かんろだい据替
かんろだいは、檜で作られた大小13個の六角形の木材が、13段積み上げられたものであり、高さは約2m50cmに及ぶものであります。また、かんろだいは、真っ直ぐ立つように、とても精巧に作られており、真ん中には、ほぞがあり、それぞれを繋いでいます。 今回倒された時、とても強い力で倒されたため、真ん中のほぞが折れてしまい、もう一度積み直すことができかなかったため、新たに作り直し、据替ることになったのであります。
かんろだいの檜は、国産で樹齢約400年物が必要であり、本部で檜は植林していますが、まだ400年経った木がないため、他で探すしかありません。現実には、なかなか探し出すことが難しく、たとえ見つかっても山の神として大切に保存されていることが多く、献木していただけるかどうかわからないものであります。
このような中、幸いにして、一番下の土台となる大きな2段が使えた事と、前回据替た時の檜の残りを削ってみたところ、無事全て節、ヒビ、かけもなく完成し、今回据替が可能となったのであります。
教祖130年祭のための据替では、私も本部より御簾掛としてお手伝致しましたが、今回も、前回と同様、御御簾掛としてお手伝い致しました。
前回替えたばかりであり、またもや据替るとは夢にも思いませんでしたが、人間思案を捨てて、とにかく無事かんろだいが据替できるよう、しっかり勤めさせて頂こうと思いました。
8月24日は、猛暑の中、かんろだいすえかえ之儀が執り行われました。
午後2時に集合し、事前説明と打ち合わせ並びに、御御簾の上げ下ろしの確認をしました。午後5時半からは、時間を早めて夕勤めを行い、午後6時過ぎより、神床に戸帳などの物品搬入を行い、6時半より、奏楽のもと、祭儀式による、真柱様による、親神様へのかんろだい据替のための言上を申し上げられました。
この後、いよいよ据替となり、真柱様、大亮様、据替の奉仕者、大工が、かんろだい前の真座に入られ、戸帳を閉め、御簾が下され、据替作業が行われました。
作業は、奏楽のもと執り行われ、神殿内は消灯され、かんろだいのところだけ点灯され、玉砂利を踏む音や、木槌の音が神殿内に響き渡りました。
この間、御簾と戸帳で閉め切り、神床の中に密集して作業していますので、大変な蒸暑さでありましたが、真柱様は、無事を祈り玉砂利の上でお祈りされていました。我々も、次の動きまで気を抜かず、待機しながら無事をお祈りしておりました。
約1時間ほどであったと思いますが、無事かんろだいが据えられた合図と共に、神殿内が点灯され、御簾を巻き上げさせていただき、戸帳が撤去され、かんろだいが神殿内に現れました。
この後、84台の献饌物を奏楽のもと伝具し、真柱様による言上礼拝が行われ、かぐらづとめ、並びに、十二下りのてをどりが勤められました。
おつとめ後、真柱様と共に三殿参拝し、本部会議所において、真柱様よりお言葉を頂戴し、午後11時頃、全て滞りなく終了しました。
さすがに猛暑の中で、水分をとらずにおりましたので、かなり体にダメージはありましたが、真柱様始め、御用にかかわる皆様も同様であり、無事かんろだいを据替できた事は、とても有難く思います。
約17年前に、月次祭中にかんろだいが倒されるという事がありましたが、またも倒されました。倒した人をどうこうというよりも、倒されて困るのは、我々真面目に信仰している者です。
今回は、前回と違い、ほぞが壊れ、仮でも建てられなくなりました。近年では、かんろだいが建っていない事はありえませんが、明治15年には、神様の思いに人間が思い違いをしたことから、かんろだいの石普請が取り止めになりました。かんろだいさえ建ててしまえば、御守護はもっといただけると勘違いしたためです。本当の神様の思いは、陽気ぐらしの世の中になった時、石のかんろだいを建てるように思召し下さいました。
以後、かんろだいは建てられずにきましたが、人々の心が澄み切り、陽気ぐらしの世の中になるのは、かなり先の話であり、二代真柱様の親心によって、せめて、本物の石ではなく、あくまでも雛形として、木製のかんろだいを据えて、私達に夢と希望を見させて下さったのです。
かんろだいが建っているのは、当たり前ではありません。あくまでも、雛形なのです。しかし、雛形ですら、今回の節を見せられたという事は、いかに思案しなければならないことは理解できます。
今の世の中は、とても豊かになった反面、我さえ良くば、今さえ良くばという自分勝手な心になりがちであります。世界を見ましても、とても平和に暮らせる未来が感じられません。
我々天理教の者は、何が真実で、何が世の中を変えていけるかわかっているはずです。
神様は、本当の陽気ぐらしを目指すために、大切なかんろだいを倒され、我々に奮起を促されています。
只今は人材育成が叫ばれておりますが、明治15年以降に、教祖によって大勢の方がたすかり、またお育ていただき、その後、その先人達にたすけられ、育てられた人々によって、お道は爆発的に伸びました。この度も、当時と同じように努力すれば、きっと御守護をいただき、人材も育ち、これからお道も伸びてくるでしょう。
たすける旬、たすかる旬、人材が育つ旬、これから勇んで通らせて頂きましょう。
静岡大教会長 松浦一郎