詰所開所20周年執行
平成23年6月25日
午後4時には、神殿東礼拝場に100人余りの教会長、よふぼく、信者一同が参集し、大教会長様を芯に、鎌田静夫大教会役員の司会進行のもと、お礼づとめが行なわれた。暑さにもかかわらず、皆一手一つにとても勇んだ座りづとめであった。
この後、引続き東回廊を教祖殿まで、皆で回廊拭きひのきしんを行った。大人から子供まで、元気に汗を流させていただいた。
詰所に戻り、午後5時から4階講堂において、大教会長様のお礼の挨拶後、前会長様の記念講話が行なわれた。
前会長様は、詰所の成り立ちと移転建築の経緯と、詰所ふしんにおいて不思議な御守護をお見せ頂いた事をお話された。
20年前に、今の豊井に移転しなければならなくなった経緯については、元の別所の地を、本部としていろいろな施設を建てたいという意向からであった。これについては、移転地を探すにあたり、大変苦労されたわけだが、その中に、不思議にも今の場所を授かる事ができた喜びをお話下さった。
人間思案では、あの場所が良い、この場所が良いと探しても、実際にはなかなか手に入るものではなく、悪い業者に無理やり高値で買うよう脅される事もあったという。そんな折、大教会隣の家が火災となり、人が亡くなるという大惨事にもかかわらず、類焼を免れた事から、我が身の徳にもない、良い場所がほしいという心を反省させていただき、どんな場所でも有難いと思えるようになった時、不思議にも今の場所を授かったという。
今の場所は、環境的に恵まれており、山と川のほとりに位置し、日本最古の道といわれる、山之辺の道が通り、ホタルやアオガエルなどの国定保護動物が生息する場所である。そのため、夏でも風通しも良く比較的涼しい。また、詰所には、快適に宿泊できるように、食堂の景観や、お風呂の造りや、部屋の風通しにも配慮させていただいている。
前会長様も、今回思い出の全てをお話するには、時間が足りなかったご様子であったが、最後に、皆さんがおぢば帰りが楽しみになるような詰所であってほしい事をお話され、講話終了となった。
この後、帰参者全員で会食となり、和やかに皆それぞれ思い出を語り合った。
静岡詰所開所20周年参加者数
直轄13、庵原2、江尻2、三保松原5、東豊田2、濱園1、
有渡7、蒲原1、駿府16、静安1、駿府浜1、藁科3、
安倍3、静安城4、安佐岡1、静陽2、静陵2、南静陵2、
静真都4、清閑町2、増太2、大江戸ノ町1、静宏14、
静岳1、瀬名川1、静葵2、静福14 合計109
有渡7、蒲原1、駿府16、静安1、駿府浜1、藁科3、
安倍3、静安城4、安佐岡1、静陽2、静陵2、南静陵2、
静真都4、清閑町2、増太2、大江戸ノ町1、静宏14、
静岳1、瀬名川1、静葵2、静福14 合計109
- 昭和38年1月26日
- 名京大教会より分離昇級により、天理市別所180番地、名京詰所3号館に併遇開設する
- 昭和41年8月26日
- 山辺小学校が移転する為、名京詰所移転となり、静岡詰所も移転する事になり、一時、天理市布留1番地、本部第1母屋に仮移転事務取扱いを行う
- 昭和42年5月
- 移転工事完了に伴い、天理市別所150番地に移転、静岡、伊那、白羽の3大教会と共に、3号館を3等分して使用
その後伊那大教会は、元天理警察署の建物を改造し移転した為、静岡と白羽が2等分して使用 - 昭和43年9月20日 2階にトイレを増築
- 昭和44年5月5日
- 天理高校北寮の木造2階建1棟を本部より戴き、第13母屋として改築して使用
- 昭和45年3月1日 浴場を増築
- 昭和49年10月28日
- 教祖90年祭に向け、厨房、食堂、玄関を増改築
- 昭和61年6月18日
- 静岡詰所の敷地を、本部施設に使用したいとの事により、移転普請の打出しをする
- 昭和62年2月26日
- 母屋移転地として、天理市豊井町221番地の1に決まる
- 昭和63年4月 母屋開発申請おりる
- 昭和63年6月16日
- 母屋造成工事は、東川工務店に決まる
- 昭和63年7月30日 造成工事開始
- 平成元年8月
- 母屋設計図面完成(浪速設計) 総施工面積765坪
- 平成2年5月25日 母屋起工式(浅沼組)
- 平成2年8月14日 建築確認申請おりる
- 平成3年1月28日 上棟式
- 平成3年7月31日 浅沼組より母屋引渡される
- 平成3年8月25日
- 母屋竣工式、三代真柱様お入込みのもとテープカットされる