天に架かる二つの虹C











州にもそれぞれ民の特色というものがある。藍州の民が陽気で明るいとすれば、紅州の民はみな勤勉で真面目だ。よく働く。また、紅州は温暖な気候で作物の育ちが良い。温泉が湧き出す為、他の州からの旅行客も多い。

紅家の本邸は州都の外れにあり、後方を高い山が守っていた。

広大な土地に建てられたそれは、確かに立派なものであったが、決して華美でなく質実剛健という言葉がよく似合う佇まいだった。

紅家当主達を乗せた軒が到着するのを、一族の者や家人が勢揃いで待ちに待っていた。

久方振りに戻って来たすぐ上の兄を、玖琅は硬質な面に僅かな笑みを浮かべて迎えた。

「黎兄上。よくぞ戻って下された」

「私は戻ってきたくなどなかったわ」

黎深の言葉は相変わらず冷たいものだったが玖琅は気に留めはせず、兄に続いて現れた義理の甥に声を掛けた。

「絳攸。よく来たな」

「玖琅様」

絳攸は玖琅に向かって深々と頭を下げた。その絳攸の足に小さな子供が張り付く。

「こう兄様!」

僅かな振動を受けて絳攸は視線を落とした。そこには己の腰ほどしかない少女が自分を見上げていた。

絳攸はその少女に微笑んだ。

「これは世羅姫」

「おひさしぶりにございます」

世羅と呼ばれた少女は黒目がちな大きな目を輝かせた。その大人びた言葉遣いが印象的な少女は玖琅の長女であった。

絳攸が背を屈めて世羅の頭を撫でてやると、世羅はくすぐったそうに笑った。

「絳兄様」

声を掛けられ、絳攸は視線をそちらに移す。

世羅の後ろから現れたのは、まだ子供の域を出ない少年だった。

「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」

「伯邑様。大きくおなりになりましたね。見違えてしまいましたよ」

目上の者に対する正式な礼を取った少年は世羅の兄であった。年齢は十を二・三過ぎたばかりだが、その纏う雰囲気は街の子供が持つそれとは明らかに異なっていた。

「有難うございます」

絳攸の言葉に伯邑は照れたように笑った。

そんな三人の様子を見ていた玖琅は目元を和ませた。

「世羅、そんなにくっついていては絳攸が歩けぬだろう。離れなさい。絳攸、お前はここに来るのは初めてだったな。それでは早速皆に…」

「玖琅様」

一族の者や家人を振り仰いだ玖琅におっとりと声が掛かった。

「申し訳ありませんが、夫も絳攸も長旅で疲れております。皆様への挨拶等は明日にしてはいただけませんか?」

「義姉上。これは、ご挨拶が遅れて申し訳ない」

「いいえ」

頭を振るった、義姉の表情が暗いことに玖琅は気付いた。

「お顔色が優れませんが?」

「少し、軒に酔ってしまったようです」

「ああ、それなら直ぐに床の用意をさせますので、こちらへ」

「かたじけありませんわ」

玖琅が家人に指示を出し、百合を案内するように歩き出した。そんな百合と玖琅のやりとりを聞きもせず、黎深は一人でさっさと行ってしまった。

「絳攸も、ほら」

百合は振り返り、絳攸を手招きした。

「こう兄様、行きましょう」

世羅が絳攸の袖を引っ張った。

絳攸は一度世羅に微笑んでから、紅州の空を見上げた。

雨は降っていなかった。

視線を前に向けると、遠くに黎深の背中が見えた。

絳攸は世羅に手を引かれるままに、広大な紅邸へと足を踏み入れていった。

 

 

 

次の日の絳攸は朝から挨拶やら顔合わせやらで動き回っていた。

今更挨拶する必要もないのか、黎深の姿は見えなかった。

色々な人との対面で疲れていたのが判ったのだろう。ひと段落すると玖琅は絳攸に自由な時間を与えた。玖琅にまで気を遣わせているようで気が引けたが、絳攸はその言葉に甘えることにした。

紅家の書庫を借りたいと申し出た自分に、玖琅は快く了承してくれた。

 

