その後、夜になる度、燐は血を求めて雪男の元へ来るようになった。
尻尾を刺激することで我に返らせることができたのは初めのうちだけで、両手両脚を押さえつけられてしまえばなす術が無い。
寝入りばなは迷うように部屋をうろうろしていたり、自分のベッドにもぐり込んでいたりすることもあるが、結局我慢ができないのか、気付くと首筋に噛み付かれているのが常だった。
寝る部屋を変えてみても、どこからか嗅ぎつけてやって来る。
鍵が壊されていたこともあった。
朝になって叱ると毎回反省はするようで、神妙な顔で謝るのだが、どうにも夜になると歯止めが効かなくなるらしい。
しかし、自分以外がその欲望の矛先になっている様子は無く、それに関してはほっとしていた。
ならば、ただ僕が耐えれば良い。そう思う。
その日は夜遅くまで任務が長引き、部屋に帰ったときに燐はもう熟睡しているようだった。
最近、普段睡眠時間の長い兄にはめずらしく夜起きていることが多かったから、久しぶりに早く眠れて良かっただろうと思い、手早く着替えてから隣にある自分のベッドにもぐり込んだ。
任務で疲れてもいたし、このところずっと貧血気味で調子が悪かったからゆっくり休みたかったのだ。
壁側を向いて丸くなる。
うとうとし始めたとき、背後で急に闇が膨れ上がり、青白い炎の色が灯るのを感じた。
(・・・兄さん?)
振り返ると既にサタンの青い炎をまとった燐がベッドの上の枠を掴んで雪男を覗き込んでいた。
「兄さん」
呼びかけてみるが返事がない。
グルルルと獣じみたうなり声がして、恐怖で背筋が凍りついた。
とっさに逃げようとしたが両肩を掴まれベッドに押し倒される。
「あっ」
首に噛み付かれるのはいつものことだが、今日は普段に比べ何倍も力が強く荒々しかった。
吸われる血の量も半端ない。
動悸が激しくなり、目が回る。
視界が段々暗くなるのを感じて、僕は焦った。
(まずい。このままでは・・・)
燐が一度身体を起こし、口の周りに付いた血を爬虫類じみた尖った舌で舌舐めずりした。
ふと窓に視線を向けると、外は月明かりが煌々として青白く輝いていた。
(そうか、今日は満月・・・)
燐は再び雪男の首元に顔を埋め傷からどくどくと流れ出る血をゆっくり舐め始めた。
ぴちゃぴちゃと音がする。
(兄さん・・・)
視界はどんどん暗くなり、やがて闇に埋め尽くされた。
兄が、泣いていた。
目の前には小さな小塚。
死んでしまったツバメの仔をさっき埋めたばかりだった。
「しょうがないよ。知らなかったんだもの」
なぐめようと声をかけるが、兄は首を振り、腕で涙をぬぐった。
その後からまた涙がこぼれる。
「知らなかったじゃすまないだろ。死んじゃったんだから、もう生き返らないんだそ」
巣立ったばかりのツバメの仔が地面に落ちてばたばたもがいているのを見て、巣から落ちたのだろうと思い拾い上げたのは燐だった。
はしごを使い何とか巣に戻したものの、人の匂いが付いた仔を親鳥は世話をしようとしなかった。
何度となく巣から落とされ、あきらめて餌付けしたり保温したり燐と雪男で世話をしようと試みたものの、その努力空しく死んでしまったのだ。
「おれの・・・おれのせいだ」
大人たちから後であの雛は巣立ち直後だったのだろう、そのまま放っておけば良かったのだと聞かされ、拾ってしまったことを燐は後悔しているのだった。
「泣かないで、兄さん」
優しい兄の涙に胸が苦しくなって、雪男はそっと兄の額に自分の額を寄せた。
ふと、眼を開けると、兄が泣きながら首の傷を止血しようと必死で布で押さえているのが見えた。
「ゆきおっ」
覚醒したのに気付き、燐が声を上げた。
「良かった、雪男。良かった・・・」
ほっとしたのか、燐の表情が緩んだ。
涙が瞳からぼろぼろとこぼれ落ちる。
「雪男、ごめん。俺・・・雪男、死んじゃったかと思って、もうどうしようって・・・」
(兄さん・・・)
声をかけようとしたが、声が出ない。
雪男が唇を動かすのを見て燐が言った。
「傷が開くからしゃべるな。お前はゆっくり休んでろ」
しばし、静かに見つめあう。
燐は片腕で涙を拭くと愛おしげに雪男の髪を撫で始めた。
潤んだ瞳からはまだ時折涙がこぼれる。
事態が悪化する前にフェレス卿に相談すべきだった。
後悔の念がよぎる。
そもそも兄の様子を報告するのが義務であるのに、今の状態はそれを怠った自分に対する罰であるかのように雪男には思われた。
燐は悪くない。
非があるとしたら自分だ。
だから、泣かないで欲しい、と思った。
頭を撫でられる感触が気持ち良い。
うつらうつらとしながらそれに気を取られるうちに、雪男はまた眠りに付いた。