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40  vol.4 新・北限の茶
2010.11.04 Thu.
 東北地方の山あいの或る温泉宿に泊まった折、夕食の膳に山桃が添えられていました。思わず「あれ山桃だ」と驚くと仲居さんに「良くご存知ですね」とほめられました。勿論蜜煮の山桃でしたが、みちのくの山峡の地で出会うとは思いがけぬ事でした。
 翌朝宿の女将に訊きますと、伊豆半島東海岸の宿で十年程修行されていた由「それで山桃が」と納得しました。
 山桃の北限は静岡県伊豆半島伊東市と静岡市を結ぶ延長が北限とされています。山桃は梅雨時、さくらんぼ位の大きさの皮の無い実をみのらせます。摘み取って一日で腐敗してしまうので関東以北の人の口には生の山桃は入らないとされています。
 それでは「お茶の木」の北限と云いますと、中国の陸羽(700〜785)の茶経に「茶は南方の嘉木なり」とある様に、中国雲南省を原産地とする亜熱帯植物の茶は、寒冷地に於ける栽培は困難視され、日本に於ける経済的栽培地としては太平洋側では茨城県北部の奥久慈茶、日本海側では新潟県村上市の村上茶が北限の茶とされています。
 昨年岩手県ご在住のお客様より北限茶について貴重なお便りを丁戴しました。要約しますと、江戸時代南部地方(岩手県)では冬季の野菜不足をカバーし、栄養補給のため(今のビタミンC)南部藩をあげて茶の栽培に取り組み、相当な成果を上げたそうです。盛岡市には試験栽培された跡が茶畑の地名として残り、岩手県南部海岸地方では今も茶の栽培が続いているとの事です。
 同時にお送り戴いた新聞には、同年六月四日の北限の茶摘風景の写真が掲載され、同日約100sの生葉(製茶にして約20s)が摘採されたとあります。江戸時代の南部藩の挑戦は今も連綿と続いているのです。
 これが本当の北限の茶ではないでしょうか。


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