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    立教173年(平成22年)2月18日発行 第251号
    諸井慶一郎先生 春季大祭講話

諸井慶一郎先生 春季大祭講話
平成22年1月18日

春季大祭講話をされる諸井慶一郎先生(平成22年1月18日)
春季大祭講話をされる諸井慶一郎先生
(平成22年1月18日)
 新年を迎えさせて頂き、本年も一手一つに元気に通らせて頂きたい。元気に通らせて頂くには、証拠を見せて頂く事が必要である。それでは、証拠を見せて頂くには、どうしたらよいか考えてみたい。
 教祖が、黒い着物から赤い着物にお召し変えになられた時に、おふでさきにあるように、

  いままではみすのうじらにいたるから
       なによのこともみえてなけねど

  このたびはあかいところにでたるから
       どのよなこともすぐにみえるで

と仰せ下さって、これからは証拠が見えてくるという意味の事を言われた。それから確かに証拠を見せていただけるようになり、お道は急激に伸びて行った。
 赤着から作るお守りは、証拠まもりとも言われ、神と書かれてあり、悪難除けである。悪難とは、火難、水難、風難、天難、病難がある。まずは、お守りを身に付けて、証拠を見せて頂けるように、赤い心で通る事が大事である。
 さて、教祖がご在生当時、証拠を見せて頂けるように、みかぐらうたを教えて下さったわけであり、特に、一下りは、一年を通しての米作りに例えてお作り下されている。
 「一ッ正月肥のさづけは」が一月、「二ににっこり」が二月、「三にさんざい」が三月と続き、「十どとりめがさだまりた」は十月となる。十一月は「なむてんりおうのみこと」、十二月も「なむてんりおうのみこと」である。
 また、一月から十二月を、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走というが、これには意味がある。  睦月は、睦は元と同じ意味であり、親という意味でもある。稲穂の元、稲玉がよみがえる季節である。
 如月は、「き」が象牙の縞目の紋、または力の事であり、「さ」が芽生え、湧き立つ事、勇む事である。「さぁ、さぁ」と力を出す時に声を掛ける。「きさ」で、あ「ら」田を起す意。
 弥生は、「いや」が生え、「おい」が出すの意。苗代開きの月。また、雑草が生えてくる為、これとの戦いも始まる。
 卯月は、うづく、土を打つ月、田地起し、耕す意。
 皐月は、「さ」の一番の月。水が入り、一番育つ。「さ」苗とは、勢いのある苗。
 水無月は、雨が降りすぎて、空に水が無くなるからというが、本当は、水の月でさらに稲が育つ月。  文月は、七夕に短冊に願いを込めて書くからというが、本当は、「穂」を「ほふむ」「ふふむ」「ふむ」つまり「ふみ」の月という意。
 葉月は、葉が出揃って、稲穂が出来る月。葉ではなく穂の月。
 長月は、夜が長いから長月というが、本当は、稲に実が入って実り、来年の一番良い種を抜き取り、一安心できるから、心がなごみ、気ながになる月という意。
 神無月は、神様が出雲に行ってしまっていないからというが、本当は、収穫、脱穀して、田の神様に感謝して、水田から山に帰られ一休みして頂くという意。
 霜月は、新藁でしめ縄を作り、新米を戴く「しめ」の月の意。
 師走は、坊さんが走り回るからではなく、「し」は風の意であり、風が走る、吹き渡る意。
 そして、睦月「むつき」を待つ季「まつき」というように、また繰り返しとなる。
 このように、当時は神様の働きが生活に密着していたわけであり、十柱の神様、いわゆる十全の守護の説き分けも容易に理解されていたため、御守護も常に身に感じていた。
 現在はどうかというと、教祖の高弟である高井尚吉先生のお話では、「昔はみんな人間の心は良かったから神は働いたが、今は悪い人間も増えたから働かない。昔は人の見えない所で陰徳を積んだが、今はずるい人が増えた。そこで、神はざんねん、りっぷくから、天災地変を起こす。」とある。心して通らせていただかなければならない。
 さて、おつとめには、栄えでのつとめ、雨あずけのつとめ、虫払いのつとめ、実りのつとめなどがあるが、やはり一番大切なのは、一下りの、一ッ「正月」の「こえのさづけ」である。珍しい証拠を見せてもらえる「さづけ」を、二(二月)に「にっこり」もらって安心して、農作業が始まるのである。
 三(三月)に「さんざい心を定め」とは、草取りの心定めである。草はどんどん生えてくる事に例えて、心のあしき(悪いんねん)をはらう、あしきはらいの心定めをする。
 泥の入った器の水は、時間が経てば上澄みは綺麗になっても、揺らすとまた濁る。心の汚れも、何もなければ澄んでいるが、一旦身上事情になれば、心が揺さぶられ次々と悪しきが出て来てしまう。いんねんの根があるから、簡単に悪しきははらえない。
 雑草が次々と生えてくると大変であるように、次々といんねんが出て、不足が出たら、あしきと戦わなければならないのである。
 そうすれば、四ッ(四月)「よのなか」米が収穫できて幸せになる。五ッ(五月)「りをふく」とは勇み出る姿。六ッ(六月)「むしょうにでけまわす」とは障りなくできてくる。七ッ(七月)「なにかにつくりとるなら」とは花が咲いて受粉したら安心。八ッ(八月)「やまとはほうねんや」とは収穫が確定した。九ッ(九月)「ここまでつてこい」とは、にっこり、さんざいとついて来い。十ど(十月)「とりめがさだまりた」とは収穫(御守護)と来年の種も取れ安心である。十一、十二月は「なむてんりおうのみこと」である。
 おふでさきに、

  こえやとてなにがきくとはおもうなよ
       こころのまことしんじつがきく

とあるように、いんねんはたしも、常々草取りを「にっこり」やるように、しんどい事も「にっこり」やる心が誠真実であり「こやし」となる。時代が変わっても、みかぐら歌から神様のお働きを悟る事は大切であり、それぞれの職業に尽くしていく姿勢が大事である。
 以上、一年を通して証拠を見せていただけるよう勤めさせて頂きたい。