世話人 諸井慶一郎先生
神殿講話 要旨
(3月18日)
お道は、たすかっていくための道であり、たすけ道である。その道に使うから、道具であり、そのもっとも大きな苦労する大苦が大工である、といわれた。そこで、みかぐらうたの十二下りでは、四つの棟梁が出てくるが、これは「あしきをはろうて たすけたまへ てんりわうのみこと」と意味合いが同じであるという。
まず、あらき棟梁は、枝打ちをして立派な木に育てる役目がある。即ち「あしきをはろうて」であり、八つのほこりの掃除、前生のいんねん果たしである。
こざいく棟梁は、木材の二次加工であり、のみ、きり、のこぎりを使い、更には大事なほぞを作る。即ち「たすけたまへ」であり、十全の守護により生かされている事への、御願と御礼である。
たてまえ棟梁は、設計図を作り、立てはめていく。即ち「てんりわうのみこと」であり、人の御用立て、天理に叶うことである。
かんな棟梁は、造作工事であり、見栄えを良くし、材料が生きるようにする。即ち「みこと」であり、徳を頂戴するように、身の伏せ込み、心の伏せ込みであり、ぢばへの伏せ込み、報恩感謝のひのきしんである。
大工の棟梁によって、切って、引き出す。つまり、元始まりのお話のように、泥海の中から、引き出し、たすけて行く。即ち「人を良きように引き出し、たすけて行く道である」とお話下された。