふむ。愚兄の『片思い』という訳だな」

「は!?」


「楸兄上が言った。親友ができたと」





あれはまだ愚兄が武官に転向したばかりの時。旅の途中、ふらりと貴陽に立ち寄った時のこと。「愚兄其の一から其の三までの命に背くとはついに狂ったか、愚兄其の四」愚兄は苦虫を噛み潰したような顔をして「そんなことないよ」と辛うじて言った。「では、何か面白いものでも見つけたか?仙人のアジトか?」そう詰め寄ると、「君じゃあるまいし、そんなの見つけても面白くないよ」些かげんなりした後「……親友ができたんだ」そう漏らした。
そう言った愚兄の顔は変だった。嬉しいのと恥ずかしいのと誇らしいのと悲しいのが少しと後ろめたいのもほんの少しと。今まで見たことがなかった。藍家に居る時には見たことがなかった。
その時には『親友』が何なのか理解できなかったが、今なら分かる。心の友を得た今なら。どんなにそれが得難く、失われ易いものか。





「では、参ろうか」

急に黙りこくった変人を、不審げに思っていた絳攸はその言葉に飛び上がる。今までの流れから何が「では」なのかさっぱり判らない。

「はぁ!?参るってどこへ!!??」

「初めての兄孝行というのも悪くない」

「お前人の話聞いてないだろう!!!」

「そうだね、それがいい」

「邵可様!?」

怒りのあまり龍蓮に掴みかかろうとしていた絳攸は、邵可にまで信じられないこと言われ固まる。

「絳攸殿を頼みましたよ、龍蓮君」

「お任せあれ」

「ちょ、邵可様!俺、いや私には仕事が…うわっ!おい、放せ!!」

行き成り肩に抱え上げられ、必死に抵抗する。

「暴れるでない」

「暴れるに決まっているだろうがっ!!!」

しかし、どんなに怒鳴っても暴れても振りほどく事が出来ない。何だか情けなくて泣けてきそうだ。
頼みの綱の邵可に目をやれば、何やら頷かれてしまった。

「邵可様…」

「絳攸殿、藍将軍に会ったら『皆が心配している』とお伝え下さい」

邵可の言葉に絳攸が瞠目し、動きを止めたのを見逃さずに龍蓮は走り去った。絳攸を担いだまま。











「黎深、止めなさい」

絳攸と龍蓮が去ってすぐ、邵可は前を見据えたまま静かに告げた。空気が一瞬だけ揺れる。

「あ、兄上…しかし」

府庫の本棚の影から姿を現した黎深は困惑した表情で最愛の兄を見詰めた。

「龍蓮君の邪魔をしてはいけないよ」

優しげな物言いとは裏腹に邵可の目は厳しかった。自分が止めなければこの弟は間違いなく「影」を差し向けていた。

「………………………………………判りました」

数拍の後、しぶしぶといった感じではあったが、そう返事をした弟に邵可は、小さく息を吐く。
しかし、どうやら弟の怒りは収まっていないらしい。

「……あの、藍家の変人がっ!よくも私の養い子をっ」

何やらぶつぶつ言っている。まぁ、大事な子供を目の前で連れ攫われたら胸中穏やかでは居られないだろう。その気持ちも判るが。

「君、昨日まで『藍家の若造がっ!あれにあんな顔させおって』って言ってたじゃないか」

「そ、それはそうですけど」

「黎深。絳攸殿に、あんな顔させたくなかったら、どうしたらいいか、わかるね?」

幼い子供に言い聞かせるように、言葉を区切って念を押す。

「……………………………」

「絳攸殿は大丈夫だよ。心配ない」

「兄上…」


自分は龍蓮に絳攸を頼むと言った。龍蓮はそれを了承した。だったら滅多なことが起こらない限り絳攸は安全といえる。龍蓮は約束を破るような青年ではないし、何より『藍龍蓮』である。
ただ、気がかりは今は藍州に居るであろう彼がどうするか。自分の予想が当たっていれば…。
ここ数日ずっと不安定だった義理の甥を思う。どんな結果が待っていても、今のままよりいい…そう思うしかない。どんなに仕事が溜まろうが絳攸が一番の適任だった。また、意地っ張りで真面目な絳攸の背を無理矢理にでも押すのは龍蓮が適任だった。


「とりあえず、君は戻って仕事しなさい。絳攸殿が居ない今、君まで仕事をしなかったら吏部どころか朝廷が傾くよ。劉輝様には私から言っておくから」

「…………」

それでもまだ納得できていない弟に邵可は必殺技を使った。

「…黎深。茶州から戻ってきた時に朝廷が壊滅していたら秀麗が悲しむよ。しかもそれが自分の叔父の所為だと秀麗が知ったら、どう思うかな?」



邵可は慌てて吏部へ帰って行く弟を見送った後、静かに目を閉じた。



願わくば、一輪の花菖蒲が再び二輪と相為りて与え主の下に咲き誇れ。












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郵便屋・龍蓮登場です。難しいです。W天才の接触はなしです。と、ゆーかこの2人ってどんな会話するんだろう…??なんか恐ろしい。
今更ですが、時間軸は秀麗が茶州州牧就任時代です。
はっ!今思ったのですが、ここでウッカリ楸瑛が帰ってきたら面白いことになりそうです!養い親には命を狙われるし、想い人は変人の弟と駆け落ち(違う)!!お兄は追い駆けて行ったらよいよ(^_^)/~
07/1/21

戻る/続く