静鉄電車 昭和50年頃の風景
 その3(狐ヶ崎ヤングランド前〜運動場前)

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狐ヶ崎ヤングランド前〜御門台を進む300型(302編成)急行電車
 この当時、後ろに見える有度第一小学校には明治時代の古い木造校舎がまだ残っていました。 御門台(みかどだい)
 御門台駅は今と同じ島式ホームの上に改札口のある商店街の中の手狭な駅でした。
 駅の近くに公民館や小学校があり、先生に引率された子供達が電車に乗り込む賑やかな光景も今と変わりありませんでした。
御門台〜草薙を行く100型(105+106編成) 御門台〜草薙を行く300型(303編成)急行電車
草薙(くさなぎ)

 草薙駅の周りは区画整理ですっかり変貌しました。
 この頃はまだ、手狭な商店街のすぐ裏手に茶畑が残り、駅も今の御門台と同じような島式ホームの上に窓口や改札のある構造でした。
御門台〜草薙を行く300型急行電車
 当時は住宅地の間に、茶畑や田んぼがまだ残っていました。
草薙〜運動場前を行く300型(301編成)急行電車
 ○○神社の前あたりです。今では住宅の立ち並ぶこのあたりも、当時はごらんの通り木に覆われていました。 草薙〜運動場前にて
 草薙〜運動場前間も区画整理で大きく変わった箇所です。
 右の写真は、ちょうど現在「県立美術館前」駅があるあたりです。
 遠くの東名高速道路が丸見えするくらい、当時は建物がありませんでした。
草薙〜運動場前 間を行く300型(301編成)急行電車
草薙〜運動場前 間を行く300型(302編成)急行電車
 東名高速道路をくぐり、印刷局前に出てきたあたりです。
 300型はステンレスカーの増備に併せ、塗装を順次銀色に変更していました。 草薙〜運動場前 間を行く100型(103+104編成)
 当時はまだ南幹線はなく、旧道と線路の間はごらんのように田んぼでした。
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