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ユーラシア大陸北部を独占する国家、ロシア。各民族の分離独立があったため、ソビエト時代よりもその領土は減ってはいますが、 シベリアを含むその広大さは、さすが大国です。物騒な話ですが、核ミサイル時代の大国というのは、 まずなんと言っても広い領土を持っていないと話にならないと思います。日本なんて何発か喰らったら住むところが皆無になります。 地上にはその1万倍のミサイルがあるのに…。広い領土を持った核保有国はそれで問うわけです。 「俺んとこは(核を)何発か喰っても大丈夫だが、お前んとこはどうだ?」と。
現在のロシアに王朝がはじめて生まれたのは9世紀末のキエフ公国になります。
ただし、現在のキエフ市はウクライナ共和国内にあります。
まだこのときのロシアは現在ほど広い領土を持っていたわけではありません。
10世紀末にキエフ公国はギリシア正教を国教とします。
その後国の分裂やモンゴルの侵入を経て衰退しました。
14世紀にできたモスクワ公国は15世紀にモンゴル勢力をロシアから追い出し、
16世紀に雷帝イワン四世がモスクワ帝国と国号を改めツァーリ(皇帝)と称しました。
また、このころからシベリア経営が始まっています。
イワン四世の死後後継者争いに端を発し国が乱れますが、
イワン四世の親戚(外戚)のミハイル・ロマノフが(全国会議で選ばれて)即位します。
ロマノフ朝の成立。中央集権化と大地主農奴制の確立。
ロマノフ朝ピョートル一世が絶対主義(君主)を確立、シベリア経営の拡大、対スウェーデン戦争勝利。
1741年ベーリング海峡横断(アラスカ取得)、1867年アメリカに売却。
1792年エカテリーナ十二世の派遣した使節ラクスマン根室に来航、しかし鎖国中のため交渉不可。
1858年アイグン条約アムール川以北、1860年北京条約沿海州を入手(清朝中国へ進出)。ウラジオストック建設。
1880年中央アジア進出も一段落(これでほぼ旧ソビエト連邦の領土と一致)、その後民族差別を強化。
そのため非ロシア民族の人々はそれを「民族の牢獄」と呼びました。
グルジア出身のスターリンは反体制派の大量処刑などでかなり怖いイメージばかりがつきまとっていますが、共産主義体制のもと、
各民族の平等をうたい、戦闘時中隊長クラスは言葉が通じないためさぞ迷惑だったと思いますが
軍編成でも各民族が均等に配置されるように配慮するなど、
現在のアメリカでも見られるような、形として現れる平等政策も取っています。
前世紀(20世紀)最大の偉人と(僕個人としては)思っているゴルバチョフは、
旧ソビエト最後の書記長です。そして東西冷戦を終了させました。
そのためにロシアの民主化運動(実際は各民族の独立運動と反共産党運動)
によって失脚し、各国家(旧ソビエトは連邦制だったため)の軍の支持を受けたエリツィンに支配者の地位を奪われましたが、
彼がした「武力を使わずに戦争(冷戦)を終わらせた」ことの偉大さは、何者をもってしても勝ち得ない功績です。
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