天に架かる二つの虹











今更、こんなことを言ったところで負け惜しみ以外の何物でもない。言い訳だってこと位理解している。

けれど。

どこかで予感があったんだと思う。

共に花を受け取ったあの男が貴陽から姿を消した、あの時から。

いつかはこんな時が来ると。もう自分もこのままではいられない。選ぶ時が来たのだと。

 

全ては己の甘えと不注意が招いたことだった。

王は悪くない。

全て俺が悪かったのだ。

向けられた信頼がどんなに嬉しくても、俺は「花」を受けるべきではなかった。自分の全ては己の為に使ってはならなかったのだ。

なのに。

自分は菖蒲の花を受け取り、今まで何食わぬ顔で王の傍に居続けた。もう何年もずっと傍に居たかのように、居心地の良い優しい場所に安穏と浸かっていた。

それがどんなに残酷なことか考えもせず。

 

何故、そんなことが二年間も出来たのだろうか。

 

―――嗚呼。あの男が言うように、自分は『楽しかった』のだ。

だから。

忘れて、見ない振り考えない振りをして。

王の優しさに甘えていた。

これは…そのつけが回ってきたのだ。

断罪されるのは、俺だ。

 

悠舜殿に会って初めて王の不在を知った。王もまた、自分に何の相談も無く藍州へと、行った。

裏切られた、だなんて思う方がどうかしている。言う機会は屹度、幾らもあった。けれど王は俺に言えなかったのだ。

楸瑛が俺に何も言わずに貴陽を去ろうとしたのと同じ。

所詮それが、俺と王との距離だった。

 

 

 

『李絳攸、貴方には吏部侍郎を辞めてもらいます』

 

今まで部下だった者からそれを突きつけられても、悔しいとか悲しいとかそういった感情は一切なかった。

ただ。

時が来たのだ、と。

 

 

「数々の越権行為についての罪状はここに」「今までお疲れ様でしたね」そんな言葉を聞いた気もするが、よく覚えていない。

気付いた時には自分の邸に戻っていた。薄暗い室の中に佇んでいた。

よく迷わず帰れたな、と思ったらなんだか可笑しくて笑いが込み上げてきた。

 

腰から下げられた組紐に、菖蒲が彫られた佩玉は無かった。

 

 

 

翌日も何時もと同じ刻限に起床した。常より睡眠をとった筈なのに、頭はちっともすっきりしていなかった。靄がかかったように、思考することを拒否していた。何も考えたくなかった。

何をするでもなく、邸でただ時間を過した。一日とはこうも長かったのかと、思った。

黎深様は何も言わなかった。百合様は何も訊かず、茶を一緒に飲もうと誘って下さった。茶州から取り寄せたという甘露茶の香ばしい香りと茶の甘みが優しかった。

 

 

紅州の玖琅様から文が届いたのはその三日後。

「もう貴陽にいる必要もないだろう」と。

「紅州にて見せたいものも教えたいこともある。待っている」と。

その厚意が嬉しかった。

けれどそれ以上に。

早くここから、抜け出したかった。

貴陽から、抜け出したかった。

 

 

 

そして五日目に、その男はやって来た。

 

「やぁ」

客室で自分を待っていた男は最後に会った時からは比べ物にならないほど、晴れやかな顔をしていた。まるで何事もなかったかのように。いつも通りの。

…いや、そんなことはない。

絳攸は腐れ縁の男の確かな変化にそっと目を背けた。

目の前の男はゆっくりと口の端を上げた。

「余り…驚かないんだね。私が戻ってくるって信じてた?」

その軽口にも絳攸は動じなかった。

「…いや、半々だと思った」

それが正直な気持ちだった。

半分は本気で戻ってくる気がないのだと思った。そうなったとしても、自分には何も言うことはできなかった。楸瑛には彼自身が今まで背負って来たものがある。自分がとやかく言う問題ではない。

もう半分は戻って来ると…信じていた訳ではない。信じたかっただけだ。王の為に、というより自分の為に。楸瑛が帰ってくれば彼は独りにはならない。彼の傍には楸瑛が居る。自分が居なくても。

罪悪感にさいなまれる自分が嫌で、信じたかった。

ここまできても、結局は自分のことしか考えていない己に呆れる。

 

 

腐れ縁の男の瞳がこちらに向けられた。その鉄色の瞳に揶揄の色はなかった。

「…それで、君はどうするつもりなの?」

今度は、それをお前が訊くのか。

今度は、俺が告げる番だ。答えは決まっている。

「…あの時、お前が言った言葉をそのまま返す」

楸瑛に今まで背負って来たものがあるように、自分にも決して譲れないものがある。藍家や紅家なんて立派なものじゃなくて、他人からしたらちっぽけで笑ってしまうようなことでも。自分にしたら何より、何より大事な―――自分の存在の根本だ。

『李絳攸』が生まれた時から、自分の全ては己のものではない。

 

「俺はお前とは違う」

 

楸瑛がゆっくりと瞬きをした。そして「そうだね」と小さく呟いた。

絳攸は微かに笑った。

「お前は、あの王の傍に居てやってくれ。あいつは甘ったれの泣き虫だからな」

それは滅多に頼みごとをしない自分の、楸瑛への最後の頼みだった。

 

それだけを言って、絳攸は楸瑛に背を向けた。

 

 

 

その夜。

 

「紅州に帰る」

 

養い親は自分にそう告げた。












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あれ?双花の感動の再会は??…まだまだここから、ですよ?
このSSで目指すは親子愛、夫婦愛、主従愛、双花愛!!迷子愛されSSです!元将軍と違って「君は本当に愛されている」子ですからね(笑)
07/10/23

戻る/続く