大教会春季大祭
本部員井筒梅夫先生祭典講話要旨
平成30年1月18日
今回のお話では、まずかんろだいの節についてお話がありました。倒れた時、六角形の十三台の檜を繋ぐほぞが壊れ、建て直すことができなかった事に対し、真柱様より、繋ぎと、一手一つに欠けており、人材が思うように育っていないのではないか。少年会、青年会、婦人会などが連携し、一手一つになることが大事であるとお話がありました。
また、今行われている教会長子弟育成プロジェクト、後継者講習会にも、力を入れなければならないと言われました。
人材育成という事は、何も今始まったことではなく、教祖は五十年の間、常に人をたすけ、さらにはお道の素晴らしさを伝え広められる人にお育て下さいました。
その道中は、とても常人のまねできるものではなく、おつとめをすれば、教祖は牢獄に入れられ、時には=10℃にもなる日もあったとのことです。そのような中でも、絶えずおつとめを急き込まれたわけですが、人々は、教祖のお体を気遣い、おつとめができなかったわけであります。
しかしながら、教祖のおつとめの急き込みがいよいよ激しくなり、明治20年1月26日に、我が身どうなってもという覚悟でおつとめをしたのでありますが、不思議にも取り締まりには合わず、十二下りつとめることができたのであります。
ところが、その直後、教祖は現身をお隠しになり、扉を開いて世界だすけに出られたのであり、現身があっては、教祖のお体を気遣い、おつとめができなかった事が、これからはできるようにして下さったということであります。
当時の人達にとって、教祖こそが神様であり、とても納得のできることではなかったわけですが、その代り、教祖を見る事ができなくても、おさづけの効能はどこにいても現れ、教祖は存命でおられるのだという、人々が納得できるものとなりました。
その結果、道は遠方にも広まり、その後幾多の艱難苦労を先人先輩方が通り抜け、現在の教会や我々があるのです。
明治20年直後は、教祖が現身をお隠しになられた混乱から、かぐらづとめが地方でも勤められたこともありました。山名大教会もその一つですが、他にもかぐらづとめをしたいところが増えてしまったため、本来の意義が失われてしまうことから、差し止められることになったのです。かぐらづとめは、人間の創造の理をかたどったおつとめであり、ぢばのみ許されるということであります。
井筒先生自身のお話では、親神様は、おつとめによって陽気ぐらし世界を建設するということをお示し下されておりますが、井筒先生の芦津大教会でも不思議な事がありました。
今から55年前に、大阪市東住吉区今川に移転した時、まだそこは田舎であったため、神殿をおぢばの方向に向けて建てることができたわけですが、その後次々と家が建ち、不思議な事に、皆さんの家も、おぢばの方向に建てられているのです。
ただし、おつとめについては、家も密集しているわけでもないのに、うるさいと言ってくる人はあるとのこです。教祖の時代を思えば、自由におつとめができるようになったわけでありますが、先人先輩が、なかなかおつとができなかった事を忘れないようにするためであると思わせて頂いているとのことです。
また、真柱後継者の大亮様が、親孝行の実践を言われておりますが、教祖が人間の母親なる魂において、御高齢にもかかわらず、可愛い我が子として、人々をお導き下された御苦労に対し悟らせていただくと、親への御恩報じとして、自分の親にも親孝行をしなければと考え、忙しくて何もできないが、せめて自分がどこへ行くかだけは伝え、安心してもらいたいと思って実行しているとのことです。
最後に、後継者講習会も残り3分の1(1月18日において)となり、飛び入りも大歓迎であるので、断られた方でも諦めず、一生懸命声を掛け、一人でも多くの方が受講できるよう努めさせていただきましょうとお話がありました。