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    立教184年(令和3年)8月18日発行 第318号
    祭典講話「おつとめ」の大切さ(要旨)

祭典講話「おつとめ」の大切さ(要旨)
静岡大教会長 松浦一郎
令和3年5月18日

 本年は、新型コロナウイルスの感染拡大により、不自由な生活を強いられておりますが、如何お過ごしでしょうか。
 不自由な暮らしに追い打ちをかけて、梅雨の大雨による甚大な被害や、八月は猛暑が続き、これからも、地球温暖化による大雨やゲリラ豪雨、さらには巨大台風が心配されます。それに加えて、いつ起きるかわからない巨大地震の事も忘れることはできないでしょう。
 我々お道の者は、このように起きてきたことにしっかり向き合い、この大節から平穏な暮らしが御守護頂けるよう、心の成人に努めなければならないでしょう。
 そこで、このような事に対して、親神様の思召を思案させて頂きたいと思います。
おふでさきには、
  たん/\となに事にてもこのよふわ
  神のからだやしやんしてみよ   (3号 40)
  にんけんハみな/\神のかしものや
  なんとをもふてつこているやら  (3号 41)
 この世のありとあらゆるものは、親神様神のお体であり、御守護によって、その生成を遂げています。それにも関わらず、天理を無視し、その理に反する行いとして、豊かさを求め、自然破壊を繰り返した結果、自然災害という形で現れてくるのです。
 地球温暖化による、この大雨大風などの災害には、神様はおふでさきには、次ように仰せられています。
  かみなりもぢしんをふかぜ水つきも
  これわ月日のざねんりいふく   (8号 58)
 雷や、地震、大風、水つき、すなわち土砂災害は、これは月日親神様の残念な思いと、立腹、すなわち、腹立ちであると仰せられています。
 親神様の思召がわからず、我が身勝手な心使いをしてしまう人間ではありますので、おふでさきでは、
  にんけんのわが子をもうもをなぢ事
  こわきあふなきみちをあんぢる  (7号 9)
と仰せになり、我が子を思う心から将来の事を心配をしておられるのであります。
 今世界中では、自然災害に加えて、コロナという新たな病気の恐怖に不安を感じております。自ら撒いた悪い種が、生命の危機を引き起こしてしまったわけではありますが、親神様は、我子である人間が道に迷わぬよう、お導き下さっている親心に報いるためにも、心を入れ替えて通らせて頂かなければならないでしょう。
コロナに関して思案させて頂くと、みかぐら歌の五下りでは、
 二ツ ふしぎなたすけはこのところ
      をびやほうそのゆるしだす
と仰せれているように、昔は、医者 薬では、なかなかたすかる事が難しかったため、多くの人達が亡くなっていた事を、をびや許しから始まり、疱瘡、つまり天然痘の御守護を頂けるようになったわけであります。続いて、
 三ツ みずとかみとはおなじこと
      こころのよごれをあらいきる
と仰せられて、心の汚れこそが、身上事情の元であり、心を入れ替える努力をして、親神様に掃除して頂けるのです。
 さらにおふでさきでは、
  このたすけいかなる事とをもうかな
  ほふそせんよのつとめをしヘる  (7号 98)
  このみちをはやくをしヘるこのつとめ
  せかい一れつ心すまする     (7号 99)
と仰せられて、をびや、ほうそも、おつとめによってたすかる事を教えて頂いており、世界中の人間の心を澄みきらせ、身上事情で苦しむ我子をたすけたいのであります。
 今世界中の人が不安と恐怖に苦しみ悩んでおりますが、おふでさきでは、
  このさきハせかいぢううハ一れつに
  よろづたがいにたすけするなら  (12号 93)
  月日にもその心をばうけとりて
  どんなたすけもするとをもゑよ  (12号 94)
  このたすけどふゆう事にをもうかな
  ほふそせんよにたしかうけやう  (12号 95)
と仰せられて、ほうそを話の台として、たすける心を求められ、互いにたすけあう事で、身上事情がたすかるとも仰せられています。
 また、昔流行した、コレラについても、同様に諭されています。おふでさきでは、
  せかいにハこれらとゆうているけれど
  月日さんねんしらす事なり    (14号 22)
  せかいぢうどこの人でもをなぢ事
  いつむばかりの心なれとも    (14号 23)
  これからハ心しいかりいれかへて
  よふきづくめの心なるよふ    (14号 24)
と仰せられ、コレラは親神様の残念な思いと、陽気な心になる事を求められています。
  とのよふなせつない事がありてもな
  やまいでわないをやのさねんや  (14号 77)
  はや/\と心そろをてしいかりと
  つとめするならせかいをさまる  (14号 92)
と言われ、全ての不安や苦しみは、親神様の残念な思いであり、一手一つの心でおつとめをすれば、世界が治まる事を仰せられています。
 このたびの事情は、世の中が生活が豊かになり、不自由だった時を忘れ、我が身勝手な行いをしてきた結果であります。
 明治30年12月11日のおさしづでは、

神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。

と仰せられていますが、まだ豊かでなかった時代に、すでに親神様は、今の世の中で問題となっている、我が身勝手な通り方について、戒められているのです。
 また、コロナによって、働きたくても、働けない方や、収入が落ちて、生活が苦しくなっている方がおられます。
 神様は、働く事について、逸話編の197番の『働く手は』では、

「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、側楽・ハタラク)と言うのや。」

と仰せられており、豊かさに溺れて、我さえよくばという風潮から抜け出し、親神様の御守護で、体を使わせて頂き、働く事がてきる事を忘れてはならないのです。
 今は、昔に比べれば、とても豊かな時代でありますので、不自由と言っても、昔の比ではありません。先人先輩は、不自由な中でも、生かされている感謝と喜びをもって、どんな中でも、喜び勇んで通られました。
 今一度、おつとめを一手一つに陽気に勤めるよう心掛け、感謝と慎みとたすけあいの心を持って、身近な人達にも、親神様の思いを伝えさせて頂きましょう。