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    立教171年(平成20年)9月18日発行 第235号
    7月18日祭典講話(要旨)

7月18日祭典講話(要旨)
世話人 諸井慶一郎先生

平成20年7月18日

 信仰させて頂くと、神の働きを体験し、目に見えない神の実在を感じさせて頂くことができる。おさづけを取り次ぐ事によって、不思議なものを見せて頂ける。一人でも多くの人に取り次がせて頂くことによって、新たな道が始まる。
 山名では、月次祭の後、おさづけの取次ぎをしている。結果を求めているわけではないが、何か与えて頂けると信じている。静岡も新会長になって、新たな試みとして、単純、素朴な形で、いろいろと取り組んで行く事が大事である。と最初に話をされた後、今回は受ける精神につてのお話があった。
 陽気な心には、楽しみと喜びがある。楽しみの語源には、足る、十足り、足りる。手と手十本指で十足り、足りている、満足の姿。楽しみのみは、先を見る、身に受けるのみ。喜びは、今受けた楽し事に身が耐え兼ねて、身がゆらいで、よろぐと喜びとなり、ありがたいとなる。
 先の楽しみ、喜びを受け取るには、お願いをし、お礼を言う心、つまりたんのうさせてもらう事である。
 おさしづには、受ける精神について、

「前生いんねん実と思えば実になる。嘘と思えば何でもない。かしもの、かりもの何ぼ聞いても、聞く処の誠一つの処言うておく。一つ身の処、一つ印があれば、これを証拠としてたんのうせい。たんのうという心を神が受け取るのやで。」

と諭され、受ける心がなければ、証拠を見ても何もならないのであり、とにかく受ける心を作らなければならない。
 もう一つのおさしづでは、16歳の妹のおたすけにおいて、

「これほど信心するのに、まだようならんと思う心が違う。早く心取り直せ。心入れ替え三日の日を切りてためせ。しっかり定めばしっかり見える。早く聞いて踏み留めよ。」

と諭されている。たすけるためには、心の汚れをはらいお願いをする。しっかり心定めをすれば神のたすけを受けられる。そして、しっかり礼をする、返済をしなければならない。
 受ける精神の大事さについて、山名部内で、名古屋に22坪の借地に16坪の神殿しかない教会の事例がある。
 八年前、地主から立退きの話があり、困った会長から相談があったが、もう少しがんばって、土地を譲ってもらうよう諭すと、大教会長さんが手伝ってもらえるならという事で承知した。そこで山名の顧問弁護士に相談すると、立ち退かなくても大丈夫という返事であった。しかし、借りている以上、地主には誠意をもって地代は直接支払うようにさせた。それから一年二、三ヶ月後、この会長が自動車事故にあい、自分のワゴン車がひっくり返り、相手は亡くなる程の大事故の中、無傷で助かった。さらに、この半年後、地主がもう38坪加えて合計60坪を2400万円で買ってくれるなら譲るという話があり、大教会長さんには800万貸してほしいとお願いがあった。残りは、熱心な信者さんが1000万、看護士の娘が結婚資金の600万御供してもらえるとの事で承知し、見事土地を手に入れる事ができたのである。
 困難な状況の中でも、教会を守らせて頂く、親の思いを素直に受けるという、何事も受ける精神があったから命も助かり、土地もお与え頂けたのである。
 また、山名初代諸井国三郎の妻その(32歳)の身上願いのおさしづにおいて、

「何でも踏ん張る、たすけねばならん。(中略)たすけねばならん、何でもふんばる。」

と、二度同じ事を言われている。何でも踏ん張るとは、たんのうの心のことであり、どんな事でもありがたく受け取る事である。このお諭しを胸に、国三郎と17歳年下であったが、不思議にも国三郎と同じ満76歳まで生かさせて頂いている。
 このように、あらゆる意味において、お道では受ける精神が大切であり、御守護が頂けるのである。