「焦ることもない。段々と覚えていけばいい」

書庫まで案内した後、軽く肩を叩いて玖琅は去っていった。

すると今度は代わりにどこからともなく伯邑・世羅兄妹が現れた。

絳攸は昨日「お暇な時でいいので、勉強を見て下さい」と伯邑が言っていたのを思い出した。

「こう兄様、世羅にご本をよんでください」

「世羅、絳兄様は私の勉強を見て下さる約束だ」

世羅が本を差し出すのを、横から伯邑が口を挿む。

こんなところを見ると年相応の子供らしい。絳攸は自然に頬を緩めた。

「申し訳ありません、世羅姫。伯邑様とお約束が先ですので」

「えー」

「我が儘を言うんじゃない」

世羅が頬を膨らませて拗ねるのを兄の伯邑が嗜める。

「夜でしたら大丈夫ですよ」

絳攸の言葉に世羅はぱぁと顔を輝かせた。

「ほんとう?」

「ええ、夕餉を食べ終えたら本を読んで差し上げますね」

「はいっ」

「良かったな、世羅」

喜色満面といった様子の妹の頭を伯邑がポンと叩いた。

数回しか会ったことはないはずだが、この兄妹は何故か自分を慕ってくれていた。見た限り、邸に二人と同じ年頃の子供はいないようだったから遊び相手が欲しかったのかもしれない。

自分を兄のように慕ってくれる、その純粋な好意がくすぐったくも嬉しかった。

 

 

 

書庫で勉強を見ている合間に、ふと伯邑は絳攸に尋ねた。

「絳兄様は貴陽では、主上に御使えしていたんですよね?」

「ええ」

「主上とはどんな方なのですか?」

伯邑は純粋な好奇心から訊いたのだろう。だが、何故か絳攸は息が止まる思いがした。

「…どう、言ったらいいのでしょうね」

以前、燕青に訊かれた時は何と答えたのだろうか、と思った。

世間知らずでお子様で天然ボケで…

「…伯邑様は、良い王とはどんな王だと思いますか?」

急に問われて、伯邑は首を傾げた。

「そうですね…民のことを考えて、皆が平和で安心して幸せに暮らせる世を作れる王ではないでしょうか」

「ええ。そんな完璧な王が居たらどんなにか良いでしょうね」

「居ないのですか?」

目を丸くする伯邑に絳攸は苦笑いを浮かべた。

「王といっても一人の人間です。伯邑様、貴方と同じ。それを忘れては駄目です。悩んだり、失敗したり、誘惑に負けたりもする」

「そんな人が王でいいのですか?」

伯邑はよく解らないといった顔をした。

「だから、臣下が居るのです。王一人が完璧であることなんて不可能に近い。自分にしかできないことがあるのを知っていて、自分が完璧でないことも知っている。…そして。傷付けられる痛みも、民一人の命の重さも知っている。そんな方ですよ。主上は」

そう言う絳攸の表情を伯邑は不思議そうに眺め、口を開いた。

 

「絳兄様は主上が好きですか?」

 

他意の無い、真っ直ぐなその問いが絳攸の胸を突いた。

 

「…そう、ですね。好きでしたね。とても」

 

伯邑が何か言う前に、「でも」と絳攸は目を閉じた。

「それだけでは駄目だったんです」

「…難しいのですね」

そう漏らした伯邑に絳攸は曖昧に笑った。

 

 

 

「絳攸。休憩にしない?」

絳攸が書庫で昨年の灌漑工事の資料を眺めていると、百合姫が茶を運んできた。

百合が茶器に湯を注ぐと、中にあった乾燥した花がゆっくりと開花していく。それをぼんやり眺めている絳攸に百合は問い掛けた。

「こちらでの生活はどう?」

「勝手が解らず惑うこともありますが、皆様によくしていただいております」

実際紅家は藍家に次ぐ名家なだけあって、中央の官吏と比べても何の遜色も無い有能な者達ばかりだった。

「そう、よかったわね」

「はい」

「それで…貴方の気持ちは晴れたかしら?」

百合はただただ穏やかに問い掛けた。

「……はい」

「そう」

百合のその穏やかな顔に絳攸は胸の奥に痛みを感じた。それを無理矢理押し込んで、淹れられた茶を飲み込んだ。

花茶はとても苦く感じた。

 

 

 

自室で書翰に目を通していた玖琅の元に、すっと一人の男が現れた。動きや身なりからして、身の回りの世話をする家人ではないのは明白だった。

男は玖琅にそっと耳打ちをした。

それを聞いた玖琅はその目を細めた。

「そうか。…来たか」

そして。

男に静かに命じた。

 

「排除しろ」













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えっと、また捏造キャラ登場です。年齢設定を影月が13歳ということを考えるとどうしていいか分かりません。とりあえず2人とも絳攸大好きっ子です。
紅州も捏造です。温泉…出るといいな。
次回にあの男が出る…かも。
07/12/25

戻る/続く