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あのダンディーなカルザイ氏が親分になり、やっとアフガニスタンにも平和が訪れたかと思いました。そこで、
そろそろT55アフガン仕様を作ってもバチは当たらないかなと思い始め、
ネットで各種資料を収集し始めました。
T55の車体についての資料集めも着々とすすみ、今度は戦車に搭乗している人たちについて調べ始めたときのことです。
よく見ると戦車に乗っている人たちの服装はよく似ている、ということに気づきました。
これは各民族ごとに所有している戦車で、部族ごとに行軍しているのだな、と推測しました。
そこで、ついでだから各民族の民族衣装も調べて、
不備がないように(戦車を持っていない勢力の服装を間違えて搭乗兵にしないように)、
しないといけないなと思い立ちました。
アフガニスタンに住む民族を外務省のページでピックアップしました。そして「ハザラ人」と入力したときのことです。
………(絶句)。
とてもアフガン仕様のT55を作るという気にはなれなくなったことだけは書いておきます。
(10月1日)10月に入りました。アフガン仕様のT55は避けようと考えていたのですが、 逆にアフガン仕様のT55で作ったミニジオラマを作ろうと思い立ちました。 そのために、アフガンの女性の衣装の資料集めをしています。
アフガニスタンは多民族国家。民族間の仲はこの20年間で冷め切り、互いに憎しみあっている。 宗教はほとんどイスラム教徒。しかし宗派の違いから差別がある。 イラン・イラク戦争の原因と同じ「スンニー派とシーア派の確執」。 お互いが同数なら「対立」となるが、一方(スンニー派)が多数のため「差別」になる。 結果、少数派のシーア派であるハザラ人という部族は差別されてきた。ハザラ人はモンゴル騎馬民族の血統で、 新聞やニュースで報道される多数派アラブ系の顔とは明らかに違うため、これも差別の理由になる。 ハザラ人はタリバンに虐殺されてきた。それだけではなく今回の紛争中にも、同盟側の他の部族がハザラ人の村を襲い 虐殺をしたという疑惑がある。一方多数派のパシュトゥーン人の中にも、逆にハザラ人に襲われたという訴えをおこしている 人たちがいる。
共産勢力によるクーデター(約30年前)以降、この国は血を流し続けてきている。 「やられたらやり返す」という歴史を断ち切り、平和のための歴史に名を残すのは誰になるのか…。
外務省のサイトはほとんど役に立ちません。八方に笑顔を振り向けないといけないからです。 結果、当たりさわりのない、まるで「もうアフガニスタンに旅行しても大丈夫じゃないの。」 と勘違いしてしまうようなコメントしか載せられていません。実際は現在も、渡航安全度は最悪ランクの「5」です。(02年9月)
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