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アメリカ合衆国は多民族国家です。多民族国家は数多くありますが、最も各民族間の衝突が少ない国と言えるかもしれません。 北アメリカには元々「ネイティブアメリカン」と呼ばれる民族が各部族ごとに暮らしていました。 大航海時代(という名の植民地時代)、北アメリカにやってきたヨーロッパ各国の入植者は、 それぞれ勝手気ままに植民地を広げていきました。 (メキシコの北方進出を含む) その後東部13州のイギリス植民地からアメリカ合衆国が始まりました。
アメリカでは、フェアであることが最大の美徳であり、この観点を民族という枠組みにも当てはめています。 そのことが、完全とは決して言いませんが、各民族間の摩擦を和らげアメリカを一つの国家たらしめているのでしょう。 (サラダボウル論)
1607年イギリス植民開始。オランダやスウェーデンの植民地を吸収し、現アメリカ東海岸部分をほぼ独占。 イギリス植民地(13州)に住む人々(イギリス人入植者)は、重税に反発し、 1776年独立宣言を発表し、本国と戦争状後アメリカが勝利し、1783年パリ条約で 独立承認と領土拡大(カナダ以外の北米イギリス植民地)をなしました。
独立後、フランスやスペインの植民地を買収。 1800年代には、当時メキシコ領だった西部を併合したり戦争を仕掛けて手に入れました(テキサス・カリフォルニア)。 アラスカ買収(ロマノフ朝ロシアから)、ハワイ武力併合(捕鯨基地?)、を経てほぼ現在のアメリカ合衆国の形が整いました。
この項目をこのページに書くべきかどうかは正直大変迷いましたが、他に載せるべきページもなく結果ここに含めることにしました。 現在、捕鯨国として日本は「捕鯨会議」がある度に動物愛護団体や平和団体にブーイングを受けていますが、 これは大きな間違いです。せめて日本人の中から表面だけをかじったエセ動物愛護者が出ないように以下のことを書きます。
日本の明治維新の原因となったのはペリー来航でした。このときのアメリカの目的が、捕鯨のための食料・水の補給基地として
日本の港を開港する要求でした。ここまでは(記載された)歴史的事実です。
このときアメリカの捕鯨目的は、鯨から捕れる油でした。船上で油を絞って他(肉など油以外全て)は船上投棄していました。
その方がたくさん詰めて経済的だからです。つまり、記録として「鯨油」の水揚げ高は残りますが「鯨」の水揚げ高は残りません。
数字マジックです。さらに言うと、アメリカはこの後漁場を大西洋に移します。
何故でしょう。それは、太平洋では「捕れなくなってしまったから」です。
これに対して日本は古くから捕鯨をしてきましたが、鯨は滅びませんでした。
日本の捕鯨は食用の捕鯨でした。この捕鯨量の差は圧倒的なものでした。
僅かな間に太平洋の鯨を激減させた原因は推して知るべしです。
僕はアメリカ人は好きなのですが、「アメリカ人の反捕鯨活動家」と「そのパトロン」だけは
どうしても好きになれません。
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