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1517年マルチン・ルターの宗教改革を火種にして、 ヨーロッパでは新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の対立が全域に広がりました。
1618年から1648年までのドイツの三十年戦争は、内戦ではありましたが宗教を絡んで 諸外国の介入を受け泥沼の長期戦になりました。ドイツの人口は半減(4割減)し、 ドイツ人はこのときから「反外国人」「民族主義」的思想が芽生えたと言われています。 ルターの宗教改革はドイツから始まったため、もちろんドイツでも新旧教の対立は激しいものでした。 (ルター自身は外国人、旧教から追われドイツの領主にかくまわれる。) ルター派と言われる人々は穏健派と言えます。 しかしルターの影響で1541年宗教改革を始めたカルビンを支持する カルビン派と言われる人々が実力行使を含め旧教と激しく対立。その後戦争に発展しました。
30年の戦争に両陣営が疲れ切ってやっとウエストファリア条約が結ばれ、信教の自由が保障されました。 その後民族意識の高まり(=反外国感情)からドイツ統一への動きがおこりますが、 当時のドイツはプロシアとオーストリアの2大勢力が対立していたためさらに200年ドイツ統一は遅れ 結局プロシアがドイツを統一しました。
現在でもドイツは連邦制を採用しています。連邦制とは「国家の集合体」で、 中世の国家の枠組みがそのまま残っているとも言えますが、 関東と関西の対立のようないがみあいもあるようですが、いわゆる地方分権がすすんでいるため、 首都が過密化せず産業も地域に根付きやすいという利点があります。 (地方分権なら中央省庁のご用聞きのために企業が本社を首都に置く必要がなくなります。)
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